禅と家事

NHKテキスト「トラッドジャパン」2012年11月号によれば、比叡山永平寺(厳しい禅の修行で知られる)で修行する200人の僧の1日のスケジュールは、朝四時の起床からはじまる。

朝四時に起きると壁に向かって3時間の座禅。「有数の高僧」を調理長とする9名の厨房専任僧(座禅も獨協もしない)がこしらえた精進料理の朝食。メニューは玄米の粥(おかわり可)、香の物、胡麻塩のみ。

そして食後は、自分の食べた皿を少量の水のみで洗い、あとはもっぱら境内や建物の掃除を行うのだ僧(そう)。

掃除などの作業は、禅の修行において特に大切にされ、「動く座禅」といわれている。開祖・道元は日常の営みの中にこそ禅の心の本質があると説き、これに真剣に向き合う環境として山深い寺を開いた。

これを読んで私はギョッとした。僕こそ、禅の修行僧だ。

主婦なら知っているだろうが、主婦の生活はまさしく禅僧。私もそうだ。

まず朝は6時半に起きる。すぐに、ベットで子供たちを起こす(起きてー起きてーと、いうことが毎日変わらないという点でお経である)。その後、食事したあと自分で皿を洗い、あとはひたすら家事。そのあとやっと、仕事らしい仕事がはじまる。私の仕事は上司のいない社長業。社長業はほとんどが非定型的な雑用ばかりで、これは修行とはまったく異なる活動だ(ただし私の場合、経理、ウェブ更新、文字校正など定型業務も非常に多い)。ここだけは僧とは異なる。

しかし、仕事のあとは再び家事が待っている。禅の時間のスタートだ。

とにかく、暮らしていると家事をしなければ、家はどんどん汚れて、生活も健康も損なわれるのが自明の理である。どんなに欲望を花開かせても、家に帰れば家事をやらないといけない。だったら欲望なんて持たずに家事をやって暮らせばいい。欲望を持つこと自体がむなしい。家事がむなしいんじゃなくて。これって、何もそんな偉い僧が、どっかの寺にこもって「修行」しなきゃならないほどのことではなかろう。ちょっと考えれば分かりそうなものだが。

ああでも、私もそうだが、この無為で、むなしい営みを続けていくうえでは、どうしても行為に「意味」が必要になってくる。人間、無意味こそもっともつらい。ナチスドイツのユダヤ人拷問でもあった、午前中に掘らせた穴を埋め戻させる作業を毎日永遠に続けさせるというのが。結局家事労働もそれに近い物がある。

私の苦行のやり過ごし方は、もっぱら家事中は、放送大学の、好きな人文社会系の講義を聴くこと(涙)。無宗教なもので。

他の人はどうなんだろう。宗教がそこに「意味」を与えないと、やっていけない人生を送っている人はいっぱいいる。無為に意味を与える。それが宗教。

トラッドジャパンのテキストを読んで明日からの家事を励まされたいい気分になった。ありがとう、道元。

最近は一人暮らしの若い人のワンルームがゴミ屋敷化するニュース見ると、人間は弱いから、一人で放置されると家事も出来なくなってしまうんだろう。そこで、やっぱり、家事やるために、山深い寺とか、何百年も続く仏教の教えにもとづく集団生活のようなご大層な「装置」が必要なんだろう。家事が出来ない人が、山にこもって集団で、グループセラピー的に家事をする寺。比叡山延暦寺の私の見立てだ。

家事を毎日することから生ずるむなしさの、負のパワーってマジでそれだけ巨大なんだ。

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