家事の発見

私は家事を、世の旦那に比べればやる方だと思う。何しろ家族の人数が多いので、洗い物や洗濯、掃除の物量が半端ない。

そして共働きなので、自分だけ仕事して疲れたハイ寝ますなど許されるはずもない。

だから人よりもかなり「家事」の負担感を感じやすい立場にいる。いわば、家事へのセンシティビティ(感受性)が高い状態に置かれている。

このブログでは、家事労働について様々に書いているが、筆者のこのある意味現代日本では珍しい部類の立場が大きく影響している。

すべての人にとって、家事が筆者が感じるのと同じように負担だけの無賃労働だとは限らない。今日はその点を強調したい。

ただ、だからといって、家事の負担感や、無報酬性についての思考をやめるというわけにもいかない。家事からの解放こそ私の人生の目標の一つでもあるから。

ただ最近は、家事から自由になるのは、おそらく死ぬまで無理だろうという気がしている。生きている限り、ある程度の家事に取り組まなければ、それこそ生活が破綻し、死期を早めることになる。

最近、アスペルガー症候群の成人男性の家を訪れた。仕事は毎日15時間を超え、多忙を極める。部屋は寝るだけである。家の中は収納は殆ど無く、モノが床に積み重なって堆積している。トイレや水まわりは不潔で近寄るのもはばかられる。寂しいからか、猫を飼っており、その排泄物や抜けた毛がいよいよ不潔さを際だたせる。

こうなれば健康にも影響が出てきそうだ。こうなったら正直死へのカウントダウンが始まっているようなものだろう。

DWELLという雑誌のオンライン版を、年間数百円で購読している。素晴らしいインテリア。建物たち。美しい写真で紹介される、欧米のインテリアデザイン誌だ。

DWELLみたいな世界を常に思い描き、これからも生きるための家事に勤しみたい。家事に前向きになろうというこの投稿は、朝起きてすべての仕事をはじめる前、午前10時ころに書いた。

とここで終わろうとしたのだが、タイトルを見て、本来書きたいことを思い出したので書く。

妻は言う。「家事が負担だの無報酬だのと気にして騒いでいるのは、あなただけだ」

確かに周りを見渡すと私みたいな主婦の知人は皆無だ。みんなそこそこ満足して大変ながらもやっている感じだ。サザエさんのフネさんみたいな感じといえばわかりやすいだろう。フネさんが、家事が大変だ、無報酬だしやりきれないなどというのは想像しにくい。フネさんはもう当たり前の日常、暮らしとしてやっている。その暮らしが全体として満足であれば、家事の不満も出ない。

繰り返しになるが、それだとなんにも進歩しないということを言いたい。それに、フネさんみたいに家事に無自覚なままでは、家事がたいへんなら外国人労働者に任せてしまえばよい、みたいなことにもなりかねない。

そうしたらこれはたいへん大きな問題になるだろう。任された外国人労働者が、例えば本国から家族を呼び寄せるとする。そうしたらそういう人達の社会保障は誰が負担するのか、とか。外国人労働者が、反乱やら、宗教的な集会を地域で大々的に開き出したらどうなるか。

このように考えるだけで、家事は大変だけどまあいいとは行かなくなる。家事ひとつとっても、世界とつながっている。

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