地方で生きる

 立川や吉祥寺などの繁華街から中央線で東小金井へ帰ってくると、東小金井という駅はまるで「トンネルを抜けると雪国だった。夜の底がシンと冷えていた」というどっかで見たフレーズが頭の中でまわるほどの闇が広がっています。ここは東京でありながら、もはや「地方」なのです。

 もちろん、文字通りの闇ではなくて。わずかばかりにある高架下の商業施設のあかりは、再開発の途中で捨て置かれただだっ広い駐車場や荒れ地の闇が飲み込んでしまうのです。

 私のライフスタイル提案型ベーカリーカフェ「くらしをあそぶ展」は、その東小金井の闇の奥にぽつんと存在しています。駅から離れるとすぐに、閑静な住宅街が広がる小金井市は、日が暮れると人通りもまばらとなり、まるでうる星やつらの映画ビューティフルドリーマーで描かれる「友引町」のような感じ。

 1980年代に中学生だった私は、勝浦の海水浴場で夏を過ごしました。海岸から沖に進むにつれて突然変わる海の色。海溝の怖さを濃い海の藍色で知りました。浮き輪に乗ってクラゲのように漂って過ごしていると、海の表面の色が薄い青から黒に近い深い藍色に変わります。要するにそこは深いんです。足はつきません。この浮き輪がなかったら、泳げない私はおそらく死ぬでしょう。

 東小金井から、うちの店までの道のりもまた、その太平洋の突然に足下に広がる海溝に似ています。パン屋に行くんだというしっかりした自己意識、目的感覚=勝浦の私の話で言うところの「浮き輪」がなければ、この東小金井の郊外の闇におぼれ、自分を見失います。しかし、この道の先に、直接関係ないけどジブリがあり、素敵なうつわたちや、温かいコーヒー、焼きたてのパンが待っているという認識が持てていれば、楽しい人生の癒やしの一場面を演じる孤独のグルメの主人公に自らを重ねあわせることが出来るでしょう。これこそ都会人の癒やし。

 駅方向から来る場合、よほど右手に注意しないと店は見つけられません。通りから1本路地を入るうえに、通りには看板すらないのです。しかし、ひとたび路地を曲がることが出来たら、もうPoint of no return。引き返すことは出来ません。もし引き返したら、その私道をうろつく不審者になってしまいます。不審者の目で見られたくないので、逆に不自然なくらいに堂々と、確信を持って店まで進み、ドアを開ける勇気がほしいところです。

 そして、引き戸を開けるとまさかの、想像だにしていなかった店内の様子、という風に、実際に店内の内装をした私がいうのはばかられるのですが、何人かのお客さんが「こんな風になっているとは」と驚いた様子を見て、どうやらそういう感じらしいです。

 さらに私は、店員が美しく見えるようなしかけ、有り体に言えば「色仕掛け」をも抜かりなく施しました。カウンターの下に照明を仕込み、店員の顔をやや下から明るく照らすことで、上から照らすよりも人肌が美しく見えるようにしたのです。高校時代からずっと演劇に興味を持って、オペラ座の怪人などに足繁く通った体験がここで活かされています。

このブログの人気の投稿

太陽光発電導入記完結編 発電開始!HEMS AiSEG設定奮闘記

アキバチューナーカンカン設定奮闘記【重要追記あり】

家庭裁判所が決める成年後見人、成年後見監督人月額報酬