2017年7月11日火曜日

隷属なき道 AIとの競争に勝つ ベーシックインカムと一日三時間労働(ルトガー・ブレグマン著)を読んで

 この本、『隷属なき道 AIとの競争に勝つ ベーシックインカムと一日三時間労働(ルトガー・ブレグマン著)』を読んで、よほどの権力者やとてつもない金持ちでない限り、一般国民は全員ベーシックインカムにすぐに賛同して運動を始めるべきだと私は確信を得た。

 魅力的な著者の主張が満載である。未来を明るく展望できる、ポジティブな提言の書だ。

 要は、資本主義がもう行き詰まっていることは利子率の歴史的低下などから明らかであり、これを放置すれば格差拡大と、資本のタックスヘイブンへの逃避による国家財政破たんによる人類の滅亡に一直線だから、思い切ってベーシックインカムでどうよ、と。そういう話しである。

 ベーシックインカムは、じつは社会保障は全部やめましょうということでもある。だから、小さな政府を志向する保守層(リバタリアン)からも歓迎されるし、また、もっとも手厚い福利とも見られるので、左派リベラルからも歓迎される。

 私は、いち生活者として、そして子どもを4人も育てている家計の長として、人数分一律数万円毎月もらえたら単純にありがたい。アホみたいな労働に荷担しないで済むし、その分、子どもと楽しく過ごせるだろう。その方がよほど幸せだし、また、こうしたことで幸せになれるとなれば、少子化ももっと何とかなるんじゃないかと思う。

 頭がいい「論客」は、まさかこんな理由でベーシックインカムが熱望されているなどと想像することはあまりできていないように思える。ベーシクインカムに否定的な論者もたくさんいるが、彼らは、私から見るときわめて残念で近視眼的な、ある種の偏見を根拠に反対しているに過ぎない。反対してドヤるために、反対しているだけの輩すら散見される。

 ベーシックインカム反対派が反対の論拠にする様々なエビデンスは、まったくもって非科学的で間違った思い込みによるものであることが、この本で次々明らかになる。ざまあみろだし、ベーシックインカムに反対する前に、まずこの本を読んでもらいたいと思う。私はこの本だけを売るために書店を開こうとさえ思っていまじつは、準備している。

 この本を読んだ皆さんとぜひ、日本、あるいは世界の将来について話し合い、大きな政治的な勢力として、未来への働きかけをいますぐはじめたいと思っているんだけれども、その前に寝ないと明日また起きて、家事育児そして仕事を貫徹できない。あーこれ何年続くんだろ!

2017年6月15日木曜日

なぜベーシックインカムか?

今日私たちは、たとえば200年前とくらべたとき、まさに当時人々が思い描いたようなユートピアに生きていると言っても過言ではない。

  • 手紙は数秒で届く
  • 意見を自由に表明できる
  • 日用品や本がすぐに手に入る
  • 乳幼児死亡率は著しく下がった
  • 平均寿命は大幅に伸びた
  • 戦争による死者数は著しく減った
  • 貧困に苦しむ人も大幅に減った
ところが実際のところ、別の「悩み」に苦しむようになった。これらは、200年前の人々には想像もできないような悩みである。

  • 通勤電車で痴漢をすると私刑でしかも死刑になるケースが相次ぐ
  • 政府が国民の表現の自由を結果的に制限する
  • 政治やメディアに国民の声がまったく届かない
  • 将来に希望が持てない
  • 子どもの6人に一人が相対的貧困である
  • 子どもを産んだあと離婚をするとものすごい貧しくなる
  • ほとんどの給与所得者は週のうち2日は高齢者への仕送り労働
  • アパートを建てても入居者が集まらないのにどんどんアパートができる
  • ほとんどの銀行はもうつぶれるほかない(利子率の史上最低水準)
これは、一言でいえば、私たちの資本主義が傷んできて、基本的人権や議会制民主主義といった重要なイデオロギーを毀損しはじめている現象だ。

私は、ずっと子育て育児、そしてもっぱら経済の自由競争からの逃避で得た時間を読書に費やしてきた。その結果明らかになったのは、私たち先進国に住む人類全体に起こっている現象として、

  1. 少子化と高齢化(シルバーデモクラシー)
  2. 富の偏在
  3. 中間層の没落
  4. ほとんどの市民が目に見えない監獄にいれらた状態
  5. オキシトシンの不足(幸福度の減退)
こういう感じになってる。だから、私の提案としては、

  1. ベーシックインカムを導入し再分配の再設計
  2. オキシトシン(道徳ホルモン)を活性化する社会の実現
これに尽きる。これは、高齢者や一部の富裕層が寡占する富をまずはベーシックインカムで中間層らにばらまき、みんなでふれあって幸せになろうよ、という話し。

このあいだ、地域のわりと富裕層目の老人が入る老人ホームに行く機会があった。もちろん、清潔で大切に老人たちは扱われ、職員はまあ生き生きと、とまでは行かないものの、なんとかギリ、働いていた。雇用が生まれているといえばいえる。しかし、私はそういう老人たちの世話をしたいとは思わなかった。

人の世話をするとオキシトシンは出るとはいえ、老人ホームで他人の老人の世話となるとものすごいテストステロン(ストレスホルモン)もでる。テストステロンはオキシトシンとトレードオフだから、老人ホームでの他人の老人の世話は雇用としてはハッピーを生み出さない。結局金がある富裕層の世話を、資本主義的搾取のシステムは温存したまま、若い低所得者にさせているだけだ。その施設はベネッセという巨大資本が運営していたから。巨大資本はまず、創業者一族、次に株主、そして顧客、最後に従業員という順番。従業員は、儲けやサービスの「カス」のようなものしか分け前にあずかれず、オキシトシン分泌の機会は限られる。

ホント何とかしたほうがいい。ベーシックインカムしかないだろう。

というわけで、このたび、取次の新しいサービスホワイエを使って、BI ブックスという店名の本屋を開くことに決めた! ジブリの目の前に(笑)。

店の名前に込められた思いを聞かれる度に、ベーシクインカムの宣伝ができる。あーよかった!

2017年6月13日火曜日

やってないのに痴漢をもし疑われたら?!

やっていないのに、満員電車でもし痴漢を疑われたらどうすればよいか?
短くまとめます。

  1. その場(ホームなど)にとどまったまま、相手に身元を明らかに説明する。名刺を渡したり身分を明らかにして(IDカードを見せるなどして)、やっていない旨と、「私は逃げも隠れもしませんので、もしそれでもやったというのでしたらあとで警察に行って下さい」とだけいう。
  2. そのまま立ち去る。立ち去ることができない場合は、その場で(駅員室などに行かずに)弁護士を呼ぶ。弁護士が来たら彼は、当然「この人(クライアント)は、身元も明らかにしているし、逃げたりしない、痴漢もやってないといっている、だから後日いくらでも調べればいい。今は帰ります」。といって、逮捕を避ける論証を開陳し、立ち去ることを助ける。弁護士を呼ぶために常にそういう場面で連絡できる刑事弁護士の連絡先を電話に登録しておく。弁護士が来るまで、その場を動かないほうがいい。
  3. それでも駅事務所につれて行かれてしまったら、その状態は、私人逮捕という状態に。駅事務室では必ず警察が呼ばれる。なぜならすでに逮捕されているので。警察に行ったら、逮捕された人に保障されている権利として、必ず(まだ弁護士が着ていない場合)「当番弁護士を呼んで下さい」(無料)という。取調室では、「やっていないです。弁護士が来るまで待って下さい」といい、他の質問には答えない。
  4. 弁護士と話してその後の対応を考える。やっていない場合は、検察官や裁判官に「この人は身元がはっきりしていて逃げないから、在宅取り調べでかまわない」といってくれる。二日程度で家に帰してもらえる。
そもそも通勤電車が人権侵害状況で、その状況を作り出している鉄道会社の責任が問われる。また、混んだ時間に通勤させる雇い主の不作為も問題だ。企業は、従業員を痴漢えん罪から守るために、弁護士の連絡先や上記の対応を周知させる努力が求められる。

さらにいえば、日本の裁判官が、警察、検察が作った調書を安易に証拠採用して、調書=自白があれば必ず有罪という判断をやめさせることが求められる。裁判官が調書を元に有罪判決を量産するから警察検察も有罪ストーリーに被疑者を当てはめる自白を無理矢理引き出す「作業」が繰り返される。裁判官が、自白調書は証拠採用しないといえばよい。

参考
J-wave JAM THE WORLD 2017.6.12
弁護士三浦義隆のブログ 2017-05-12 痴漢を疑われても逃げるべきではない理由

2017年5月30日火曜日

サピエンス全史・キッズドア・オキシトシン・社会の分断

 「行政がゆがめられている」と記者会見で訴えた前川前文部事務次官。キッズドアで子どもの学習支援のボランティアをしていたことが明らかになり話題に。
 『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ)によると結局人類の幸福はセロトニンやオキシトシンといった脳内物質の分泌量で決まると結論。歴史家はこれまで、こうした指標に基づいて定量的に人類の幸福史を作ってこなかったと。
 ケリー・マクゴニガルのTEDスピーチ「ストレスと友達になる方法」では、人に親切にするとオキシトシンが出る。そういう経験を重ねていくと、いざ自分が強いストレスに晒されても、勇気を持って乗り越えることができると主張。
 『隷属なき道 AIとの競争に勝つ ベーシックインカムと一日三時間労働』(ルトガー・ブレグマン)によると、結局AIにぶんどられて人様の仕事なんてなくなっちまうんだから、GDPみたいな欠陥だらけの指標で成長成長と騒ぐのはもうやめにして、ベーシックインカムで行きましょうよと。
 社会は分断をきわめる方向に動いている。各々が信じるイデオロギー(物語)が異なりすぎて、互いに馬鹿の壁を夢中で築いてわかりあえない。
 NHKの番組「ニッポンのジレンマ」で、ベーシックインカムを積極的に評価する阪大の安田先生のゼミ生が、過半数が反対の現実。
 みんな幸せになりたいし、自分のことが認められたいと思っているのは分かる。しかし、幸福のための物質オキシトシンを出すには、単にセックスしたり背中とんとんてやったりハグしたりすればよい話し。祈るっちゅーのも出るらしい。
 だったら、ベーシックインカムにして、中途半端な低賃金労働は止めにし(機械に任せて)、ハグし合ったりとことん討論したり祈ったりする時間を持てる社会を作ればいいんじゃね? そうしたら、右翼も左翼もなくなって分断も解消。キッズドアのようなNPOでのボランティア活動や、創造的な時間や趣味の文化が活発になって、よさそー。
 ちなみに私がベーシックインカムに賛成なのは、子どもが多くて世帯人数が多いため、世帯主としては可処分所得が増えてイッひっひだから!ってのは半分ホントで半分冗談。大学学費無償化もセットでね!

2017年5月17日水曜日

ノーベル経済学賞受賞者の理論「安定マッチング」とは?

いま日本の課題のひとつは、少子高齢化の進展に伴う、社会保障費の増大である。

少子化の原因は、婚姻数が減っている。生涯非婚率も上昇を続けている。しかし、若者の多くは、将来は結婚したいと思っているようである。

婚活という言葉も生まれ、合コンや出会いのパーティーは日夜様々な場所で、民間や行政機関によってさえ、開催されている。

ところが、大枠としては少子高齢化は先進国共通の問題として定着しており、一挙解決というのは私は目下ベーシックインカムくらいしか思い当たらない。

ところが、今日「オイコノミア」で、くっつきの経済学とかいう妙なテーマを見て驚いた。

人と人をくっつける(結婚にせよ就職にせよ何でも)にあたっては、すでにノーベル経済学賞を受賞した立派なアルゴリズムが存在していた。

それは、このページを詳しくは見てほしいが、要は、マッチングの結果決まったパートナーに対する満足度(納得感)が最大化すること、そして、そのパートナー以外の人のところに行く(不倫など)ことの利益が、そうしない利益を常に下回ることができる、そういう理論である。

通常は、パーティーでちょこっとしゃべって、最後に、意中の人のところに行って「お願いします」と頭を下げ、女性がその中から選んでカップル成立となる。それに対し、安定マッチングの場合はいったん、女性が候補者の中からひとりをキープしておく。

男性は、すべての女性参加者を、好きな順に並べて、順番に告白していく。断られたら、次の女性のところに行く。それをキープされるまで繰り返す。

すべての男性が「キープ」された状態になるまでこれを繰り返す。

すると、女性のほうとしては、次々告白された中から、キープを次々交換することで、自分に好意を寄せている人のうちもっとも順位の高い人を選ぶことができている。一方男性は、自分を断らなかった人のうち、当初の順位の最も高いひととカップリングできていることになる。

これだと、不倫をして、カップリング相手以外の、より順位の高い女性に、あらためていいよろうという誘因は働かない(なぜなら結局その相手には1度断られているので、また断られることは分かっている)。

すべてのお見合いパーティーはこの方法をとるべきだと思う。なぜ、この方法が採用されないのかまったく理解に苦しむが、理由もなくはない。男性によっては、好きな女性が、その参加者のうち、たとえば上位三名しかいないと言うこともあろう。その三人以外は、男性としては絶対に嫌だというこだわりである。そういう男性のこだわりは、この理屈だと無視されてしまう。たとえば、その男性が非モテで、7番目とか、10番目の女性としかカップリングできなかった場合、彼は、その関係を持続させようとは思わないだろう。見合いの会場では成立しても、意味がなくなる。

これはもちろん、女性の側にも当てはまる。好みのイケメンが他のよりかわいい女性のところでキープされてしまえば、自分のところに好みの男性は来ない。妥協の産物とカップルになったところで、その関係をあたためて結婚までしようとする「理由」がはたしてどれだけあるのだろう?

となるとぜんぜん意味ないな。だいたいそうだろう、婚活パーティーで、この人とぜひというのはせいぜいひとりか二人しか見当たらないし、そういう人でないと関係を続けようとも思えない。「納得感あるカップリング」がその場では成立したとしても、「また別のパーティーではどうなのか?」という風に気になってしまうのが人情だろう。いわゆる隣の芝は青いというヤツ。いくらマッチングの理論が優れていても隣の芝は青い理論にあっさり凌駕されてしまったではないか? 隣の芝は青いという理屈は、ノーベル賞は受賞できなかったかもしれないが、現実社会ではより大きな影響力があるようだ。

とほほ! ノーベル賞の理論も少子化には打つ手がない。

アンジェラ・リー・ダックワース「成功のカギは、やり抜く力 GRID」


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IQではなく、「やり抜く力(GRID)」(ただし詳細は不詳)なるもので成功は決まると。
そう、スピーカーのアンジェラ・リー・ダックワース先生はおっしゃっています。

私は確かに、やり抜く力は、ない方です。やり抜く力というのは、どうすれば鍛えたり、獲得することができるのか。どんな子どもは、持っているのか。親や、生育環境がどうであれば、やり抜く力がより得られるのか。

最近いわれている「非認知能力」も、これに近い気がします。

運動の部活動や、勉強以外のいろいろな体験が、どうやらいいかもしれないともいわれています。

まあ、勉強の出来不出来が少なくともIQではない、というのは、救いですよね。生まれつき決まっているものではなくて、あとで努力次第でなんとでもなるというわけですから。

要は、がんばればできる。努力は報われる。そういう考え方です。

私の問題は、最近、このやり抜く力ってものがどんどん衰えているなーという自覚です。原因は自分なりに振り返ってみますと、「だらだら」「飽きる」「気が散る」――この三つが大きいと。

  1. (会社を辞めて10年以上経ち)毎日緊張感がない
  2. 加齢でいろんなことが陳腐化して新鮮味がなくなり、取り組もうという動機もわかない
  3. 情報過多なうえに家事育児など気が散ることが多すぎる
しかし冷静に考えると、そもそもやり抜く力があれば、こうした要素にもかかわらず、なにか事を成し遂げることができているはずです。一心不乱に取り組み続けることができない結果、こうした状況になっているともいえるし、こうした状況のせいで、余計にやり抜く力が衰えている。悪循環です。

私はどうしたらいいんでしょうか。

キーワードをひとつあげるとすると、「コミットメント」だと思います。やり抜く力を発揮しようにも、対象を定めて対象に強く関与(コミット)しないことにはどうしようもありません。

私はコミットすることは悪いことではないし、苦行でもないと思います。確かにとっかかりの瞬間は、気が重いし、その対象でよいのか、不安もいっぱいです。

ところが、何でもいいからコミットしさえすれば、少なくとも一定の成果は出るものです。成果は小さいかもしれないし、失敗で終わるかもしれませんが、コミットしているあいだは、いい感じに脳が活性化されて、それこそ「心地よい興奮と満足感」を味わえる瞬間が多かれ少なかれ、あります。

こうした、対象にハマることによる熱狂を、一日一個でいいから味わえるように工夫して暮らしてみるのがいいと思います。

アンジェラ・リー・ダックワース先生の「やり抜く力」が、学習や成功にとって重要だと分かったのは、私たちが知っておくべき貴重な発見です。

現在のところ、やり抜く力を涵養する決定的で効果的な方法は分かっていませんけれども、なにかにひとまず対象に「コミット」して、そして小さな成功体験を積み上げていくチャレンジを続けていくこと。そのことが、じつはシンプルなその方法であり、王道のひとつなのかもしれません。

2017年5月11日木曜日

Lifehackerでイチオシ記事

 月額1500円くらいのサブスクリプション(有料定期購読)でNewsPicksというのを読んで1ヶ月。
 為末大さんの集中力の記事で、最大の敵は「退屈」と書いてあり納得。退屈を様々な工夫(違うことにトライする、環境を変えるなど)で乗り越えてきたメダリストの言葉には説得力があった。
 私はすべてのことには飽きや退屈がしょうじて、人間の、およそ生存に必要な最低限度のこと(調理、飲食、排泄、睡眠など)意外は結局継続的にし続けることができないようにできているのではないかと思うようになった。
 特に、『サピエンス全史』を読んで、人類は数百万年も気ままに狩猟採集生活をしてきたのに、ここ1万年程度で突然農耕に切り替えて、それで定住し、あれこれ小麦を育てるためにそれこそ「todoリスト」みたいな感じでやりたくもないこと、つまり少なくとも本能的にその日暮らしをしてきた狩猟採集時代はやらないでよかったことを、やらなければいけなくなってしまった。『サピエンス全史』は、この事態を、人間が小麦という生物に隷属化したと書いてすごいなこの著者は。まったくそうだ。
 農耕社会、そして現代にいたる高度文明社会にいたるまで、人間は間違いなくなにかに隷属している。
 しかしじつは、隷属の状態は案外ラクでもある。なにも考えなくても、避けがたいプレッシャー(稲刈りとか上司からのメッセージとか)によってタスクをこなせば、まあくっていけるわけだから。
 では、本題と言うことで。
 
仕事の効率が上がる、手書きリスト管理術Autofocus
https://www.lifehacker.jp/2009/02/autofocus.html
通常は、todoリストは終わったタスクに線を引いて消したりすることで「小さな勝利を積み重ねていく」のが眼目だが、この方法は、いったん取りかかったタスクをもし中断した場合は、とりあえず棒線で消して、最後に同じ内容を加えるというところが私にむいている(すぐ気が散って他のタスクに手を出すので)。
「苦行」とは正反対? ミニマリズムを実践することで得られる11のメリット
https://www.lifehacker.jp/2016/12/161222_book_to_read.html#cxrecs_s
ミニマリズムは苦行ではないという記事。ミニマリズムのメリットが、苦行を打ち消してなおあまりあると言いたいんだろう。私の実感だと、すばらしいにみなリズムのくらしを追究し続けてもう何年にもなるが、苦行とまでは行かないが、あまり愉しくない。
15点が85点になった「Google翻訳」で仕事が捗る【2017年注目のライフハックツール】
https://www.lifehacker.jp/2016/12/161219_lht17_google_translate.html#cxrecs_s
Google翻訳が便利になった。人工知能を適用したらしい。最近私もそう思ってた。便利だなーと。でも英語が分かる人は必要とも。
子育ては仕事の生産性を高める:研究結果
https://www.lifehacker.jp/2017/05/170510_childcare.html
子どもがこぼしたものを拭く、子どものために四六時中家事に追われる。そういう人のほうが生産性が高いらしい。私はこれは逆にこういう見方をしたらどうかと思う。仕事の生産性が高い人は、仕事はもとより、子育ても家事もこなす、と。こう見ると、仕事の生産性の高さと、子育てははたして因果関係があるかどうか疑わしくなる。私は子育て家事しながら仕事もずっとしてきた。私の生産性が高いかどうかは分からない。私は、自分の人生の時間は自分でコントロールしたいし、また人生の先行きがいつも見えている状態(会社では勤続年数の長い役員や上司がいつもいて、毎年のように彼らが花束をもらって定年退職していくセレモニーが。ウゲー!)は精神衛生上よろしくないとおもって会社を辞めた。それであれこれ仕事を家でするが、とにかくすべてやる気が萎えてしまうという問題。これがどうにもならない。