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アダプティブラーニングについて

選択過多の時代 「人は自由になるほど幸福度が下がる」(Barry Schwartz 心理学者 TEDスピーカー2006)によると、近代文明社会では選択肢が多すぎて人々の選択肢が下がっています。
・選択肢が多すぎて、そもそも選ぶことができない(なにかひとつ選んだ方が、あとで確実に利益になることが分かっていたとしても!)
・他を選べばよかったのではないかと思う
・期待度がデカくなりすぎて、なにか選んでも結局満足できない
 そうすると、私たちがなにかサービスやものを提供して利益を獲得する場合は、選択肢を減らし選びやすくすることがひとつの視点として必要だといえるでしょう。
 今日はいったいこの選択過剰な世の中で、では子どもにどんな勉強学習環境を提供したらよいのかについて考えます。

ICTで先進国の仕事・生活風景ががらっと変わる 今後数十年で、高度化した人工知能やコンピュータテクノロジーの進展により、人々の仕事や生活風景は大きく変わることが予測されています。『エクサスケールの衝撃』(齊藤元章・著)とか読むと。
 90年代からパソコンをいじりはじめた私の実感としても、近年の進歩は驚くべきものです。しかし懸念があるのです。それは、スマホでなにもかも簡単便利にできるようになった反面、消費者の多くはスマホの利便性のテクノロジーについてなにも知らないし関心も持たなくなっているという点です。それは当たり前で、当面の必要性を満たすのに、小難しいことは一切知らなくても全部できてしまうからです。その裏を支える技術など関心が及ぶ余地は1ミリもありません。

アダプティブラーニングとアクティブラーニング みんながこうした利便性を享受するだけの消費者になったら、次の技術を作り出す人材は育ちません。ではどうしたらよいのか。政府は、これからの学びを、アクティブラーニングとアダプティブラーニングに分け、それぞれの学びを推進していくことが重要だと言っています。
 アダプティブラーニングは既存理屈、体系の習得であり、アクティブラーニングの礎。だれでも、体系化されたトレーニングで習得できるので、AIで効果的に終わらせる必要があります。
【参考】文部科学省 教育の情報化について[PDF] 2016

コスタリカに学ぶ。定時に帰る。

コスタリカという国は軍隊を持たないと憲法に書いてある、珍しい国である。日本もそうだけど、実際には世界でも有数の軍備を持っている。アメリカというヤンキーに脅かされて、基地も置くし、武器も毎年バンバン買わないといけない。

コスタリカが力を入れているのは、教育だという。兵士を教師に置き換えて、教師がとても多いそう。うらやましい。

まあ隣の芝は青く映るわけで、いろいろ問題も抱えているらしいのだが、世界でも数少ない、戦争をしない国つながりということでこれからも注意深く見守っていきたい。

日本は教育にかける国家予算規模は、OECD加盟国では最下位である。その結果、子供の教育にかかるコストの多くを、家計が担うことになっている。私は4人も子供がいるので、日々その大変さ、苦労、理不尽さを身に染みて感じているところである。

私の方法は、通勤しなきゃならない仕事(雇われ仕事)をやめて、それだったら子供を家で育てていようということである。金がないのなら、政府に正直に申告すれば、それなりの手当てはもらえる。累進課税なので税金も少ない。貧乏でもいいから、しっかり家で子育てをすると正々堂々と申告すれば、そこそこの「黄金の羽根」は落ちている。

この日本で、一番まずいのは、雇われ身分で、時間貧乏になることだ。

今日、夜8時過ぎに、アマゾンの荷物を届けてきたドライバーが朝も来たと思って、勤務時間はどうなっているのかを聞いてみた。すると、朝8時から、大体夜10時前までは拘束されるという。週5日、大体そんな感じだという。

これでは、お金は稼げるとしても、自分の時間、ましてや子育てにかけられる時間などありえない。

政府はこうした現場の状況を把握しているのだろうか? 個々の企業に介入するのは社会主義国のお家芸としても、最近では賃上げを直接頼んだりしている。正直、賃上げ程度では何も変わらない(やらないよりはましかも知らんが、それで何かをやったとドヤられても困る)。

政府は、形式的な、パフォーマンスに過ぎない賃上げよりも、実効性のある罰則付きの労働法の改正を全力で急ぐべきだろう。定時過ぎまで従業員を働かせた経営者はことごとく逮捕するとか。

定時で帰るってのは本当に難しい。私ももう、20年近く前のことだが、内定したあるメーカー。新卒1週間くらいで、定時を30分とか過ぎるまで、だれ一人帰らないフロアの様子に、一人吐…

驚きのピア・プレッシャー力!!

私は長年、うちからチャリで7分の「武蔵野プレイス」というもはや神々しいほどの公共図書館に足を運んできた。

あるときは幼い子どもを後ろに乗せて絵本を読みに。そしてあるときは就学年齢に達した娘に、おすすめの勉強場所として説明するために。行くたびに、ある一つのことが気になった。開館前や、スタディーデスク(自習用の勉強机、予約制)の予約にいつも長蛇の列ができている。たしかにすばらしい施設である。しかし、土日に至っては建物を一周まわるほどの開館待ちの行列ができる。何もそこまでして、勉強場所を外部に求める理由はないだろうと。

偉そうに聞こえるかも知らんが、オチがあるから読んで欲しい。私は、家の周辺に安いアパートの部屋を借りて、勉強部屋にしつらえてみたりしている。駅に行けばスターバックスの大きな勉強机で、みんな(ほかの客だが)と一緒に勉強や仕事ができる。塾をはじめたので、その教室も空いている時間が多いから、いつでも行けば勉強や仕事ができる。もちろんwifiも完備。今の私は、勉強や仕事をやらない理由がない環境を手にしている。ところが、そうした環境に身を置いて、では勉強や仕事をバリバリやっているか。答えはノー。リビングのノートパソコンのYouTubeをのぞき込んだり、昼寝したり、そしてあとほとんどの一日の時間は膨大な家事育児や雑事である(一日の半分以上の時間立ってると思う、おかげで健康!)。

まあつまり、ちょっと金を出したり工夫すれば、勉強や仕事の場所はいくらでもあるだろうに、なんでプレイスに朝から並ぶのかな、と、それが分からなかった。

そしてさっき、高2の長女と話していて、そこまでする理由というのが分かった。それは、武蔵野プレイスにはやる気に満ちた抗えない雰囲気があるというのである!

(その抗えない環境に身を投じてまでやろうという理由が、私には決定的にかけているということも分かった)

その雰囲気、みな一心不乱に勉強している姿は、ピア・プレッシャーを強烈に与えてくる。あのプレッシャーの中では、およそ寝ようという気持ちにはならない。緊張感がみなぎり、自分も懸命に勉強する以外にないという気持ちに駆り立ててくれる。こういう気持ちというのが、私がじつは長年にわたり求めてきた「モチベーション」の源泉なのではなかろうか? 娘もいう。「プレイスなら寝ないで勉強出来る。うちだと寝ちゃう。アンタがし…

幸せとは生きがいのこと、その4要件

TED「幸せを目指すだけが人生じゃない」(エミリー・エスファハニ・スミス)をみて思ったことを書きます。
 この心理学専攻の作家によると、幸せというのはそれを目指すものではなく、「生きがいをもつこと」こそ重要なのだという話しです。
 私なりに解釈すると、幸せというのはプロセスであり、健康や水・空気と同じように、私たちが普段生きていく上でなくてはならないプロセスであり資源、のようなものなのです。
 健康も、水も、それがそこなわれてはじめて、いかにそれらが大切だったかを知るわけです。ですので普段、それらを意識することなく暮らしていけているのであれば、その人は健康であり、水や空気に恵まれている状態、満ち足りた状態なのです。
 短期的な欠乏がしょっちゅう生じます。それらはアマゾンでクリックすれば、あるいは駅前の百円ショップに行けば、大概のものは満たされます。物質的な充足が、幸福の要素であるという考え方は、昨今完全に後退しています。
 冒頭の作家、エスファハニ・スミスは、生きがいこそ、幸福な人生において不可欠のものだと説きます。数百冊の心理学・哲学関連書籍を読み、そして何百人にもインタビューした結果、彼女が見つけた生きがいの四つの要素を順番に見てみましょう。生きがいは次の四つの要素から構成されます。
1.絆
2.目的
3.超越
4.ストーリーテリング
 一番目の絆について。人間は社会的な生き物であるがゆえ、家族や友人、同僚との人間的ふれあいはなくてはならないものです。
 二番目の目的は、生きがいの方向性をその都度与えてくれ、人生の軌道から外れないようにしてくれるものです。内容は何でもいいと思いますが、反社会的なことになっていないかどうかは、気をつけなければなりません。カルト宗教、マルチ商法、ギャング集団などが、人々を熱狂させて、反社会的な目的のために人を駆動させる事例を忘れてはなりません。
 三番目の超越。これは今流行の「マインドフルネス瞑想」あるいは、ミハイ・チクセント・ミハイのフロー状態のことだと思います。要するに夢中になって我を忘れる時間を持つことで、心を健やかに保つことができます。
 四番目のストーリーテリング。これはどうなんでしょうか。「承認欲求」を満たしてもらうことのバリエーションともいえそうです。自分のこれまでの人生を物語にしてまとめる機会を持つことを、エスフ…

家事も仕事も同じように疲弊

家事も仕事も同じように疲弊します。朝起きてから、家事の分担で、女性のほうが家事が多い場合、その女性に、男性配偶者と同じような働きを期待するのは間違っています。

今朝、子どもが猫を管理領域外に放出して、その猫が階段に飾ってあった花瓶を転倒し、水拭きに終われました。猫の毛がそこらじゅうに散っています。その階段に私が掃除機をかけたのは1時間前です。もうそれだけでおなかいっぱいというか、人生終わった、死のう、死にたい、そういう気分に満たされました(もちろん子どもを叱ったり、ネコにあたったりすれば法律で罰せられますから、ニコニコ、ああお父さんがやるから、気にしないでいいよ、ネコちゃんはお部屋に入ってねというほかはありませんし、実際そうししました)。軽い鬱症状です。このように、予期しない理由やイベントが押し寄せ、また際限もないため、家事というのはとてつもなく消耗させられます。通常そのあとで、仕事に出かけなければなりません。私も仕事が満載ですが、この件で、確実に意思力は損なわれたのです。

カナダ人の金融機関のサラリーマンが、子どもが生まれるからと会社を休みたいと申し出たら却下されました。その後なんだかんだあって、結局仕事を干されたり、ミーティングに呼ばれないなどいじわるをされ、裁判所に訴えを起こすに至りました。

過労死や、大手メディアの激務はまったく消える気配すらありません。

政府は、女性活躍だの、ワークライフバランスだのと言っています。もちろん言わないより言ったほうがいいに違いありませんから、それは評価しましょう。しかし、ほとんどの「私企業」は、結局は株主や経営者のオッサン、爺さんの持ち物に過ぎません。

そこで働く従業員がどうなろうと、翌期の業績こそすべてなんです。企業は、国民の生命安全を守る義務がありますから、働き過ぎや女性活躍を推進するのは当然なのですが、結局言っているだけです。

なぜなら政治家に発言力があるのは、結局は圧力団体である経済団体や労働組合だからです。国民ではないのです。国民はバラバラになってしまい、政治的発言力をどんどん自ら放棄しています(たとえば投票に行かない)。

いくら、株価が上がっても、新卒の就職率がよくなっても、この国というのはある種の椅子取りゲームのような感じになっていて、よい椅子がゲットできなければ、寂しく命を失ったり、健康を害してアディクション…

モティベーションの源泉は「夢」

『上野先生、勝手に死なれちゃ困ります』(上野千鶴子 と古市憲寿)を読んで思ったが、まあこの本は、ファイナンシャルプランナーで、人口問題や社会学に関心の深い私が日頃思っていることを再認識させ、そしてさらに深めてくれもし、これからの社会の暗い行く末を納得感とともに占ってくれた。

今最大の問題は、私たちの金も自由な時間も、子育てや親の介護で本当に減ってしまう。そして、労働生産年齢人口も減ってしまう(だからといって経済が悪くなるとは限らないのだが)。

それで、国債で株価を支えたり、利用者の少ない地域に公共インフラを作り続けたりといったこれまでの政策を続けていけば必ず社会が立ちゆかなくなることははっきりしているという点。

注意したいのは、ここで、いや、そんなことないだろうと。何東京新聞みたいな、ネトサヨみたいなこといってるんだろうと。そういうこという人って必ずいる。それはもちろんいいんだけど、そういうこという人っていうのは、たぶん産経新聞とか読売新聞を愛読して北朝鮮やばい、中国やばいとかいってすっきりしている連中のことだろう。放っておこう。それにこのブログでは、読者からの意見は一切受け付けていないので残念でした!

話を戻すけれども、まあこの本を読んで、地域の祭りに出かけてみた。300年くらい前からある神社の氏子が中心に毎年開いている盆踊りである。

そこにいる人たちというのがまた、とてもいい人たちで、また、仲よさそうで楽しそう、ふうんという感じ。連れて行った幼稚園児の娘にも優しく、お祭りというカルチャーを次世代に伝えていこうというある種のまじめさ、歴史や伝統への真摯な態度が伝わってきた、とかいうのは嘘で、まあ、太鼓を鳴らしたり、盆踊り踊って、いろいろ、面倒なでかい問題から目をそらそうということなんだなということしか思えない。

祭りなんて本当に楽しめない。ある種の部外者としてしか、その場にいられない。

あー今日の題名だが、要するに勉強も仕事も、夢が原動力になるってコト。私には夢がない。もうあらかたかなってしまった(もともとたいした夢ではなかった、今思えば)。

夢を持つにはどうしたらいいんだろう?

大学奨学金について

先日、ファイナンシャルプランナーを対象に、日本学生支援機構(JASSO)が主催したスカラシップアドバイザー講習を受講してきました。

 受講して最後のテストで合格すると、全国の高校にJASSOから派遣されて奨学金制度について詳しく説明するお仕事ができるようになります。

 受かっても受からなくても(まあ受かったんですが)、実際高校に派遣されるかどうかは分からないにしても、何しろ大学志望希望者を4人も育てている貧困親としては、これは行かない手はないと。

 しかも、総売上高10000円(2004年から今日まで)、維持費用が毎年15000円程度かかるこのファイナンシャルプランナー資格を、今こそ活かすときではなかろうかというのもあります。

 さてここからは私の私見ですが…。ブログなんだから私見以外の何があるって言えばそうですが、感想とかご意見、クレームは一切受け付けませんという意味です。気になるなら自分でブログを立ち上げてそこで書いたらいいと思うんです。それで、表現の自由がどんどん洗練されて、よい市民メディアが次々と育つようになるのがいいかなと。クレームだ、意見だ、なんだとメールだの直接いってきたところで、「バカの壁」がありますので、一切ムダなんですよ(もっともこれまで一件もそういうのは来たことがないですが、読者数が10人に満たないものですから)。

 今、日本はヤバい。何がヤバいって、人口減少です。人が、どんどんいなくなる。増えているのは、高齢者ばかり。子どもが生まれていません。

 10年以上前、このファイナンシャルプランナーの資格を取るときに受けた授業で、先生が言っていたのを思い出す。高齢者を、いったい何人の現役世代が支えるのかってはなしです。高齢者は、動けなくなったり、しゃべれなくなったりしても、一応生きていますから、人権があり、大切に扱わなければなりません。それで、社会保障制度を通じて、国や地方自治体は、現役世代の所得の幾分かを、高齢者を支えるための年金や医療費に再分配しているのです。

 高齢者が少なくて、若者が多ければそれでまわっていましたが、今は高齢者が多くて、若者が少ない。するともうこの再分配制度だと、高齢者ひとりを、若者4人で支えるとか、地域によっては二人で支えるとか、そういう事態になっています。自分の親ではなくて、制度としての再分配を通じて、ですから、イメー…

隷属なき道 AIとの競争に勝つ ベーシックインカムと一日三時間労働(ルトガー・ブレグマン著)を読んで

この本、『隷属なき道 AIとの競争に勝つ ベーシックインカムと一日三時間労働(ルトガー・ブレグマン著)』を読んで、よほどの権力者やとてつもない金持ちでない限り、一般国民は全員ベーシックインカムにすぐに賛同して運動を始めるべきだと私は確信を得た。

 魅力的な著者の主張が満載である。未来を明るく展望できる、ポジティブな提言の書だ。

 要は、資本主義がもう行き詰まっていることは利子率の歴史的低下などから明らかであり、これを放置すれば格差拡大と、資本のタックスヘイブンへの逃避による国家財政破たんによる人類の滅亡に一直線だから、思い切ってベーシックインカムでどうよ、と。そういう話しである。

 ベーシックインカムは、じつは社会保障は全部やめましょうということでもある。だから、小さな政府を志向する保守層(リバタリアン)からも歓迎されるし、また、もっとも手厚い福利とも見られるので、左派リベラルからも歓迎される。

 私は、いち生活者として、そして子どもを4人も育てている家計の長として、人数分一律数万円毎月もらえたら単純にありがたい。アホみたいな労働に荷担しないで済むし、その分、子どもと楽しく過ごせるだろう。その方がよほど幸せだし、また、こうしたことで幸せになれるとなれば、少子化ももっと何とかなるんじゃないかと思う。

 頭がいい「論客」は、まさかこんな理由でベーシックインカムが熱望されているなどと想像することはあまりできていないように思える。ベーシクインカムに否定的な論者もたくさんいるが、彼らは、私から見るときわめて残念で近視眼的な、ある種の偏見を根拠に反対しているに過ぎない。反対してドヤるために、反対しているだけの輩すら散見される。

 ベーシックインカム反対派が反対の論拠にする様々なエビデンスは、まったくもって非科学的で間違った思い込みによるものであることが、この本で次々明らかになる。ざまあみろだし、ベーシックインカムに反対する前に、まずこの本を読んでもらいたいと思う。私はこの本だけを売るために書店を開こうとさえ思っていまじつは、準備している。

 この本を読んだ皆さんとぜひ、日本、あるいは世界の将来について話し合い、大きな政治的な勢力として、未来への働きかけをいますぐはじめたいと思っているんだけれども、その前に寝ないと明日また起きて、家事育児そして仕事を貫徹できない。あーこれ…