驚くほど片付く!部屋の整理と捨てる技術

今日は、驚くほど片付く、部屋の整理と捨てる技術と題して皆さんといっしょによりよい明日のために行動したい。

近年、一人暮らしの若者のあいだで、「ゴミ屋敷化」が広がって一部社会問題化している。部屋に入ると腰の高さまでゴミが積み重なっていて、その中で暮らしている若者をテレビの番組で見たことがある。

堆積物の内容は、インスタント食品のパッケージや、ペットボトル、新聞雑誌、書類、着なくなった衣類などである。つまり人間が生活していく上で必ず出てくるゴミの数々だ。書類のなかには必要な物もあろうが、そうしたものは財布に入れるなどしているから大丈夫だったりする。

テレビ番組では、ゴミ屋敷化する人たちにはある共通のきっかけがあると指摘していた。たとえば、あるゴミの日に分別を間違えて、管理人に注意されたり、何度かにわたりゴミを出し損ねているうちに収拾が付かなくなってしまう。そういうことに加え、仕事で失敗したり、恋人に振られたりすることが日常の雑事をやろうという気力をスポイルしてしまうとゴミ屋敷コース確定だ。

ゴミだらけの部屋の様子を急に見せられれば驚くが、中で暮らしている本人にしてみれば、昨日今日で急にそうなったわけではない。長い年月のあいだに、次第にそうなった。だからスッカリ慣れっことなっている。こうなると問題を解決しようという意欲もわきにくい。

また、自閉症の患者の一部には、一度手に入れた物を「捨てる」ということが、まったく出来ないケースも報告されている。私は医者でもない素人なので、なんという症状かも不明だし、そういうのが本当にあるのかは分からないが、そもそも人間は本能的に、一度自分の物になった物を奪われたり失うのは本能的に受け入れがたい、というのが自然で、それを整理したり捨てるのは、本能に逆らった営み、つまり理性を働かせてはじめて出来る、自制的行動といえる。

子供や、自制心に障害(セロトニン不足?)がある患者が、物を片付けられないのは何となくうなずける話だ。

さて、そういうことで私も家族に、自閉症とまではいかないが、子供とか、それっぽい同居人がいるため、常にゴミ屋敷化の危険を感じている。とにかく、子供も同居人も、私が物を捨てることにいつも強く、反対する。何を捨てようとしてもダメである。近年特に困るのは、熊本の実家から送られてくる、義父が趣味ではじめた焼き物や、好物と思って送ってくる乾物、土産物のお菓子など。これらを捨てることは家内政治的には不可能な話である。

そこで、ネット上を探索して、最近の整理術のあらましを以下にまとめてみた。

最初のステップは「広げる」。ここで重要なのは、まず、片付けると決めたら、時間と場所を確保する(決める)ことである。いつ、部屋のどこを片付けるのか。いっぺんに全部は無理なので、たとえばリビングの収納棚の上を週末の土曜日の午前中にやるとする。

それまでにゴミ袋や、マジック、シール、小分けできる収納(100円ショップで手に入れる)を用意してもよい。そして当日本番、対象の収納の中身を全部出して床に広げる。

収納の奥の方にあってまったく使わないものなどは即座に捨て、床にすら、おかない。各ステップから横に赤い矢印が伸びて、捨てるという動作につながっているのを見てほしい。捨てられる物は、常に捨てることが重要だ。

次に、分けるという段階。使えそうな物、その収納にあったほうが便利な物は、種類毎にまとめて、買ってきておいた小分け収納に入れる。分けてみて、それぞれのグループを収納するための小物入れが足りない場合は、すぐに買いに行って調達すること。

最後の「しまう」のステップへ進もう。収納にはシールラベルを貼って、マジックで内容物を書く。使ったらそこに戻せばよい。物には必ず、「住所」を与えることがポイントだ。

ここで、問題になるのは、シールにいちいちマジックで、物の名前を書くときにこみ上げてくる面倒くささ。これはかなりつらいものがあるが、我慢しないといけない。持続可能な、センスのよい空間デザインシステムを作ると念じて乗り越えよう。

さて、「しまう」からも捨てるに矢印が伸びていることに注目してほしい。熊本の愛すべき義父から送られてくる、絶対に捨てられない自作の焼き物なんかがあるとする。ごはん茶碗やちょっとしたコーヒーカップ、花瓶などなのだが、そういうものはもちろん「足りている」。しかし、突然ある日、収納スペースもないのにドーンと段ボールにいっぱいはいって送られてくる。使って下さいといわんばかりに。作ったバイ、ドヤー、子供たちの名前も入れとったけんという御声がきこえてくる。

ほかにも、単に板状の焼き物に、ありがたい言葉、「ほっこりする」詩のような単文が書いてある焼き物とか、木の造作物(土産物系)などもやってくる。Dwellを愛読する私から見ると、絶対に身の回りには置いておきたくない筆頭のアイテムたちである。

そういうものも、あえて、収納ボックスを用意してしまい、ボックスに堂々と、「2013.1.31 じじの作った焼き物」などと書いたシールを貼って、納戸などにおいておこう。日付は収納日。

家族が万が一、あれどこ行ったと言ったときもまったく問題ない。私はそのボックスからすぐに取り出して、ほらあるよいうだけ。みんな、安心する。ただ、こういうことは滅多にないが。

そして、2年とか3年くらい経ってみて、じじも送ったことを忘れ、家族ももらったことを忘れ、だれもその物に言及しなくなる。つまりその物の存在が家族全員の記憶から消え失せた頃合いを見計らって、上の図の赤い矢印の先へと、ひっそりと進もう。

このようなことに定期的にとりくめれば、散らかってて何がどこにあるか分からない部屋や収納も、すばらしく構造化された、心と体と財布にやさしい、人に自慢できる部屋へと大変貌する。

このブログの人気の投稿

太陽光発電導入記完結編 発電開始!HEMS AiSEG設定奮闘記

家庭裁判所が決める成年後見人、成年後見監督人月額報酬

アキバチューナーカンカン設定奮闘記【重要追記あり】