変わらないこと

この文明社会では変わることが盛んに喧伝、推奨される。人は放っておけば、日々の日常の定型のなかに安住し、変わらないこと、変えないことだけを人生の至上価値とするようになる。

子供が通う公立の小学校で、卒業式に参列した。内容は感動的なもの。自分も30年前に通った母校の変わらない佇まい、学校の運営の盤石さに、安堵し、満足した。

こうした変わらないものの良さ、価値を実感するのに、学校は良い場所と機会を提供する。

ところが、変わらないもののよさをみんなで味わって幸せを噛み締めるこの式典で、このあと私は異例の変化の兆しを目撃することになった。

それは式のクライマックスで、卒業生が壇上から、メッセージを後輩と保護者に語りかけたり、歌をうたう場面で起こった。

ひな壇に並ぶ、およそ130名の卒業生。最前列にいた、グレーのジャケットを着たメガネの女児が突然口をふさいでしゃがみこんだ。駆け寄る教職員。すでに、想定内だったのか、舞台の袖には毛布とバケツが予め用意されており、女児はそこへ誘導された。

その後も、ドン、という音とともに倒れる児童、ふらついて教職員に保護されたりする児童が相次いだ。さすがに驚いた。

なにか変わったり、変なことがあってはいけない式典で、バッタバタ子供が倒れていく。感動的な歌が場内に響き、式典は進行するが、尋常ではない雰囲気が広がる。

何かが、変わっている。いくら、式典で変わらないことに対する、普通という幸せへの偏執を集団で陶酔しようとしたとしても、変化は、抗いがたい力で、人間の暮らしのすぐそこまで、やってきている。

無職の父と、田舎の未来

この衝撃的なブログを読み、また、日本の人口がこのあと百年で、明治時代くらいまで減ってしまうことが政府により見通されていたことを知って考えたのは、私たちの暮らしに訪れる危機の最大のものは、やはり人口減少なのではないかということである。

国土交通省 人口減少下の人口の分布の現状と展望(PDF)

つまり人口減少がこのまま進むことにより、人々の安寧のよすがとなっていた、変わらないことの象徴である学校の、卒業式はもとより学校そのものが廃校で消えてしまうことが、もはや避けがたい未来としていまそこまで来ている。

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