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チョコレートの香りで売上アップ

今日は娘の付き添いで八王子東高校という、都立難関校の受験生向け説明会に行ってきました。

 体育館に集められた保護者と受験生たちに最初に告げられたのは、「暖房がなく寒いので、コートなど使って風邪を引かないようお気をつけください」という言葉。コートを持ってきていなかった娘は絶句し、中空を眺めながら白い息を吐くほかありません。

 気の毒なのは、職場がこうした寒い場所の教員たちです。男性教員の多くは示し合わせたかのように、グレーのジャケットの下に、Vネックの黒のセーターを着ています。こんなセーター、今時どこにうっているのでしょうか。高校教員というのは、寒々しい職場、立ちっぱなし、莫大な採点作業、問われる進学実績など、我慢我慢の仕事なんだろうなと察します。しかし同情心も、彼らのズボンの裾から一瞬、白いソックスが見えた瞬間雲散霧消してしまいました。スーツなのにソックスが白が許されるのは、マイケルジャクソン以外地球上にはいないはずなのに。

 教員たちのファッションや置かれた境遇もさることながら、校舎がまたわびしく古い。筆者は建築やインテリアデザインに関心があるので、洋書などで海外のすばらしいデザインの建物を眺めることが多いのですが、公立学校の校舎というのはほとんど刑務所のようにしかみえません。デザインや、そこで長い時間を過ごす人間の快適性、豊かさといった視点は一切考慮されておらず、ひたすら、まっすぐで、平らで、外と中を最低限の安い部材で分け、もっぱらスプリンクラーやメンテナンス性などの効率と安全だけでできあがっているようです。中にいればいるほど味気なく、心がすさんできてしまうのです。

 しかしそうした古い校舎、暖房もない廊下で、ダサいセーターを着た教員たちと、若い優秀な生徒が切磋琢磨している。「すぐに役立つものは、すぐに役に立たなくなる」 長い目で見ることがここでは重要なようです。

 さすがは難関都立だけあって、教師の問題の説明もまるで大学受験予備校の講師のよう。私が高校時代にいた、生徒の進学などほとんど関心がない「でもしか」公務員とはまるで違っていたのに驚きました。

 定期考査の三日前ということで、校内には廊下やロビーで勉強する生徒たちの姿が散見され、これまた、この時期いちゃつくカップルが散見された我が母校(八王子東の2ランク下の小金井北高)とはまるで違って好感が持てました…

地方で生きる

立川や吉祥寺などの繁華街から中央線で東小金井へ帰ってくると、東小金井という駅はまるで「トンネルを抜けると雪国だった。夜の底がシンと冷えていた」というどっかで見たフレーズが頭の中でまわるほどの闇が広がっています。ここは東京でありながら、もはや「地方」なのです。

 もちろん、文字通りの闇ではなくて。わずかばかりにある高架下の商業施設のあかりは、再開発の途中で捨て置かれただだっ広い駐車場や荒れ地の闇が飲み込んでしまうのです。

 私のライフスタイル提案型ベーカリーカフェ「くらしをあそぶ展」は、その東小金井の闇の奥にぽつんと存在しています。駅から離れるとすぐに、閑静な住宅街が広がる小金井市は、日が暮れると人通りもまばらとなり、まるでうる星やつらの映画ビューティフルドリーマーで描かれる「友引町」のような感じ。

 1980年代に中学生だった私は、勝浦の海水浴場で夏を過ごしました。海岸から沖に進むにつれて突然変わる海の色。海溝の怖さを濃い海の藍色で知りました。浮き輪に乗ってクラゲのように漂って過ごしていると、海の表面の色が薄い青から黒に近い深い藍色に変わります。要するにそこは深いんです。足はつきません。この浮き輪がなかったら、泳げない私はおそらく死ぬでしょう。

 東小金井から、うちの店までの道のりもまた、その太平洋の突然に足下に広がる海溝に似ています。パン屋に行くんだというしっかりした自己意識、目的感覚=勝浦の私の話で言うところの「浮き輪」がなければ、この東小金井の郊外の闇におぼれ、自分を見失います。しかし、この道の先に、直接関係ないけどジブリがあり、素敵なうつわたちや、温かいコーヒー、焼きたてのパンが待っているという認識が持てていれば、楽しい人生の癒やしの一場面を演じる孤独のグルメの主人公に自らを重ねあわせることが出来るでしょう。これこそ都会人の癒やし。

 駅方向から来る場合、よほど右手に注意しないと店は見つけられません。通りから1本路地を入るうえに、通りには看板すらないのです。しかし、ひとたび路地を曲がることが出来たら、もうPoint of no return。引き返すことは出来ません。もし引き返したら、その私道をうろつく不審者になってしまいます。不審者の目で見られたくないので、逆に不自然なくらいに堂々と、確信を持って店まで進み、ドアを開ける勇気がほしいところです。

 そし…

LANDISK壊れる

2012年頃に買って、たいへん重宝していたデータストレージが「メーカー修理を必要とする異常」に見舞われました。

これ、便利で、LAN上にサーバーとしておいておき、バックアップデータ置き場にしていたんですが、二年も経たないうちにHDD交換が必要になったのです。

メーカーに修理に出すときに、製品の主旨としてこの故障の速攻ぶりはあり得ないと言ったのですがノーコメント。

結局、買うのに3万弱、修理に1万7千円強かかり、散財です。

ちなみに、グーグルのサーバー(全世界に数千、数万台はあるといわれているが非公開)はたしか5分に1台は壊れているというのをなにかの記事で読んだことがあります。

HDDは壊れる。

しかし、お金をかけて無事新品のHDDに交換されて戻ってきたので、ちょっと嬉しいです。もちろんなかのデータは初期化されていますが、バックアップがほかにあったので問題ないんです。そういう使い方がいいですね。

LAN上に2TBのデータ置き場があるっていうのは、心のゆとりにつながります。

同じことを毎日するのは誰なのか

最近、というかさっき発見したんだけど、毎日同じことをするというのが人生にとっての最大のチャレンジなのではないかということです。

毎日同じことが出来ないから、我慢できないから、人は、次のようなことをします。
サボる会社をやめる人にはやし立てられて立候補する人をはやし立てて立候補させるカフェだの焙煎屋だのパン屋を開業するDIYをしてゴミを増やすプロブロガーになる情報商材を買いすぎる限度を超える喫食・喫煙・飲酒旅行をする地方に移住する都会に出る変態行為風俗通い寝る、寝続ける昼夜逆転する賭け事や薬物浮気暴力、暴行、痴漢自殺ゴミ屋敷化ウィルス罹患して放置ネグレクトDVキレる高齢者になる暴走老人これ読む(私の最近の事例)
あらゆる不幸の原因は、毎日同じことをしなければならない人生に耐えられなくなった人たちの逃避だといってよさそうです。

最初に聴いたときは鳥肌が立ち、何度も聞きたいからとDLした音楽も、1年後は呪いの歌にしか聞こえず二度と聞きたくなくなる、そう、人は飽きてしまうのです。

なぜ、私は、同じことが出来ないのでしょうか。最近読んだ『大人のADHD』という本によれば、私はおそらく環境ホルモンの影響などで遺伝子の一部がやられており、ちょっと狂っているという「診断」が得られるかもしれません。しかしそれは、足が2本、手が2本あるのはなぜかというのと同じで、当面の課題解決には役に立たないのです。

同じことをし続けることが出来るというのは、今の日本社会、いや、OECDクラブ、先進国、いや、人類社会全体の中で、もっとも価値のある能力といえそうです。

たとえば受験勉強。同じテキスト、参考書を何度もやれば、だいたいペーパーテストというのは点が取れる。しかし、同じ本を2度目3度目とやっていくうちに、手にかゆい発疹が出来たり、指の皮が剝けてきたりする。

唇をムシって血が出て、爪もかじって超短くなる。歯並びも悪くなる。私の場合、受験勉強すると外観まで醜くなってしまうんです。

それで、かろうじて大学に受かって、出会った人と結婚して生まれた子供が今受験勉強をしていますが、受験勉強への態度は私と同じでがっかりです。

同じことが堪えられない人のための合法的な癒やし、エスケープを提供する所業は、産業として確立されています。
マスコミメディア企業コンテンツ産業映画音楽産業出版業塾予備校テーマパーク飲食店家…

シリコンバレーの闇

BS世界のドキュメンタリー(NHK) 2015.11.24放映シリコンバレーの裏側(たぶん)で、フランスのテレビ局がアップル、facebook、twitterを取材して彼らがいったいどんな企業なのかをわかりやすく紹介。

そもそも取材が困難。ジャーナリストが広報に電話やメールをしてもアポはまず取れない(折り返してもらえないから)。社員に話しかけるとたちまち警備員が飛んできて止められる。

税金は国際的かつ合法的な租税回避テクニックを駆使して1円も払っていない。

気の毒な自治体の首長はそれでも、逼迫した財政の助けになればとこうしたIT企業に様々な優遇措置を設ける。

周辺の個人経営の飲食店なども儲かるから、社会保険料を免除してでも彼らに来てもらうことの経済的意義は大きいというが、個人商店では彼らIT企業社員は食事をしない。なぜなら、超おしゃれな最先端の建物のなかには、オーガニックフードのレストランや居心地のよいカフェ、広い芝生の公園が整備されてるから。

だがでは彼らIT企業社員のほうが恵まれているかというと、そんなことはないと思う。なぜなら、IT企業の社員はものすごい働いているに違いない。プライベートなど一切なさそうだ。

非常に両極端である。

彼らIT企業は圧力団体を組織して、法律を変えたり公共部門にはたらきかけて自分たちに有利に運ぶように工作している。

たとえばアメリカのITエンジニアの半分は失業しているというデータがある一方で、アメリカにはエンジニアが不足しているから、アジアからもっと移民を増やすようにしようだとか。アメリカ人エンジニアより、アジア人エンジニアのほうが2割程度賃金が安く済むからである。

こうしたIT企業の攻勢に、おそらく地元の貧困層に勝ち目はなかろう。

アップルは租税回避のためにアイルランドのある街に法人を登記している。その法人は、女性がひとり,社長として登記されているだけで、社員はいないものの数兆円を売り上げている。そして、アイルランドの租税法により税金は1円も払う必要がない。そのことを訊かれたアイルランドの地元自治体の職員はこう言った。

「その女性はよほど有能なんでしょうね」

過疎の島の、子だくさん製麺店主の事例

ある過疎の島にあるうどん店主のオヤジは子供を7人も産んで育てました。NNNドキュメンタリーを見て、こういう、ある意味で、典型的なおっさんがいると思って興味深く拝見しました。

 オヤジは子供を、本当に小さいうちから朝五時に起こしてうどんづくりの仕事をさせます。1時間ほどですが、日曜日くらいしか休ませず、学校の卒業式の日も、島を巣立つその日の朝も、仕事をさせるのです。

 仕事の中身は、うどんを踏んづけたり、麺に油を塗ったり、機械から出る麺を取り出したり、乾かしたり、切って袋詰めしたりと、本当に身も蓋もない、肉体労働です。

 こうして育てられた子供の感想は、当然のことですがこの家は辛く嫌なことが多かったが、親には感謝しているという内容。昔風の、厳しいお父さん像です。子供にとって、朝五時からの肉体労働を「快適で幸せな家庭の営みの一つ」と思えるはずもありません。逆らうことの出来ないお父さんが、やれというのでやってきたんです。

 しかし、子供は立派に成人して、ほとんど嫁いで、7人のうち過半数の4人は島に残って仕事しています。子供の職業は、うどん店の経営(要は継いだということ)、教員、漁師、会社員、専業主婦などまちまちです。

 私のこの番組を観ての結論としては、

・朝五時起きのうどんづくりを子供にさせても教育効果は低いがそう悪くはない
・事業として地方でうどんを作りネットで売ることの有効性はまだある
・オヤジは働き過ぎがたたって病気になり、晩年は酒ばかり飲む残念さ
・厳しく育てた子供達は法要などの慣習を神聖なものとして大切に扱う

 うどんを朝五時から作る仕事をしてきた子供たちが、たとえばIT企業の社長になって大金持化したり、医者か弁護士になるなど、そのたぐいまれな忍耐力から資格を取って一念発起したりすれば話は面白かったんですが、そうはなりませんでした。

 それに、子育てやうどん作りに精魂を傾けたこのガチンコオヤジさんが、娘が次々と島を去って行くあたりから、涙もろくなり体調を崩して(糖尿病)、酒を飲むようになる様は、何とも寂しく、遺憾です。

 この男性は平均寿命を十年以上残し、61歳の若さでなくなりました。

 教員になった末子が、島への船便を1便逃して一周忌に遅れたことを、他の兄弟や親族がかなり本気で叱っていたのにはびびりました。もう社会人になって仕事している末子が泣くほど叱る…

パン屋のオヤジのぼやき

資本主義のイデオロギーにおける人口減少がもたらすもの。これは一言でいうと夢と希望の喪失です。

 資本主義は市場の創造こそが富の源泉です。市場はものなりサービスを買ってくれる人のかたまりのことです。

 人口減少時代では、その市場が縮小するので、資本主義は富を生み出すことが出来なくなります。となれば、その仕組みの中で働く人も投資する人も、夢や希望を持てなくなってしまいます。

 「ワクワク」だの、「1億総活用」だの、いくら詩や念仏を唱えたところで、もはや子育て育児中の給与所得者の預貯金残高が増えるはずもありません。

 資本主義の社会の中で会社を経営したり子育て育児に取り組むことにより、限界にぶち当たることが多くなりました。わたしがここ十年以上やってきて分かったのは、本当にシンプルなことです。

 人が減るから庶民は貧しくなる一方だということです。

 こうした厳しさに直面せず、衝撃を緩和する方策はいくらでも用意されています。その最たるものが、皮肉なことに、結婚しない、子供を産まない、都市の実家で親の援助を得ながら暮らすということです。

 では、結婚して子供を持ってしまったら。公務員や大企業にも属さずに、地方で親の援助にも頼れない状況に陥ったらどうするか?

 私はあきらめた方がいいと思います。日本には幸い憲法があって、健康で文化的な最低限度の生活を国は国民に対し保障する約束ですから、そうした生活が出来ないと感じる国民は生活保護なり、何らかの権利の訴えを行政にしていくことが必要です。

 注意しなければならないのは、どさくさにまぎれて憲法を変えようという宣伝を盛んに最近、国はするようになりました。結局国にも金がないのです。高齢者が増えすぎて、自分の都合しか考えない圧力団体のロビー活動の成果で、国の社会保障財源は急激なスピードで枯渇しつつあります。

 憲法が変わったら、生活がツラいからといって、国に金やサービスを要求することは間違いなく難しくなります。いまのうちなんですよ。

 特に健康な若い都市の給与所得者は日本のシルバーデモクラシーの弊害をもっともしょっぱく食らってしまっていますね。もはや絶対に支えることは不可能な地方だとか、年寄りばっかりに金をもっていかれてしまってます。

 Sealsとかもピントが外れた活動をしないで、もっと都市の学生なり都市のシングルマザーが金がない、生活…

アマゾンプライムビデオ(で私が勝手に選んだ)今年のベスト作品は映画『愛と誠』

毎日新聞かの報道によると、二十歳前後の若者のおよそ2割は、もはやセックスに関心すらないという。

従来恋愛やセックスによって満たされていた欲求が、他のいろいろなこと(主にインターネット、アダルトビデオなど)により、かつてなく高品質かつ安価に満たされるようになったのが原因。

こうなると、結婚して男性は山へ芝刈りに行き、女性は川で洗濯しつつ太郎を育てるといった高度経済成長期の家族像はとうてい受け入れがたい「懲役刑」にしか見えず、婚姻件数は下がる一方だろう。

こういう時代にあって、この映画、愛と誠は、現代では単なるお笑いミュージカルエンタテイメント作品としか成立し得ない。

じつはこの映画の原作愛と誠は、本来シリアスな純愛ものである。何回か映画化され、結構シリアスで恋愛巨編みたいな感じで昭和の時代から愛されてきた。

ところが、平成も三十年経とうという今日、もはやシリアスな純愛もの、というのが成り立たない。何しろ、スマホを指でなぞれば、何でもかんでも手に入ってそこそこ満たされてしまうデジタルネイティブしかいないんだから。

したがってこの映画におけるあいのとらえ方は、人を本気で愛すなんてことは、もはや滑稽でバカげた、もっぱら他人の嘲笑を買うだけの狂った行為であり、不条理演劇のネタにしかならないとでも言わんばかりだ。

とにかく、そう考えると、この映画のあらゆるシーンが最高に笑える。何という馬鹿な、お馬鹿な映画が出来ちまったんだろう! ここまでして、現代人の愛の不毛、コスパの悪さゆえの悪評判をあげつらい、コケにするとは。

ユネスコも真っ青の絶滅危惧種がこの映画で多数確認することが出来る。

ヤンキーお嬢様ガリ勉くん こうしためずらしい生き物たちがこの映画では踊り歌い、ときにボケ、ほとんど素でツッコむ。

私は個人的に、パパイヤ鈴木の振り付けと小林武史の楽曲がツボった。昭和の名曲を現代風にアレンジしてあり、すばらしい。曲自体どれもすばらしい。

高校時代に日生劇場に足繁く通ったオペラ座の怪人を主演していた市村正親。この映画ではどこかずれているお金持ちの旦那の役である。老いを感じさせることなく元気いっぱいコミカルに踊るのを眺めれば最高に愉快な気持ちに。

危うくコレクターズDVDを買いそうになってしまうほどだが、とりあえずプライムビデオで何度も気に入った曲だけ見てる。これで飽きるのを待つばかりな…