様々な論点が色あせる宇宙の話

何でもハッブル宇宙望遠鏡のおかげで、この宇宙はビッグバンから137億年経っていることがわかった。

137億というと、途方もない歳月という気がしてくるが、一分一秒は体感できる。すると、この体感できる単位の「時間」の集積の結果には、必ず137億年というのは存在しうる。

となると137億年というのは、フィクションだとか絵空事ではなくして、現実である。どうだろう、ここで137億が突然迫力を持って迫って来やしないか?

この大迫力の前にあっては、やれ安保だの、景気だの、右翼左翼、これもはやどうでもよいし、況んやなにかにこだわって、ああだこうだ騒ぐにいたっては、まったくもって理解不能になる。

ところで、この宇宙は、どんどん膨張している、ことも分かった。星々の数は気が遠くなるほどの数があり、それぞれ寿命がある。もちろん地球にも寿命がある。

私たち人類に寿命があるように、地球にも寿命がある。

いきなり卑近な例になるが、物事を続けられず、飽きやすい私には、こうした諸行無常の科学説法はダメだ。

私がなにかに取り組むためには、対象に新奇性がなければならないが、加齢とともに新奇性のある対象物は減ってしまう。

それどころか、新奇性自体の有効性を、諸行無常の宇宙の話が打ち消してしまう。なぜなら、広大な宇宙のスパンで考えると、この毎日の私たちのくらしなど、瞬間的なできごとであり、他の星の住民から気がつかれることすらなく終わってしまいかねない。なかったことになる(全宇宙に散らばる膨大な数の星ひとつひとつについて生命の存在の有無を確認することは現在の科学では出来ないから)。

こうした状況の中で、日常を丁寧に営むエネルギーはどこから得られるか。エネルギーの源は、私の場合、家族である。

家族は結婚により生まれる。

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