2013年5月30日木曜日

ピア効果をくらしや仕事に取り入れる

私のように会社経営者として何でもかんでもやっていると、いろいろとやらないといけないことの内容が自己完結的になり、人からは、何をやっているか理解されず、自分では自分でやっていることが陳腐すぎて飽々してきて、人としての生産性が加齢とともに落ちてくるということがある。

私の場合は、複数の会社の代表者として、事業を組み立てて運営し、しかも決算申告までしてしまうので、周りから見ると何やらすごいということになるかもしれない。しかし、やっていることは一つ一つが非常に簡単でシステム化されており、長くても数日で終わってしまうタスクばかりである。ほとんどのタスクは数分で終わらせることが出来る。それ故に、自分で1人で全部できてしまうわけだが、やっていて当然つまらなくなってくる。とにかく面白く無いのだ。

毎年、同じ時期に同じことをしているなという感想を持つことも多くなってきた。白髪の数と比例して。げんなりである。

そういう毎日のなかで、本の片付けとか、新規商品の撮影といったことが数ヶ月間にわたりまったくできない膠着状態が発生した。本は片付けて(捨てて)、わざわざ保管のために借りているスペースの保管コストを節約しなければならないし、新規商品の撮影は会社としてはきわめて重要な活動だ。

これができない。自分としてやばいと思っていたところ、先日、NHKの「オイコノミア」でピア効果というのについてやっていた。

ピア効果を一言でいうと、こういうことである。要は、1人でやるよりも、同じ志や目標をもつ人たちとみんなでやったほうが、生産性や成績が高まるということが科学的に明らからしい。

たしかに、予備校時代に、1人で勉強するのはまったくはかどらず、予備校の自習室に行ったり、図書館に行ったりして勉強していた。そして、今の私は、1人故に、簡単なこともできなくなってしまいつつある。

なるほど、1人でやろうとしている環境を、変えればいいのだと思って、さっそく時給を払って友人に補助してもらったり、親戚に来てもらってやっていることを見てもらったりした。

そうしたらものの数時間で、数ヶ月間やれなかったことが片付いた(ただし、めっちゃ疲れた)。

恐るべし! ピア効果。

40歳にして、モティベーション云々の話ではなく、外部環境のほうが大事だし効果がでかいということの発見である。

現状、目下、私、天才的な集中力の持ち主として、偉大なゲージツ作品作りに取り組んでいるわけでもない。

アクティビティーの8割を占める、じつに簡単で陳腐なことは、1人では続けていくのは難しい。みんなでワイワイ、フォローしたりお互いやっていることに関心を持ちあいながらやることが重要だし、そうしないと続けられない。

2013年5月20日月曜日

アメリカ大学の学費が法外に高い件


ウォール・ストリート・ジャーナル日本語web版に2013年5月20日に掲載された「2013年に大学を卒業する皆さん、君たちはだまされていた」(By BRETT ARENDS)によると、今年大学を卒業する若者のほとんどはだいたい300万円とか、400万円といった巨額の借金を抱えている。それは、ある陰謀によるものだという。

その陰謀は、金持ちたちが、「大学卒業→ホワイトカラーの仕事」というライフコース(キャリアパス)を「普通の一般市民」に奪われないように、結託して学費を高くしているというもの。メディアも結託し、学士号がないと、収入も低いしろくな仕事に就けないと喧伝し続けている。

その結果、この30年で、学費はなんと3倍になったという。記事の著者はいう。

「考えてみてほしい。君たちが学位を取得するために支払った学費は30年前の約3倍だ。インフレを考慮した実質ベースで、である。君たちが取得した学位が30年前の3倍の価値があるという保証はない」

なにしろ、そもそも大学の授業スタイルは、著者によればこんな感じだという。

「1週間に1時間、教員から個人指導を受け、あとは参考文献のリストを手に図書館に通い、1週間かけて小論文を1本書いた。このような教授法は実のところ、アリストテレスの時代からあまり変わらない。学生が教員のところにやってきて議論する。そして、教員は来週同じ時間に、と言って指導を終える」

工学系の学部ならまだしも、文系の学部生の学費が年間数百万かかり、その内容がこれだというのだからもはや詐欺だ。というか、教授から個人指導が得られるのならまだいい。以前から、数百人入る巨大教室で、豆粒のような教授の授業をモニターとスピーカーでかろうじて聴くというのが日本でも一般的な講義スタイル。こういう講義スタイルは変わらないのに、学費や入学金だけバカスカ、インフレ率も無視してあがり続けているというのである。
では、なぜ大学の学費が上がり続けるのか。それは著者によれば、豪華な施設を大学がバンバン建てまくるから金が足りないのと、組織の官僚化(確かに、新卒時に大学職員を受けたことがあるが、楽そうで休みが多く、給料は高かったなー、落ちたが)、あとは保守的な富裕層が、一般市民から自分たちが歩いてきたキャリアパスの「空席」をこれ以上奪われないように排他性を持たせているからだという。

もちろん、これは記事だから科学的な裏付けはない、仮説や推論の域を出ないかもしれない。しかし、学費が上がり続けているというのは事実だし、大学が建物をやたら立派に更新するのもよくある話である。

私は、今日たまたま娘の公立中学の夏服を受け取りに出かけた。制服の取次店は、地元の商店街にある、もはやこの仕事がなくなったら間違いなく潰れているはずの用品店で、メタボっぽく太った高齢のじいさんが応対した(うわーこのオッサンに処方されるメタボの薬とか、俺が払ってるんだろうな、いや正確には、私も負担している自治体の医療保険税がこういうのに使われているんだろうと、極太の指や顔を見て思い、吐き気を覚えた)。

形状記憶の半袖Yシャツが2枚、スカートとベストの合計4点で、約2万2千円もしたので驚いた。冬服も合わせると、7万近くなる。公立学校の制服に、7万もかかる。じつに許し難い。

まあ、だからといってユニクロみたいなファストファッションの商品を着ていくというのもなんだが。

私は、日本の大学の学費が猛烈に上がった結果、払えなくて、たとえば娘とかがホワイトカラーの仕事に就けず、スターバックスで時給850円で客に笑顔でコーヒーを差し出す仕事にしかつけないとしたら非常に残念だ。というか、そんな世の中はまずいと思う。

社会階層が固定化し、世代を超えて受け継がれる傾向が強まるというのは、だからダメだ。

憲法改正の件だけれども、上記のように特定の社会の層(金持ち層)が、別の層(残りの多数の中間層)に対して、自分たちの職業キャリアや学校教育機会の排他性を高めて、閉め出そうという、そういう動きを加速させる危険が、96条改正には、ある(だってそうでしょ、世襲ばかりが当選する国会議員がひょいひょい好きなように憲法を変えられるようになったら、私らに不利にやられるに決まっている)。

ちょっと、保護者のなかにも憲法の条文もろくに読まず、安いとか親が取っていたなどという理由だけで読売とか産経を読んで、憲法はやっぱり変えたほうがいいだのなんだのしたり顔で言う大馬鹿者がいる。結局、自分たちの子供は、将来のどこかの時点で、金持ちの洗練された資本主義のグループから仲間はずれにされる可能性を高めているだけなのに。

気をつけてもらいたいのは、考えの基準を、メディアだけから得てものをいうのはきわめて危険である。メディアというのは特権階級であり(高額給与、コネしか入れない入社選抜試験、電波行政に守られた排他的規制産業)、決して私ら中間層の味方ではないという点だ。

冒頭の記事に話を戻そう。ある「保守派」の作家が、公立の大学の学費を私立の学費と同じくらい高く引き上げるべきだというのを聞いた筆者は、こう続けた。

つまり、一般市民には入ってほしくないということだ。
 さて、陰謀に関わっている団体は他にもある。メディアだ。 
メディアは私利私欲から陰謀に加わっている。
 メディアで働く人の中には既に大学と産業界の複合体の中で仕事をしている人もいる。彼らは大学で教えるか、大学付属のメディア研究所やシンクタンクで楽な閑職に就いている。多くのジャーナリストには大学に雇われている友人や家族がいる。いつか大学の仕事に就きたいと思っているジャーナリストはさらに多い。 
メディアがジャーナリズム大学院の学位を巡って沈黙を貫いていることを考えてほしい。消えかけている技能を実践するための証明書を手に入れるために若者が3 万ドル以上の金をだまし取られているというのに。実際にジャーナリストとして仕事をしている人たちは大っぴらには言わないが、若者がいまだにジャーナリズムスクールに行こうとするなんて、常軌を逸しているし、ばかばかしいという意見で一致している。私はそんな話をしょっちゅう耳にしている。 
 しかし、公の場でそんなコメントにはなかなか出会えないだろう。なぜかと言えば、ジャーナリズムスクールの目的はもはや未来のジャーナリストを教育することではなく(そんなことがあったとしての話だが)、過去のジャーナリストを雇うことだからだ。次に解雇されそうなジャーナリストはみな、プランBの就職先としてジャーナリズムスクールを考えている。しかし、採用担当のジャーナリズムスクールの教授が、そうした就職応募者の最近の記事をグーグルで検索して、ジャーナリズムスクールをこき下ろした記事を見つけたら、就職は難しいだろう。そのときは、次の職場はスターバックスだ。
 先ほども言ったが、私の頭がおかしいと言ってくれ。被害妄想に取りつかれていると言えばいい。しかし、どんな仕事に就いても、10年後に私が(スターバックスで)カフェイン抜きのソイラテを差し出したら、10%のチップは忘れないでほしい。
笑えないオチというほかない。

マツダ車が好き

マツダ。マツダの車が好きだ。私のマツダ車の歴史はすごい。

2005年 MPV
2008年 ベリーサ
2010年 アクセラ
2011年 MPV

全部新車で購入、長くて3年以内に売り払っている(ガリバーなどに)。家族は、マツダの店に行くと聞くと、また「マツダレンタカーか」という。まるで借り物のように、買い換える。こういうものの買い方していて、近所に嫌味にならないところがマツダ。まさに零細企業経営者にとって必須の赤字製造装置である。

もちろん、本当は二年落ちの中古車が減価償却的にはいいんだけど、そんなのは面白く無い。マツダが面白いのは、驚くべき値引きと、安い割にはそこそこのものが手に入るところだ。

いま気になっているのはもちろん、CX-5とアテンザセダン。ディーゼルなのに燃費がいいという。しかも300万以下という値段の手頃さ。

じつは、今年の春に四国を旅行した折り、日産のエルグランドをレンタカーで乗ってみた。

正直、素晴らしかった。多分、MPVよりも100万ほど高いからだと思うが、それだけの価値はあるんだなと思った。マツダのMPVが特急のグリーン車だとすると、エルグランドは新幹線のそれ。

いや、ごめんなさい、レクサスとか、アウディ?とか、そういうほんとうに高い車乗ったことないので、飛行機のファーストクラス並みという例えを残してある。

今日は、予備校講師の林修(今でしょ)が情熱大陸に出ていて、感じ入ったのが彼の読書量。割とすごい。十万冊は読んでいるとかいって。本を読んでる人が好きだ。

東大志望の高校生に、東大に行きたいと思うなら行ったほうがいい、理由は、いろんな人に出会えるから。とかそういうことを言っていた。

これってけっこう至言というか、普遍的だと思う。私も高校時代にがむしゃらに、上位大学を目指していたが、理由はいい大学に行けばなんとなく就職もうまくいって人生が好転しそうだからだった。

しかし実際のところ、早稲田の哲学科を出た私が入ったのは地味なメーカーだったし、それも半年でやめた。いまでは、大卒の新卒一括採用なんて崩壊すればいいと思っている。半分くらいは崩壊しているだろう。

だから、高校生を前にして、大学に受かってもいい就職なんて当てに出来ないから意味がない、やめろと、そういう意味では言いたいが、林さんが言っているように、面白い人に出会いたいというのなら、やはりいい大学めざし猛勉強する価値はあると思う。

すごい人がいっぱいいて、こういう人たちと競争しても非力な私に勝ち目はないから、人がなるべくやらないことしようって、私の場合は今でもそう思っている。

それで、何しようかっていうときに、本を沢山読んで考える。これからも、ずっとそういうスタンスだろう。そうすると、本を読むことが目的的になるわけだが、それでいい。なぜなら、驚くべきことにこの宇宙を、客観的に眺められる生き物って、とりあえず地球のほかをおいてない。

この地球にしたって、50億の歴史のなかで、これほどの人間が文明を獲得して、自分たちを客観的に眺めるようになったのは、わずか100年とか、そんなところだろう。

数億年前など、なんと全部海の底で、陸地ゼロだったって。そういう地球を想像しただけでゾーッとする。

最近、それも1万年くらいまえは、地球には文明人はいないから、誰も「宇宙とは、哲学とは、人生とは、就職とは、新卒一括採用とは」とか考えていない。ただ、言葉を話せない生き物と、森や林、草原、海山川があるだけ。これは痛快だと思う。

で、森とか、山とか、そういうのは、人間が地球に出てくるはるか前、何百万年も前からあった。じつは、マツダの車に乗って、国道20号線を真っ直ぐ西へ向かうと、程なくして東京と山梨の境目辺りで、そういう昔の森の風情に触れられる瞬間がある。そういう刹那をもたらす道のことを、私たちは酷道という(いわないか)。

2013年5月15日水曜日

匠(自分)が丸棒でビニル袋掛けを作った件


 毎日、4時間以上の家事育児に時間を費やしている日本人男性、それが私です。さっそくですが、この厚生労働省の「イクメン参考資料」(平成22年6月17日、タイトルはファイル名からわたしが勝手につけた)(PDF)7ページをご覧下さい。
 といっても、忙しくてあるいは、スマホで見てるからPDF開けないという人のために要約しますと、先ず1-6ページ目の内容はこうです。
 「日本はこのままでは少子化で国ごと限界集落になっちまうぞ。子供が増えない理由は夫が職場に拘束されてるからなのと、賃金が下がっているからだぞ」
 で、7ページに「夫の家事・育児時間が長いほど、第2子以降の出生割合が高い」と書いてあります。
 私の実感から申しますと、確かに私が家事や育児をしなければ、配偶者はたぶん速攻ウツになります。
 山深い畜産農家で、牛の糞を片付けたり、子牛の出産に立ち会うのは、農家の夫だけではありません。妻も立ち会います。夫婦で、牛の世話をしているんです。都会の子育て家庭も同じです。まずは、雪かき、合間に牛の世話。そしてまた、雪かき。そして雪かきで始まり、雪かきで終わる。だれにも評価されない、牛の世話をする人生を、ふたりでまっとうする。それこそが「第2子以降の出生割合が高い」夫婦の姿なのです。会社勤めなんて浮世離れしたことをしている暇はないのです。
 人類は4万年前は猿でした(アメリカの熱心な共和党支持者は信じていないようですが)。そして、いまでも、せいぜい猿の毛が抜けた程度でしかありません。現に、頭数が足りなくなってボスが困っているのがこの国家の姿ではありませんか。安倍のボス猿。困っています。困った挙げ句、手帳を配る。ピントずれてます。
 さて、オチともつかない感じですので本題に入りますが、ここでですます調からである調に戻します。
 毎日実施している家事が終わるのはだいたいここ数年は夜の十時半くらいから十一時半くらいのあいだ。いちばん最後に、ゴミ(生ゴミとプラスチックゴミ)をそれぞれ外のペールに移して、室内のゴミ入れ(1日分しか入らない)の内側に、ビニール袋をセットして終わる。
 わざわざ小さめのペールを室内に置き、毎日ビニール袋ごと外の大型ペールに移すのは当然理由がある。ゴミの収集は週1回とか2回だから、その間、室内にゴミをおいておくと腐敗してブルーになるからだ。
 そのゴミ袋は、アスクルで注文する。16号(生ゴミ)と、20号(プラスチックゴミ)というサイズだ。ビニル袋入れ一個に、百枚入っていて、それなりに重い。真ん中に取り出し口がついているので、ティッシュみたいに一枚一枚取り出せる仕様になっている。ところが、長年にわたり、このビニル袋を、ビニル袋入れから出す動作がダメだった。ものが乱雑に置かれたキッチンの収納棚にドサッと置かれているだけなので、ビニル袋を一枚一枚取り出すのに上のものをどけたりしなければならず、手間がかかっていた。
(ここから劇的ビフォーアフター調で。匠=私)
 すると突然、匠は車を運転して、どこかへ出かけて行くではありませんか。匠がやってきたのは、家から車で10分ほどの東京・小金井市のD2というホームセンター。丸棒一本128円を2本、買ってきて、40センチと52センチの長さに切り、両端に穴を開けて1ミリのワイヤーを通し、棚にS時フックでつるします。
 その棒にビニル袋入れを掛けてみると、なんということでしょう! 匠は、自分が毎日ビニル袋を取り出しやすいようにと、便利な袋掛けをキッチンに取り付けていたのです! それを見ていたお母さん、「いまいちだな」。見た目が気に入らなかったようで残念。

2013年5月12日日曜日

宮台真司VS薬師寺の僧侶、被災地復興をめぐって

去年年末のニコニコ動画※で、哲学者や批評家、歴史学者と座談会に出た宮台真司が被災地の復興は、ある意味、不利益配分を政治家がしないといけないから難しいと言っていた。つまり、場所によってはもう、復興しない(だから、ここはあきらめて移転しなさい)と避難している人たちに言い渡さないといけない場面がきっとあるという。

それをやるのは政治家の役割だから、いま、正直になろうという人はものすごい減っているのも道理だろう。成長時代は利益配分をしていればよかった。地元に、中央からカネを引っ張ってきて、政治家はまさに名士であり、ヒーローだった。

ところが今は違う。国が成長しないから、中央にも金が無い。政治家は国に出て行っても、持って帰ってくるのは不利益の配分の話ばかり。究極的には、もう、地方のインフラは維持できないから、ここには住めなくなるとかの話も、自治体によっては出てくるに違いない。

私は東京に生まれ育ち東京に暮らしているので、地方の人達のいたみというのはまったく分らない。ただ、旅行で見る、限界集落とか、別にそこまでいかなくても、国道20号を数十分走れば、ある種の「ヤバさ」は感じる。

なんとなくそういう風に思ってて、今日ETV特集では、薬師寺の僧侶が被災地に出向いて、家族を津波で失ったり、住む場所を放射能で追われて帰るあてがない人たちをまえに、かける言葉も無く「お手上げ」というのを見た。そういう人たち(僧侶自身も経験したことのない巨大な不幸を体験したばかりの人)に、僧侶は、色即是空空即是色とかいっても、非常に言いにくいし、励ましても助けにならないと感じている、とのこと。

僧侶に、生き延びた被災者たち(もっぱら高齢者)が言うのは、絶対復興する、という言葉。亡くなった子や孫のためにも、絶対復興する、それで、墓を守って、自分が逝くときには向こうでむかえてもらうんだという。

宮台らの議論では、それは無理だっていう話(しかも一部は無理だが、場所によってはありというところもまた自体を難しくしている)。

こういう被災高齢者の思いを前に、宮台真司だったらなんというかね。「噴き上がる復興オブセッション」とか?いいそうだ。東浩紀はいうかもしれん。

すいません、私は怖くていえません。都会の納税者として?(大した税金は納めていないが、地方交付税不交付団体の住民として)、宮台の議論もわかるけれども、薬師寺の僧侶の皆さんにもぜひ、頑張って貰いたいという思い。それだけ。

ある僧侶の言葉。

悟りというのはなにか特別な修行をした末に体得するのではなく、自分の命をこれに捧げようと決めること。復興に命を捧げようと誓った、ある被災者も悟った人といえる。「心のスイッチ」が入ることを、悟りというのだから、すべての被災者、これと決めたことに命がけで取り組んでいるすべての人に、悟りは開かれている。

その悟りに対し、「いやーじつは、少子化で低成長時代に入りまして、国に金が無いんで、あきらめてくれ」といって頭を下げて回るのが、これからの政治家の仕事になる。おえー。なるもんじゃないね。

ニコ論壇時評2012「現代日本の思想~民主主義からネットまで~」 東浩紀×片山杜秀×萱野稔人×宮台真司 (番組ID:lv119033270)