人がモノを買う理由と家事


  1. 人は痛みから逃れたいがためにモノを買う
  2. 人は快楽を得体がためにモノを買う
  3. 人は時間を短縮したがためにモノを買う
ダイヤモンド・オンラインに書いてあった、「人がモノを買う3つの理由」。
私が日夜苦しんでいる「家事育児」だが、おっと、苦しんでいるなんて書いて、そこに突っ込んでくる人もいるだろうから解説しよう。

私は家事育児が多分、生来、苦手だと思う。都立高校時代には、東京都の施設を清掃するのは納税者(の子弟)である生徒ではなく、都が税金からコストを負担して外部の業者にやらせるほうが合理的だといって周囲から白眼視された経歴もある。

要するに私は少し頭がおかしのかもしれない。医学的にいうと、わずかに「自閉症」の傾向がある。アスペルガー症候群とか、ADとか、最近はこういう専門用語も人口に膾炙するようになってきたから、分かる人はわかるだろう。

もっと普通にいうと、堪え性がないから、一個のことにずっと取り組み続けるのがとても苦手だ。飽きやすい。

そういう私だが、この苦手な家事育児に、なんの因果か、普通の日本人男性の平均(一日の家事労働時間平均30分)の6倍ほどの時間を費やしてもう十年になる。これってちょっと偉くないか…?

で話を戻すが、家事育児は、最初に書いたように、モノを買いたくなるすべての理由を備えている。すなわち家事育児は、
  1. 家事育児は逃れたくなる痛みそのもの
  2. 家事育児には快楽がないので、欲求不満となる
  3. 家事育児は確実に時間が掛かる
そして最大の問題点が今明らかになった。それは、何かモノを買えば家事育児のこの三苦から逃れれられるかというとそうではないということ。ちなみに家政婦を雇うことで外部化する手段もあるがカネがかかり過ぎて今の私には非現実的だ。

かなしいかな、結局家事育児は外部化できない。投下する自分の労働力に代替させることができない。逃れられない。

その点、永平寺の禅僧は、うまいこと言ったと思う。つまり掃除や炊事も(つまり家事も)、修行の一つだと(禅僧のきびしい修行で知られる永平寺では、僧たちは座禅や食事以外もっぱらは掃除をさせられている)。

ただ前述したように頭が少し壊れ気味の私にとって、修行ということでありがたがってこれに取り組もうという気には、どうしてもなれないのが悩みなのだが。私は死ぬまできっと苦しみ続けるに違いない。

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