2013年2月27日水曜日

hp Pavilion Sleekbook14を買った

なんでかというと、これで経理やFPの仕事をしようと思ったから。外でやれるといいなと。
ウルトラブック系だとこれが初めてである。

薄くて軽い。素晴らしい。しかし、なんだろ、キーボードは打ちにくい。

Windows8とかいって、これである必要って全くないな。

ちなみに価格は大体3万強であった。驚いたのは、DVDがついていないこと。まああたりまえなんだが。

でも、こんな小さくて軽いのに、4メガメモリ、500GBハードディスク。いうことないな。

2013年2月9日土曜日

全損世代

東北大学大学院で加齢経済論、少子・高齢社会の経済分析が専門の吉田浩教授によると、いま、概ね40歳以下の世代は、負担が受益を上回り、純受益が生涯でマイナスとなる「全損世代」といっていいという(AERA 2013.1.28 27ページ)。

若い給与所得者は、税金や健康保険料、年金を天引きされる(収入の2割くらい)から自覚がない(ように制度設計されている)のだが、給料から引かれている金は将来戻ってこないということを肝に銘じなければならない。

いわば無痛で国家的詐欺にあっているようなものだ。政治家や政党は、自分たちが次の選挙でも受かりたいという私利私欲で、高齢者ばかりを優遇。数が少なく票に結びつかない若者への施策はインセンティブが働かず、しないまま。有権者の高齢化が進む民主主義社会の悪夢で、いまの日本の現実である。

「全損世代」は、高齢者以上に弱者である。マスコミや、世間の通り相場とは異なった、若者の惨めな相貌が厚生労働省がまとめた「所得再分配調査」(08年)から見えてくる。

30歳から34歳は、当初の所得471万円から税を払い社会保障を受給したあとに、所得はおよそ40万円減の429万円となる。ところが、65歳から69歳の高齢世代は当初所得の252万円が税と社会保障による再分配後には約200万円アップの451万円と増加し、しかも税負担もしながら子育てする30歳世代の429万円を超える。
若者は、子供をやっとの思いで育てながら、税金や社会保障コストを納める。高齢者は、そういうカネを再分配してもらい、若者よりも豊かに余生を過ごしている。政治家は、数が多い高齢者のために、公正さに欠いたこの歪んだ再分配を追認する。

若者よ、いまこそ立ち上がれ(ハハ、ハ‥)。じゃないや、座ってよう。シルバーシートで、立ち上がって高齢者に席を譲ってる若者がいるが、ドM? あと、立ち上がれ日本という、高齢者ばかりの政党があったけど、ある意味正しい。高齢者はいまこそ立ち上がって、若者に席を譲れ。

2013年2月6日水曜日

遺言どうやって残す?

財産が親(自分)に僅かでもあるのなら、ちょっとカネがかかる(信託銀行に遺言執行者になってもらう場合百万円以上)とはいえ、遺言を残し、信託銀行に「遺言執行者」になってもらうのが一番いいというのが私の結論である。

遺言の種類は三種類あるが、公正証書遺言を作って、そのなかで信託銀行を遺言執行者に指定する。このパターンは最もコストがかかるが、間違い無く確実で手間がかからない。最初に信託銀行にいって、頼めば、遺言書から何から何まで全部銀行で作ってくれる。こっちは作ってくれた書類に本人が判子を押しさえすればよい。

死んだあとの財産の確定や、計算、評価、分配には膨大な事務が発生する。事務が好きな人なら別だけれども、プロ(遺言執行者)に任せてしまったほうが楽でいい。

結婚したら、身分関係が変わる。他人が義理の親族になる。これは要するに、財産関係も当然に関わってくる。婿になったら、嫁になったら、いったい自分がだれから、どういう財産をのこしてもらえるのか、それが大体いくらなのか。

また、介護などで誰の世話を誰がすることになっているのか。その費用は支払われるのか。それとも家事と同じで、アンペイドワークなのか。その場合に、世話をしなかった、遠くに住んでいて音沙汰もない別の親族が遺産をもらって、(血のつながりがない)自分は一円ももらえなくても構わないのか?

結婚したらそういうこと、つまりは増える親の世話と財産のことを必ずよく考えて、法律的にがっちりしておけば、ものすごく嫌われるかもしれないが、トラブルにはならない。

前段で、嫌われるかもしれないと書いた。世話をだれにするのか。財産をどう分配するのか。将来、黙っていればおそらくは立場の弱い嫁に降りかかるであろうこのアンペイドワークや、遺産相続についての予防法務をしっかりしたほうがいいと言い出した人を毛嫌いする人がいたら、そいつこそが、将来、その財産についてトラブルを起こす人だと思って間違いない。予防法務を嫌う人、めんどくさいと思う人こそ、オルテガがいう、「権利ばかりを主張する(無能で怠け者の)大衆」その者である。

無知で怠慢で欲深い「大衆」から自分を守ってくれるのは、法律であり、自分で構築する合法的な法のフレームワーク(遺言書とか)である。

ただ現代は、親が終末期を迎えるはるか手前で、「大衆」である子が離婚するケースが増えている。自分の子供や身内に、オルテガが警告する「大衆」が潜んでいないのか? まずはその確認だろう。

親が血のつながりのない再婚者で、その人に連子がある場合(義理の兄弟姉妹という関係)に最も注意しなければならないのは、血のつながりのある親が、再婚者より先に死んだ場合だ。その場合、自分の(死んだ)親の金の半分は、その再婚者に行く。そして、その再婚者が死んだ場合は、すべて連子に行く。連れ子の兄弟は、血のつながりのある親の金の半分を持って行ってしまう。血のつながりのある兄弟の人数が多い場合、目も当てられないトラブルに発展する。これを防ぐには、自分と再婚者のあいだで養子縁組をするか、またはきちんと遺言書を残してもらうことだ。これも信託銀行に頼むのが一番良い。

ちなみに最後に。めでたく遺言が入ったあと、信託銀行から猛烈に金融商品買ってくれのラブコールを受けるが、これはまた別途、慎重に判断しないとたいへんな事になる。相場が良ければいいが、下手な商品を買うと、せっかくの資産を減らすことにもなる。「大衆」はしかし、そこで銀行の営業マンの甘言に乗ってしまい、資産を減らすのが世の常だが。

2013年2月5日火曜日

JAとか公共施設の建物ばかりなぜ立派?

物心ついた頃から違和感をおぼえていたことの1つに、なぜ、公共施設の建物ばかりやたら立派なのかということだ。

警察署も、文化会館の類も、農協も、外装はタイル張りだったり、おしゃれな技巧を凝らしていたり、ガラス張りだったりする。

いったい個人でそんなコンクリートの建物を建てようものなら、何億円もかかるからあり得ないのである。

40歳になって思うが、こうした公共とか、農協、郵便局の類の建物がやたら立派なのは理由があることが分かった。日本独特の理由である。

それは、単年度予算とか、省庁の縦割りの弊害、土建偏重の政治がもたらした、公共部門の圧倒的な不効率である。金の使い方が間違っているのである。だから、そんな無駄なものにばかり税金が投入されて、しかもそのせっかくのお金は、無駄に使われることをほとんど宿命付けられているとすら言える。

恐ろしいことに最近では、金が足りないから、借金までしなければならい。金をドブに捨てるために、一部の保守層や特定業界団体のために、あるいは単に、「前例踏襲」ということ以外になんの理由のないことのために。

池田信夫氏が書いている(池田信夫blog part2「北欧はなぜ成功したのか」)。

アメリカやEUが不況から抜け出せないのに対して、北欧諸国が元気だ。上の図のように一人当たりGDPは世界の上位を占め、成長率も高い。その最大の原因は政府の効率性だ、とEconomist誌はいう。政府への国民の信頼度は高く、「政府を信頼する」と答えた国民の比率は50~60%とEU平均の2倍近い。

この一つの原因は政府が小さく、地方分権化されていることだ。人口が最大のスウェーデンでも900万人と大阪府ぐらいで、それがさらに小さな州にわかれて予算の独立性も高いので、国民は「足による投票」で地方政府を選べる。政府予算は公共事業や補助金ではなく所得の直接再分配に使われているので、負担と受益の関係がわかりやすい。 
昨日も書いたけれども、秀才が集まるはずの東大を出たエリートが、国民から召し上げた税金をこぞって分捕り合いしていて、目も当てられないことになっている国。それが日本ということ。

私は、東大とか全然受からなかった。目指していたメディア企業もダメだった。でもここまで国民として、バカにされなければならない理由はないと思う。

2013年2月4日月曜日

土木官僚と小金井コンパス

高校時代の私の親友は非常に優秀で、東工大を出たあと国家公務員試験一種に合格し、官僚になった。

彼は大学でコンクリートについて勉強した。彼はいう。「コンクリートの耐用年数は50年ときまってる」

いま、笹子トンネルを始めとして、日本中のコンクリートの都市・交通インフラ構造物がどんどん壊れ始めている。

私は官僚の彼に問うた。どうなってるんだなんでこうなるんだと。耐用年数がわかっているのなら、なんで人が死ぬまで放置されてきたのかと。

そうしたら彼はこう言った。

「役人がみんな馬鹿だからに決まってるじゃん」

驚くべきことに、役人の日常は、決まりきった仕事を定時までに終えさえすればそれでよく、どこぞのコンクリートの耐用年数なんてまったく誰も気にしていないのである。

何か共産主義時代のソビエトのジョーク集を読んでいる気持ちになった。

そればかりじゃない。政権が変わり、時代もすっかり変わったのに、役人たちは旧態依然とした予算の分捕り合いに明け暮れ、やれ新しい橋だの道路だのを盛んに作るばかりで、首長も官僚のトップもひとりとしてメンテナンスだとか、国・地方の借金の問題など口にしない。そんなことを口にしたところで、いわゆる省益にもならないし、自分の次の選挙にもプラスにならない。

私たちの社会にとってプラスになりそうなこと、国民国家の幸福の持続可能性に関わるテーマは、いまの役人や政治家のあいだでは、「タブー」にすらなっているのである!

いったい、こんな日本て、終わってないか?

私が薄っすらとしかし確信として持ち始めていた、この「日本、終わってる」感は、高校時代の親友が土木官僚になってリアルな本音を聞くことができた今日、まさに正しかったことが証明された。

日本は構造的に、終わりが始まっている。これは間違いない。

ところで、なんでこうなっちゃったのかについて、私はこう考えている。

これは、ひとえに、戦後の日本で男が女性に家事労働(=アンペイドワーク、シャドウ・ワーク)を押し付けてもっぱら家に閉じ込め、男の自分だけがドヤ顔で自己承認欲求も満たされる「仕事」を独占してきたことの必然的な帰結だと。

もちろん女性も主婦の方が楽だし、いまもってなお、女性の「男に養ってもらいたい」願望は強いが、そんなんじゃまったくダメだ。そうした旧態依然とした父権家族への依存は、こんにちさまざまな統計データを見てもその破綻は明白だ。例えば年代によっては半数にのぼる離婚率。増える一方のDVなど。盲目的に主婦願望にとりつかれた女性たちは、もはや社会的および情報の、二重の弱者である。

こういう女性たちをフェミニスト連中は「意識が低い」とかなんとか、いって、上から目線で関与しないのだがそれはけっきょく、将来自分たちが負担させられることになる扶助費という形で、しっぺ返しが来る。つまり、離婚してシングルマザーになったり、DVで病院通いになったらそのコストは誰が負担するのかと言ったら、そういう目に遭っていない「意識が高い」自分たち国民が負担するんだから。だからいまのうちに、女性たちは連帯して、いやマジで、立ち上がらないといけない。

意識が低い人たちを見て見ぬふりして、現状追認のまま行くのは、必ず自分たちがそのコストを負担する形で損になる。扶助費をどうやって集めるかって言ったら、生活する人消費する人すべてが負担を避けられない消費税で集められるんだから。税金は色んな種類があるけれども、消費税くらいしかもうまともにカネを集められないという現実があるんだから。

深夜に書いているから、コンクリぶっ壊れる>女性蔑視はイカン>消費税>みんなが損する的な暴論になってしまった。最後にもう寝る前に一言。

さいわい小金井市には小金井コンパスという素晴らしいメディアがある。まずこちらの記事を読んでもらいたい。日本のインフラも、社会も、男女平等なくしてもはや持続不能である。

2013年2月3日日曜日

驚くほど片付く!部屋の整理と捨てる技術

今日は、驚くほど片付く、部屋の整理と捨てる技術と題して皆さんといっしょによりよい明日のために行動したい。

近年、一人暮らしの若者のあいだで、「ゴミ屋敷化」が広がって一部社会問題化している。部屋に入ると腰の高さまでゴミが積み重なっていて、その中で暮らしている若者をテレビの番組で見たことがある。

堆積物の内容は、インスタント食品のパッケージや、ペットボトル、新聞雑誌、書類、着なくなった衣類などである。つまり人間が生活していく上で必ず出てくるゴミの数々だ。書類のなかには必要な物もあろうが、そうしたものは財布に入れるなどしているから大丈夫だったりする。

テレビ番組では、ゴミ屋敷化する人たちにはある共通のきっかけがあると指摘していた。たとえば、あるゴミの日に分別を間違えて、管理人に注意されたり、何度かにわたりゴミを出し損ねているうちに収拾が付かなくなってしまう。そういうことに加え、仕事で失敗したり、恋人に振られたりすることが日常の雑事をやろうという気力をスポイルしてしまうとゴミ屋敷コース確定だ。

ゴミだらけの部屋の様子を急に見せられれば驚くが、中で暮らしている本人にしてみれば、昨日今日で急にそうなったわけではない。長い年月のあいだに、次第にそうなった。だからスッカリ慣れっことなっている。こうなると問題を解決しようという意欲もわきにくい。

また、自閉症の患者の一部には、一度手に入れた物を「捨てる」ということが、まったく出来ないケースも報告されている。私は医者でもない素人なので、なんという症状かも不明だし、そういうのが本当にあるのかは分からないが、そもそも人間は本能的に、一度自分の物になった物を奪われたり失うのは本能的に受け入れがたい、というのが自然で、それを整理したり捨てるのは、本能に逆らった営み、つまり理性を働かせてはじめて出来る、自制的行動といえる。

子供や、自制心に障害(セロトニン不足?)がある患者が、物を片付けられないのは何となくうなずける話だ。

さて、そういうことで私も家族に、自閉症とまではいかないが、子供とか、それっぽい同居人がいるため、常にゴミ屋敷化の危険を感じている。とにかく、子供も同居人も、私が物を捨てることにいつも強く、反対する。何を捨てようとしてもダメである。近年特に困るのは、熊本の実家から送られてくる、義父が趣味ではじめた焼き物や、好物と思って送ってくる乾物、土産物のお菓子など。これらを捨てることは家内政治的には不可能な話である。

そこで、ネット上を探索して、最近の整理術のあらましを以下にまとめてみた。

最初のステップは「広げる」。ここで重要なのは、まず、片付けると決めたら、時間と場所を確保する(決める)ことである。いつ、部屋のどこを片付けるのか。いっぺんに全部は無理なので、たとえばリビングの収納棚の上を週末の土曜日の午前中にやるとする。

それまでにゴミ袋や、マジック、シール、小分けできる収納(100円ショップで手に入れる)を用意してもよい。そして当日本番、対象の収納の中身を全部出して床に広げる。

収納の奥の方にあってまったく使わないものなどは即座に捨て、床にすら、おかない。各ステップから横に赤い矢印が伸びて、捨てるという動作につながっているのを見てほしい。捨てられる物は、常に捨てることが重要だ。

次に、分けるという段階。使えそうな物、その収納にあったほうが便利な物は、種類毎にまとめて、買ってきておいた小分け収納に入れる。分けてみて、それぞれのグループを収納するための小物入れが足りない場合は、すぐに買いに行って調達すること。

最後の「しまう」のステップへ進もう。収納にはシールラベルを貼って、マジックで内容物を書く。使ったらそこに戻せばよい。物には必ず、「住所」を与えることがポイントだ。

ここで、問題になるのは、シールにいちいちマジックで、物の名前を書くときにこみ上げてくる面倒くささ。これはかなりつらいものがあるが、我慢しないといけない。持続可能な、センスのよい空間デザインシステムを作ると念じて乗り越えよう。

さて、「しまう」からも捨てるに矢印が伸びていることに注目してほしい。熊本の愛すべき義父から送られてくる、絶対に捨てられない自作の焼き物なんかがあるとする。ごはん茶碗やちょっとしたコーヒーカップ、花瓶などなのだが、そういうものはもちろん「足りている」。しかし、突然ある日、収納スペースもないのにドーンと段ボールにいっぱいはいって送られてくる。使って下さいといわんばかりに。作ったバイ、ドヤー、子供たちの名前も入れとったけんという御声がきこえてくる。

ほかにも、単に板状の焼き物に、ありがたい言葉、「ほっこりする」詩のような単文が書いてある焼き物とか、木の造作物(土産物系)などもやってくる。Dwellを愛読する私から見ると、絶対に身の回りには置いておきたくない筆頭のアイテムたちである。

そういうものも、あえて、収納ボックスを用意してしまい、ボックスに堂々と、「2013.1.31 じじの作った焼き物」などと書いたシールを貼って、納戸などにおいておこう。日付は収納日。

家族が万が一、あれどこ行ったと言ったときもまったく問題ない。私はそのボックスからすぐに取り出して、ほらあるよいうだけ。みんな、安心する。ただ、こういうことは滅多にないが。

そして、2年とか3年くらい経ってみて、じじも送ったことを忘れ、家族ももらったことを忘れ、だれもその物に言及しなくなる。つまりその物の存在が家族全員の記憶から消え失せた頃合いを見計らって、上の図の赤い矢印の先へと、ひっそりと進もう。

このようなことに定期的にとりくめれば、散らかってて何がどこにあるか分からない部屋や収納も、すばらしく構造化された、心と体と財布にやさしい、人に自慢できる部屋へと大変貌する。