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自由報道協会に期待すること

大学時代の語学クラスの知り合いが関わっている、自由報道協会というのがある。会の目的は、既存の大メディアが排他的に記者会見を仕切ることで国民の知る権利が損なわれている、その状況を、民主的手段により治癒するということである。

誰でも知る権利はあって、自由に行使していいんだけれども、それにはたいへんな手間とコストがかかる。既存の大メディアがやってる「報道」は刺身のツマみたいなもので、じつにお粗末なこととなっている。もちろん、刺身とは広告のことである。

広告=資本の影響から自由な報道、真のジャーナリズムつまり、権力を不断に監視して国民の権利を守ろうという純粋な理性でもって、報道に携わる第三勢力が長年求められてきた。今日、ITが進展して誰でもネットで動画中継をしたり、ブログで意見表明できるようになってきた。これを追い風として立ち上がったのが自由報道協会である。

3.11から時が経ち、東京電力の記者会見場には、マスコミのカメラも著しく減ってしまった。マスコミのカメラ二台、あとは自由報道協会とニコ動がそれぞれ一台設置しているという。カメラは減った。しかし現在も福島東北の状況は国民すべてが注視しなければならないたいへん深刻な状況であることにいささかも変わりない。むしろ、福島の原発から出た放射能が、私たちの食料に入り出して、いよいよ持ってやばい事態に立ち至っている。

そしてその原因は紛れもなく東京電力なのに、「汚染牛」が見つかったとか「補償」云々の話題からは、東電を追及する論調はまったくない。東電は解体もされず、役員のほとんどはそのままで、補償は将来国民が負担することにほぼ決まった。これってフェアなの? そういうことを、すべての国民が知らないといけないと思う。そのためには、やはり東電の会見に一台でも多くのカメラが必要なのだ。

既存政党も、団体も、個人も、東電の記者会見に毎日足を運んで中継するような仕事を引き受けられる者はそうはいない。自由報道協会が、完全に自立してこれを実践しているのは、たいへん貴重な事実である。これからも公正で地道な、しかし民主主義を守る上で欠かせない重要な仕事がこの若い団体に期待されている。

ノルウェーの原理主義者について

ノルウェーで、極右のキリスト教原理主義者がなんでも、爆破テロと、銃乱射という「第二次世界大戦後最悪の戦慄禍」を引き起こした。その後、容疑者は、イスラム教がイヤだったみたいなことも言っているという。

で、先日の日曜日に、小金井市の「創価会館」(日本最大の宗教、創価学会が日本全国各地に建てている、立派な宗教施設)の周りがなにやら物々しいのを目撃した。建物の前や、交差点に黒いネクタイをした人が車や歩行者を誘導している。何かイベントがあって、創価学会の人たちが集まっていたのだろう。

私は創価学会でもなんでもなく、無宗教である。創価学会のウェブサイトとか見ると本当にリアルに微妙で、何とも言えない気分になるわけだが、小金井の創価会館にリアルに集まる創価の人や創価のウェブに対して私のまなざしはある意味寛容だ。別にそういう人たちがいるからといって、まあ、思想信条の自由だし、いいじゃないのか。すくなくともノルウェーの原理主義者みたいな動機は生じるわけがない。

原理主義者って、結局あまりに不寛容。ありとあらゆる自分以外の思想信条の人たちに向けられるその不寛容ぶりってホント、なんなんだろう。確かに資本主義は、ものを買ってくれるなら相手がキリスト教徒だろうが、仏教徒だろうが平等にお客さんとして歓迎する立場のほうが成功するだろう。そして民主主義とも相性が良さそうだ。でも、資本主義が嫌いだったり、お金に恵まれなかったらどうか。心の支えとして宗教を取り入れて、最終的に不寛容な原理主義者になってしまうかもしれない。

そう考えると、衣食足りて礼節を知るということで、やはりすべての人たちに一定の収入を約束するベーシックインカムは、社会の寛容さを担保する役割を果たすので是非ともこの、弱肉強食の現代日本資本主義に導入してほしい。でないと、この経済優先の世界でオチこぼれて、衣食足りず、どんな原理主義者が出てくるか分かったものではない。

日曜日をいかに過ごすか

私たちにとって最も重要なのは日曜日をいかにやり過ごすか、である。子供、すなわち原始状態の無秩序生物で、心という知能を持ち合わせた私たちの愛すべき、守るべき宝物は、予定なく家にただ置かれれることがもっとも嫌いだ。兄弟姉妹がいる場合は不毛なけんかを始める。とにかくこうなると外へ連れ出すほかはない。

外。外の要件として飯が食える(家事労働の外部化)、放射能が少ない(!)、安全で清潔、快適でお金がかからないこと。欲を言えば知的好奇心、有益な身体的刺激、体験ができることである。私たち家族の住む東京都小金井市では、これらの条件を満たす場所がそれなりにあると思う。

私たち家族が多用する日曜日の場所で頻度順に上げると次のようになる。季節にもよるけれども。

小金井公園イトーヨーカドーJマート
小金井公園は季節が限られる。イトーヨーカドーはすべての資本主義の「陳腐さ」が凝集して精神に有害。書店以外では居場所がない。書店なら本の世界に閉じこもって精神の健全性を保てるから。子供用には椅子まである。

そして、Jマート。ホームセンターである。暮らしにほんの一工夫をすることで無限に自分らしさを追求できる。DIYの甘美なる調べ。

なお、この7月から武蔵野プレイスという強力な選択肢が増えた。本当にありがたいことだと思う。

地域から出て、なるべく広い世界、生活圏以外の世界を見たいし、そのことがとてもこの、生きるうえで欠かせない心の滋養になりうるということに最近気が付いた。つまり、旅をすることだ。でも残念ながらお金がかかるので、レギュラーな日曜の過ごし方にはならない。

家事は結局自分が引き受ければ一番うまくいく

今日も、なかば熱中症になりながら家事を行った。全室の掃除機掛けであるが、その前に、早朝に家族の誰かが寝ぼけて倒した、寝室の除湿器からあふれ出た「汚染水」の除去がきつかった。ぞうきん3枚で何度も吸水しては絞り、吸水、絞りを繰り返す。まことに残念なことに、その水の一部を水を吸うことが許されない仕様の掃除機でかなり吸ってしまった。掃除機からは以後、汚染水がもっと黒くなった極悪な超汚染水がタラタラ出るようになる。したがって、掃除機をかければその部分が、中から出る水で汚れるという、掃除機なのに真逆の機能を果たすようになる。
 掃除機のなかの水分を完全に除去するために、ノズルをすべて外して、何年も見たことも触ったこともない、そして地獄のようになったノズルの内側にキッチンペーパーを突っ込んで拭き取る。
 汚染水の除去が終わり、掃除機がもとの機能を回復するまでにおよそ20分近くかかった。この間の労働はもちろん、家族の誰も関心を払わない。無事に掃除機をかけられるようになっても、誰も褒めないし、バカとかの罵声すら浴びせられない。無視である。つまりなんのフィードバックも得られない。家事労働の本質はつまりこういうことだ。本人としてはかなり苦労して、さんざんな思いでやっている肉体労働であるにもかかわらず、時間をかけてやっているにもかかわらず、報酬も払われなければ、社会的賞賛も得られないし、もちろん自己満足とも無関係。まさに奴隷労働そのもので、抑えがたい死への衝動がこみ上げてくる。
 ただこの労働をじゃあ、奥さんとか別の家族に頼めば問題は解決するのか? それはあり得ない。このあいだまで、じつはシルバー人材センターの人に、お金払ってお願いしていたけど、家計が悪化したからそれもできなくなった。自分でやるしかなくなった。家族は家族でたとえば妻は料理を担当してもらっているからこの掃除をやらせるわけにはいかない(ところがこれまで多くの日本人男性が、大黒柱とか言われて、高度経済成長のなか有頂天で会社に通って「家計を支え」、家事育児をもっぱら奥さんに任せていたらしい。それって本当に信じられないと思う、まさに非道。そんなだから福島の原発ボカーンなんだ。男尊女卑の日本も、原発爆発で全部終わった)。そして子は、勉強に忙しい。これは皮肉なことだ。私も勉強に忙しい子だった。そしてそれなりに大学に合格して就職してそ…

東電いかに「救済」され国民は何を負担させられる?

東電の救済案がまとまった。どうなったかというと、彼らががっぽりため込んできた莫大な額の金(3兆円)は一切手つかずで温存。もちろん東電の組織もそのまま維持(発送電分離も立ち消え)。銀行の債権(2兆円以上)も棒引きにならずそのまま。株主も、会社が解散したりしていないので紙くずにはなっていない。(高齢の)役員のほとんども爆発前と変わらず。

で、どうするか。賠償金は、原資を国債から(つまり国民から金を借りて)用意したもので基金を作ってそこから東電が借りて、被害者に払っていくそうだ。

もちろん、国債を買うのも国民なら(きっと主に高齢者と、何も知らずに郵貯とか簡保に金を預けたりしている人々)、将来電気代に上乗せされて借金返済原資を支払うのも国民。しかも、未来の、つまり今の子供たち。

でた。得意だよね。高齢者が自分たちの無責任な立場は盤石に維持して、問題は全部あとの世代に先送りだ。子供が読んでいたら言いたい。もう止めよう、勉強するの。あほくさいよ。高校出ても仕事ないよ。大学出たらもっと仕事ないよ。あっても給料のほとんどは「源泉徴収」されて手取りはわずかだよ。電気代は高止まりだし。

未来は、ないよ。希望も。

どうすればいいか? 住んでいるところの自治体の首長、議員、そして選挙区の国会議員、都道府県議会議員の電話番号をすぐに携帯電話に登録して、質問してご覧。今回の東電の救済について、知っていることとあなたの感想を教えて下さい。次の選挙であなたに票を入れるかどうかの参考にしたい、と。

じゃあ、その(議員への質問でかかる)電話代は誰が負担すべきか。それはあなただ。なぜならそれが民主主義のコストだから。ちなみにPHSのウィルコムなら月々980円で一般加入電話、他社携帯も無料です。

テレビと新聞はイデオロギー終焉とともに終わった

イデオロギーというのはある価値観の体系のこと。共産主義とか、資本主義とかそういう大きなものから、禁煙原理主義とかまでいろいろ。こういうような、1つの価値観にガッツり凝り固まってものを判断する人々は近代とともに消え失せた。じつはその時点で新聞などのマスメディアは確たる礎を失っていたが、巨大資本の片棒担ぎとして、寄生虫のように生き延びてきた。ネットのおかげで、その延命に歴史的終止符が打たれようとしている。

私たちが見るべきメディアはたとえば以下の動画のような。



この人、キワモノなんかじゃないと思う。この人を無視し続けるマスメディアのほうがよっぽどおかしい。



岩上氏の広瀬さんのインタビュー 続き

国民健康保険税で私たちが何を負担しているのか

国民健康保険税の明細書が届いたのでじっとりと目を通した。午前中いっぱい研究して分かったことは、私たち世帯、すなわち、この準要保護世帯の子だくさん貧窮一家が、自分たちにかかる医療コストではなく、見ず知らずの、特に地方にうじゃうじゃいる75歳以上の高齢者の、医者通いないしは入院のために、年間、10万円近くを負担しているということだ。

年金は震災後いよいよ会社の売上減で全額免除となり、負担しないで済むようになったからよかったが、この国民健康保険税は相当所得が少なくならないと免除ということにはならない。相当ワーキングプアにならないと、高齢者の医療費負担からは逃れることはできないことになっている。

この問題はきわめて重要なので、このあとじっくりと解説したい。

なお私は高齢者を敬うとかそういったモラルのレイヤーの話題は、わざわざブログを書いて開陳するようなことじゃないとの考えから、触れない。

消費税増税ではなく、廃止に

私がこのメディアを作って最大限に主張したかったのは三点ある。
消費税を廃止してベーシックインカムにする護憲ジェンダー解放(女性の権利の拡大、家事労働の正当な評価)とりわけ、マスコミによる世論誘導が進み、今や一般庶民のあいだでも消費税増税やむなしなどといわれている現状におおいに危機感を持っている。けしからん!

というわけで今日は消費税について考えてみたい。

もともと、戦後日本の金持ちのじじいらを長年苦しめてきた所得税の累進課税をなだらかにするために、80年代の終わりに竹下首相が消費税法案を無理矢理国会に通した。累進課税はなだらかになって、金持ちはさらに富を蓄えられるようになった(税の再分配機能の低下)。それから時がたち、金持ち優遇策の消費税、格差拡大・弱者切り捨ての消費税という論点は(共産党の努力もむなしく)色あせ、いまや高齢化を支えるためには仕方ないといった論調が支配的になっている。これらの論調は既得権の権化と化した巨大メディアの犯罪的洗脳作戦である(あっけなくそれに染まるのが悲しい庶民である)。

私は消費税の増税だけは絶対に呑むことができない立場の中小企業の社長だ。社長というと聞こえがよいが、従業員は私と妻しかいない、要は一人親方である。消費者に直接、物を売る私たち名もない企業の場合、品質と価格こそ、大企業に打ち勝つ競争力の源である。大企業ならば、テレビCMなどへ莫大な資金を投入し、消費者の一群を洗脳して顧客に仕立て上げられる。

しかし私たちはそうはいかない。とにかくいいものを安く、直接消費者の心に訴えていかなければものは売れない。消費税が上がったからといって、もちろん価格を上げるわけにはいかない。そんなことをしたら大切な競争力である、安さという武器を捨てることになる。

商売上このように、消費税分を価格に転嫁できない零細企業の身分である上に、子も抱えるたいへん重い家計負担を日々強いられている。生活物品に現在でも5%もの消費税がかかっているがこれが上がるとなれば、いよいよ生活は立ちゆかなくなる。

じつに奇妙なのはテレビに(メディアが仕込んだ俳優なのかもしれないが)、街でインタビューされて、増税やむなしと答える若いサラリーマンの人たちだ。サラリーマンこそ、じつは消費税増税で、想像を絶する地獄の縁に立たされることになるのに。

からくりはこうだ。消費税を支払う大企業は、自…

TED

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動画サイトに、世界の知性が次々と貴重なアイディアを発表し始めた。

クラブソニックいわき でのトーク from groove japan on Vimeo.
モーリー氏がかっこいいって言っていたハンス・ロスリング氏のソース。



そして、これがすごい。TED Ideas worth spreading
まさに民主主義って感じ。ネット時代の。

宮崎駿監督、資本主義と思想哲学の狭間で

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「福島県は全部避難しないといけない」



6月に、小金井市のスタジオジブリの社屋屋上に、「スタジオジブリは原発を使わない電気で映画を作りたい」という横断幕を掲げる。この横断幕はJR中央線の東京方面行き電車に東小金井駅で乗って進行方向左を見ていると、出発してほどなく、見ることができる。

年金は金のない若者が豊かな年寄りを養う

年金がやばい。このブログの対象読者はいま20台、30台くらいの若い人。僕たちはもう、払った分の年金はもらえないことは間違いないだろう。こう書くとなんだか、年金は、若いときに積み立てておいて、一定の年齢になったら、それを取り崩してもらえる制度と思うかもしれない。でも実際は違う。日本の年金は、積み立て方式ではなく、賦課方式といって、今年金をもらっている人の原資を、今年金を払っている人の分から充当する。つまり僕たちが今、給料から天引きされて払っている年金はそのまま、今の年寄りの口座に振り込まれているイメージになる。

今の高齢者は恵まれていた。高度経済成長のもと、人口がたくさん増えるという見通しにたって、今より低い年金支払額で年金を払って、そして60歳の定年と同時に年金をもらえるようになった。僕たちは違う。今後人口は減る一方だ。人口が減ったほうがもちろん地球にはいいんだけど、年金には都合が悪い。特に賦課方式だと。もらえる人の数が一定で、払う人の数が少なくなると、一人当たりのもらえる額は減る。そして、今までは60歳からもらえてた。年金の支給開始年齢である。これが法律が改正されて、65歳に引き上げられた。今の制度の年金支給開始年齢は65歳である。でも、政府はさらなる支給開始年齢の引き上げを考えている。67歳から70歳程度まで、支給開始年齢を引き上げようとしたいみたいだ。ドイツやフランス、イタリアでは67歳からだからなどといって(そんな全然関係ない外国の話を持ち出して)、僕たちを納得させようとしている。

支給開始年齢が65歳に引き上げられたとき、定年も60歳から65歳に引き上げられた。企業は、定年を65歳以上にしないといけないことになった。そりゃそうだろう。ずっとサラリーマンだった人が、60歳で定年になり、年金は5年後になったら大変だ。バイトでもしないといけなくなる(すりゃいいんだが)。経団連はこの定年引上げをしぶしぶ飲んだ。では、67とか70に定年を引き上げるのはどうか? どこの企業が、そんな年寄りを雇い続ける余裕があるというのだろう?

それ以前に、僕たちは正社員でいられるかどうかも定かじゃない。企業は規制緩和と新自由主義経済の流れを受けて、正社員を少なくして、派遣社員やパートタイマーに、従業員の身分を切り替えてきた。そうした中で、年収300万円のまま50台を迎えるとか、ワー…

放射能測定器の食品以外の測定拒否理由

小金井市経済課への質問

お世話になっております。質問がありますので以下、おこたえください。

①放射能測定室の測定器で、小学校の校庭の土を測ろうとしたところ、貴課より拒否されました(その後、土は外部機関へ測定依頼することとなりました)。なぜ、測ることを拒否したのか、法令根拠を示してください。

以上

学校給食食材の放射性物質の測定について

小金井市教育委員会学務課保険給食係への質問と回答(7/22更新)

お世話になっております。
7/14の「学校給食食材の放射性物質の測定について」を拝見しました。
以下の質問がありますので、おこたえください。

①このリストに掲載されていないが学校給食用に供されるほうれん草、キャベツ、牛肉、シイタケ、魚の測定予定時期と結果公表方法

小金井市教育委員会学務課保険給食係加藤さん回答
時期、方法ともに検討中

②二学期に使用される食材、三学期に使用される食材のそれぞれの測定予定時期と対象品目リスト、結果公表方法

小金井市教育委員会学務課保険給食係加藤さん回答
時期、方法ともに検討中

③今年秋に収穫される米の測定予定時期と結果公表方法

小金井市教育委員会学務課保険給食係加藤さん回答
時期、方法ともに検討中

7/22に回答が得られたので上記の通り更新した。
返事の内容は想定内だったが、加藤さんにこう提案した。
勝手に給食を持ってきて、秋葉原とかで自費で測定器を買ってきて組み立て、自分で測って公表してみるくらいのクリエイティビティと、子供の食の安全へのコミットメントが欲しかった。

あと、余談だが、給食を、保護者が持ち帰って、放射能測定をしたいと言ったら断ったそうだがどういうことかと聞いたら「給食の目的はその日に児童が学校で食べること。それ以外の目的での供給はできない。日持ちのしないものもあるので万が一のことを考えた」
そこで、「万が一って、千年に一度の大地震と津波で放射能がまき散らかされているのに、この期に及んで、食材を持ち帰った保護者が食べるとでも言いたいのか?」と突っ込んだら「とにかく持ち帰りは認められない」の一点張りとなった。

行政の対応としてまさに典型的だ。教育委員会って、なんのために設置されたのか? 子供の教育と安全のために予算が付いているのに、なんてこと言うんだろう。教育長が、いちいち卒業式や始業式などの式典に、バカげたCO2製造装置の黒塗りのハイヤーに乗って、毎年同じ「式辞」を述べるために設置しているんじゃないと思う。

放射能を食わせたくないから食材を測るために持ち帰ったその親が、「万が一」食って下痢したらいけないって? いつの時代のこと? ご心配にありがとう、でも残念の極みだ。

皿洗い、清掃の実際

月曜日は朝ご飯を食べたあとで家族5人分の皿を洗い、その後恒例の掃除機掛け、床の水拭き作業に入る。そもそも床掃除に入るまでに皿洗いがあるのだがそれ自体、およそ13分かかる。皿洗いの手順は、食洗機と乾燥カゴのなかの食器を元の場所に戻す、テーブルの上の汚れた皿をシンクに移動する、食洗機に入れる、手洗いは手洗いする、テーブルを拭く、大まかにいってそんな感じ。家族人数に応じて、食器類の物理的数量が増え労働負荷は高まる。

その後、リビング15畳、子供部屋6畳、廊下4畳?、寝室6畳を掃除機掛けする。これでおよそ25分くらいかかる。ものを片付けながら行うため、単に掃除機をかければいいということにはならない。子供が床に散らかしたままのものを、逐一、かがんで拾い、とりあえず最寄りのテーブルやソファの上に置く。犬が吐いた後を見つければ、マイペットとキッチンペーパーとくずかごを取ってきて、かがんで拭き取り、キッチンペーパーを捨て、残りのキッチンペーパーとマイペット、くずかごをもとのところに戻す。

その後、amazonで買った、モップ(脚でペダルを踏むと効率よく脱水できる装置の付いたバケツのシステム、3000円くらい)を使って、床用マイペットを撒いて拭いていく。この頃になると汗は顔面にもたれだして、目も開けられないほどになる。

全部の床を拭き終わったあとは、ちょっとした運動のあとのさわやかな疲れが身体を満たす。汗とともに、日頃のストレスや、心配事は消えてなくなる。1.25倍速で再生してヘッドフォンで聴いている放送大学の1回の講義がちょうど終わる。皿洗いスタートから約1時間半くらいたっていた。

今日の放送大学の講義は(すべて録音なのでいつ放送か知らんが)坂井素思教授の組織経済論というやつ(確か)。フリードマンのいう「フラット化」で、組織は小規模化し、リーダー以外は全部同じ立場となり、中間層が消える、身近な人的サービスは外部委託化されて効率化(価格下落)が起こる、そういう話で、まあ掃除をしながらとても共感できた。

こうした皿洗い、清掃の仕事を私はこれまで数年のあいだ、シルバー人材センターから派遣されてくる女性の方にお願いしていた。月々約1.5~1.7万円くらいであった。これをキャンセルし、自分でやることにした。

私はよくいるそこら辺の低学歴男尊女卑のバカ社長と違うから、掃除をしたから売上が増え…

日本だけが脱原発すればいいのか?

モーリー・ロバートソン氏の講演。面白いのに政治や世界の本質がスッと入ってくる。

日本だけが脱原発すればいいのか? イヤよくない。なぜなら日本の電気を作るときに出た放射性廃棄物をモンゴルに埋めるみたいなことするだけだから。

孫氏は自然エネルギーを日本で普及させる一方で、自分のデータセンターは韓国に移し、その電力は原子力OK。

首相は脱原発を表明した翌日、第3国(トルコ)に引き続き日本の原発技術をよろしくと売り込み。福島の人は原発近くにおいてよかったか。福井は? 新宿になぜ原発を置かない?

そして今、日本に置かず海外に置く流れ。モンゴルや韓国の人たちは福島の人たちと違う種類の人権でも?

日本をとりまく資本主義についてもっと考えよう。動画からハイライトを書き起こし抜粋。

「安く作れるなら日本人使わないでいい。海外で作れるならどんどん海外で作らせる。昔は、日本人の職人技が必要だったから、一定の技術は海外で作らせるわけにいかなかった。そういう線引きがあった。でも今はない。今はすべて流動化してボーダレスになってる。ボーダーレス化した世界のなかで、株主以外は流動化している。ただ株主は株主で、こんどは株主も株価が下がれば一瞬で資産がゼロになってしまうギャンブル状態。このみんなギャンブルに巻き込まれた状況のなかで経済発展という幻想を追い求めちゃっている。それしか価値観がないから。こういう状態のなかでこの災害と原発事故が起きた。とんでもないことが起きているんだけれども、流動化し、全体がくっついて緊密化した資本主義のシステムにとって、これは冷徹に、またとないチャンスとしか写らなかったりするんですね。あーなんだこれで、堂々と首にできる。もともと不採算部門だったのをスクラップにしてしまえばいい(cf.どうせ電気も節電でしょう? 工場外に出すよ)、そうしたら利益率上がるからいいよ。もう全部ベトナムで。モンゴルでいい、みたいな。そういうゲームが今後、展開されるような気がします」

ロバート・ライシュの『暴走する資本主義』まんまの世界がいよいよやってきそうだ。

子守と勉強

武蔵野市がこの7月にオープンした「武蔵野プレイス」という図書館へ行ってきた。子供の面倒を見るのは私である。妻は有料(4時間400円)のワークスペースで、フリッツ・ハンセンのチェアに座って英語の勉強だ。

ワークスペースは透明なガラスの壁の向こう側に見渡せるようになっている。子供は勉強する妻の姿を見ていたい、とその場から離れようとしない。子供は「お母さんはどうしてあの場所に入って勉強しないといけないの?」と私にしきりに尋ねる。

私にも分からない。

ほかの大勢のお父さんが、腰を低くかがめながら、小さな子供の手を引いて図書館内を徘徊する姿があった。そうしたお父さんと子供の周囲に、妻らしき女性は見あたらない。

きっと勉強しているんだろう。

エネルギーと人権

エネルギーと人権は、これ、セットで考えるべきだろう。

原発反対とか賛成とか、私はもちろん原発はやめてほしいと思っているが、これをいうのはたいへんなことだと思う。原発は現状維持、推進といった方がはるかに楽だし、経済合理性もある(もちろん短期で)だろう。

一番問題なのは、原発によって民主主義がゆがめられているという部分だ。たとえば福島の人たちは絶対安全だと言われてそれを鵜呑みにし、正しい政策判断の機会を奪われてきた(から自民党など推進派に投票を続けた)。福井のある首長は、将来「カタワが生まれよう」(原文ママ)と今が大事、みたいな趣旨の発言をして、原発を誘致した。今、事故が起きた原発で働いているのは、教育機会に恵まれなかったブルーカラーの労働者たちだし。九州電力は傘下の企業に、原発賛成のメールを送るよう指示。思想信条にもとづく正しい意思決定の権利を著しく毀損した。

もちろん地球は今やとても小さい。日本だけで原発やめて、じゃあ韓国や中国にはあっていいのかというと思わない。世界でやめてほしいと思う。

みんな、この問題を語るときは、必ずトーマス・フリードマンの書いた『グリーン革命』という本読んでね。脱原発というのは本当にたいへんな、しかし必ず人類が取り組まなければならない巨大な革命、グリーン革命のほんの一部でしかないんだ。 

これはたいへんなことだけど、ラッキーにもゴールデンビリオン(地球でもっとも恵まれた暮らしをしている、トップ10億人の人類)の一員に生まれた以上、これは残りの60億人の人たちへの責任として取り組まないといけない。何しろここは、夜、電気ついているし(地球上の大多数の人々にとって、夜電気がついていることの方がめずらしい)。

もっともらしいことをいう無知な大人について

今日は、子ども手当について、無知ゆえにもっともらしいことをいう無知な大人について考えてみたい。

よく散見されるこれらの制度への批判は次のようなものである。

子ども手当:ばらまき。結局誰かが税金で負担しているわけだから、もらわないほうが正しい

まずこうした言説のすべては、一見もっともらしく、口走れば、自分はモラリストでよく分かっている大人のような気分を簡単に味わえる。高校生でもそれはできるが、そこから知能が進歩していない大人が特に陥りがちな落とし穴だ。その発言者の心根の本質はほんとうはルサンチマン(ひがみ根性)かもしれない。きっとルサンチマン的道徳心を満たす男尊女卑の保守メディア(産経、読売、朝日)の「愛読者」に違いない。

子ども手当は、単にばらまきとか無駄遣い、ポピュリズムではない。民主党が考え出した、ベーシックインカムの系譜に連なる社会主義的な政策のひとつである。自民党小泉政権下の新自由主義的政策のもとで、日本では累進課税が平準化されたり、法人税が軽減されるなど、税制の持つ再分配機能が弱められてきた。この結果、貧困がたいへん目立つようになり、格差が進行している。これを少しでも緩和しようとするのが子ども手当である。

こうしたことを理解せず、子ども手当だけがばらまき=税金の無駄遣いと主張するのは木を見て森を見ない議論であり、説得力を欠く。

祝・誕生! The blog 懸念

私は読書家で、仕事(おもに家事育児)一本槍の人間。

本来、ブログだのツイッターだの、フェイスブックに、自分の貴重な知識をばらまいて憂さ晴らしするのは時間の無駄だと思ってきた。しかし近年、何も分かっていない知識のない老若男女たちが、声だけ大きく、アホなことをわめきだした。ネットのアルファブロガーの一部、知性のかけらもないツイッター、終わりが近い大新聞や、完全に公害になっているテレビメディアなどで。

これらの勢力とのたたかいに、いよいよ乗り出すときが来た。これは民主主義を守り、平和憲法を守る私の人生をかけたミッションであり、至上の暇つぶしでもある。

当面訴えたいテーマとしては、日常家事実践報告、消費税増税反対、憲法改正反対、そして地球規模で考えていない誤ったエネルギー政策への徹底した批判を展開するつもりである。適宜、古いジェンダー観や、浅学な民衆に支持されがちなバカげた道徳観にも異を唱えていきたい。