『学力を育てる』(岩波新書)を読んで


 文化資本(親の学歴、家の蔵書量、習慣化された学習)が高い家の子供は好成績(イギリスやフランスの教育社会学の調査から)。
 小学校1-3年くらいの家庭の環境が学力にとって圧倒的に重要だという主張。
 言葉を丁寧に積み上げて(精緻モデル)論理的に話し、子供の話を訊いて話し好きにする。子供と積極的に話す(家族だからフロ飯寝るじゃダメ。あうんの呼吸はNG)。
 活字に慣れさせる。あらゆる習い事に優先して本を好きになれるような環境を整える。
 親も勉強するし、いっしょに勉強する。勉強する姿を見せて、それが当たり前の習慣になるようにする。勉強を習慣にする。「宿題をしないと気持ち悪い」「問題があるとつい解いてしまう」、意欲よりも行動が先立つようにする。ご飯を食べるのをいやがる子供がいないのと同じで、勉強が元もと嫌いな子供はいない。
 規則正しく生活して朝ご飯もきっちり食べる。テレビやゲームは時間を決めて限定的にやる(ダラダラ見ない)。
 ──『学力を育てる』(岩波新書)に書いてある、以上のようなことを我が家はもちろん実践しているわけで、おかげさまで?子供の成績は悪くはない。
 じつは今は親になった私も、比較的高い文化資本のなかに育まれてそこそこの学業成績を修めて社会に出、そして親になり、この何かの再生産にいそしんでいるところである。ただ、親になってみたはいいんだけれどもそこではて、と立ち止まることの多い日々である。つまりまあ、その(まあマシな学業成績を修めることの)先に、いったい何があるのか、を考える必要がある。
 この問いに対して私は結構悲観的なほう。学力を育てるのはマスト(必須)であるのだが、人生それだけでもない。もっと何か必要なことがある気がする。もっと。それがなにか? これが難しいところだ。
 哲学関連の書籍を読むと、それを考えることこそが哲学であり人生、みたいなこといってる本も多い。なるほど確かに、その答えをいろんな本を読んで探し求める営みそれ自体は必ずしも不愉快なことではない。不幸にも病や事故で若くして命を落としてしまう人もいるなかで、こうやって生きて、人生の行方や意義をあれこれ思索することが出来ているのは何とも贅沢なことだし、もしこのあと急に人生が終わってしまっても、考え続けてきて結局分からなかったが、そうした人生も不意に終わってしまったのならそれはそれで納得できる気がする。
 分からないということが分かったから。
 話を戻すが、学力を育てる、では、とにかく子供に活字に慣れさせる、読書を習慣化する必要性を訴えている。そうなんだ、娘の友達を見ていてもよく分かる。近所に出来た感動的にすばらしい公共図書館に行こうと娘が誘っても、その子供(註:ワーキングクラス出身)は借りる本がないとか、借りてもどうせ読まないから、と、渋々ついてはきたところが、私の娘が借りた本(一度に十冊借りられる)を重たいでしょうからと運ぶのを手伝ってくれた。
 本は読まないが、優しいいい子じゃのう。

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