2016年12月16日金曜日

免税事業者が消費税課税事業者となって還付を受ける際の注意点

 課税売上高が1000万円未満の業者(免税業者)が、翌期に大型の設備投資を予定しているなどの理由で消費税の還付を受けようとするときは、次のように手続きする。
 翌期のはじまる日の前日までに、「消費税課税事業者選択届出書」を提出する。
 ただし、以前、課税事業者だったことがあり、その際に簡易課税選択届出書を提出していた場合は、「消費税簡易課税制度選択不適用届出書」も出さなければ、本則課税は適用されない。そのため還付も受けられず、「消費税課税事業者選択届出書」をあえて提出したとしても、当初の目的は果たせないということになる。それどころか、設備投資で物入りなのに、本来免税のところ、要らぬ消費税も払わなければならなくなってしまい、二重に損である。
 今回の税務調査によって明らかになったのは、私がアホだったということである。どうアホかというと、簡易課税制度を選択している事業者であるにもかかわらず、そのスイッチを「消費税簡易課税制度選択不適用届出書」でオフにすることなく、「消費税課税事業者選択届出書」を提出して、しかも本則でいけると思い込んで還付請求を行った。男なのに女装して女子便所で通報されたようなものだろう。
 まとめると、以下の通りとなる。
・提出期日:目的の投資を行う期のはじまる前日
・消費税課税事業者をオンにする書類:「消費税課税事業者選択届出書」※ちなみにこれをオフにする書類は「消費税課税事業者選択不適用届出書」
・簡易課税だった場合に、これをオフにして本則に戻す書類:「消費税簡易課税制度選択不適用届出書」※ちなみに、オンにする書類は「消費税簡易課税制度選択届出書」。本則課税を選択するような趣旨の届出書は存在しない。
 消費税課税事業者選択届けのオフの書類は「消費税課税事業者選択不適用届出書」である。目的の設備投資などが済んだら翌期までにこういう書類を出して免税に戻ろう。しかし基準期間の売上が1000万円を超えた場合は、注意が必要だ。消費税課税事業者選択届出書を提出した法人の基準期間が1000万円を超えた場合は、「消費税課税事業者選択不適用届出書」と一緒に、「消費税課税事業者届出書」(オフの書類は「消費税の納税義務者でなくなった旨の届出書」)も提出しなければならない。
 私の消費税のテキストはふせんがたくさん付いていて、フセンには届出書の趣旨がメモしてある。「消費税課税事業者選択届出書」のページにも、ふせんが付いている。そこにはこう書いてあった。「1000万以下でも本則で納税する。もしそれまで簡易なら」その先がなぜか書いていない。実際、その先にはこう書かれるべきであった。「もしそれまで簡易なら、「消費税簡易課税制度選択不適用届出書」を一緒に提出する」。なぜ、私がこれをメモせず、途中で止めたのか。たぶん漢字の字数が多すぎて萎えたんだろう。その一瞬の怠慢のせいで、今期10万円払わないといけない。本則なら得られた5万と合わせれば15万の要らぬ出費だ。そして、1度「消費税課税事業者選択届出書」を出すと二年は続けないといけないから、今の期もだ。もう今の期で一千万円以上売り上げて、第二種事業(小売業)の見なし仕入率80%を下回るようにするしかないな。ふーんだ!というか売上1000万超えもう絶対あり得ない((T-T))。
 翌期のために、静かに「消費税課税事業者選択不適用届出書」を提出し、そして傷が癒えたら再びトライするかもしれないから、一応、「消費税簡易課税制度選択不適用届出書」も出しておこう。

 あと、今回調査が入ったからいうけど、一部に妙な都市伝説があると思う。税務調査についてのあれこれ。結論から言うと一概には言えないし、何も分からない。ただ、あまりにもそれはないだろう的な感じはなくて、ちょっと優しさも感じた。消耗品や交通費、会議費などについては、極端なことがなければ(会議費の場合は3000円とか)、ツッコまれない。カード明細に「Amazon」しか並んでいなくても、具体的な品名は履歴を引っ張り出せば分かることだから訊かれない。要はきちんと法に則って、正直に売上、仕入、資産、報酬など申告していれば、調査は来ない。還付請求すると必ず税務調査が来るっていう話しもあったが、「いけっこない、たくさんありすぎる」といっていた。

 このことが分かったのはまあ収穫といえば収穫だが、今回大丈夫だったものが、次回、あるいは読者の皆さんの法人でも大丈夫ということは、何の法的担保も得られないところが民の置かれた哀しい立場よのう。

 結局、頭のいい人が東大に行って、官僚になって、そして国のしくみや法のほとんどを官僚が作るわけだけれども、その官僚にしてみれば、「消費税簡易課税制度選択不適用届出書」をださないと「簡易課税」はずっと生きるってのは何の不思議もないし、当たり前の話しで、私がギャアギャア、忘れちゃったよーっとかいって泣いても何も関係ない。この制度を設計した官僚の気持ちを想像すれば文句も言えないんだけれど、それにしても私はアンタほど頭もよくないし、勉強の途中にキモになる付箋のメモ書きに、字数が多すぎて挫折しちゃったわたしみたいなバカの気持ちも分かってほしい。複雑すぎるし、分かりにくいし、覚えきれない。

 もっと、幸せな社会を作ろうよ。官僚よ。この映画でも観てさ。


2016年10月27日木曜日

2017年度大学入学者向け無利子奨学金

文部科学省は、今の高校三年生を対象に、成績基準を撤廃した大学学費無利子奨学金の募集を始めることがわかった。

住民税非課税世帯の高校三年生が対象となる。これまでは成績基準があったが、住民税非課税かどうかのみの基準に変更。

安倍晋三首相は9月の所信表明演説で、「成績にかかわらず、必要とする全ての学生が無利子の奨学金を受けられるようにする」と明言し、成績基準撤廃の検討を進めていた。

今後は、給付型の奨学金をいち早く導入するよう、引き続き政府の取り組みを見守っていきたい。

2016年10月26日水曜日

アドラー心理学

『嫌われる勇気』を読んだり、また、最近NHKでやっていた「100分で名著」のアドラー心理学の回を見たりして、アドラー心理学についてのインプットが重なったので、ここでアウトプットを。

「偉いね」ではなく、「ありがとう」

子供がなにか我慢して、たとえば、お医者さんで泣かないでじっと待っていたときなどに、偉いねといってしまうが、これは間違っている。なぜなら、もし子供ではなく、妻や、あるいは、大事なパートナーがそのときに相手だったら、「偉いね」とはいわず「ありがとう」というだろう。

「偉いね」では、上から目線である。上から目線だと何が問題かというと、その場面で、貴重なアドラーエッセンスが出てこない。

アドラーエッセンスとは次のようなものである。

私なりに解釈したものだが、まず人はすべて、どこかに所属している感覚を持つことで幸せになる。どこかに所属するには、その集団で自分が貢献できているという意識を持つことが必要だ。そのためには、自分に自信を持って、自分は自分の意思で、自分の人生を生きているということを肯定できなければならない。

もし、子供に「偉いね」といっただけなら、それで終わるが、「ありがとう」といえば、子供は、親(ひいては家族)に貢献できたんだという意識が芽生えて、うれしくなる。そして、家族でいることに、より心地よさを覚える。こうして家族にすっかり所属している、家族という共同体に居場所を見つけることができる。

すると、どういうメリットがあるか。

学校や、職場で、何らかのトラブル(だいたいは人間関係のトラブル)で難局を来たし、居場所がなくなったときに、もし家族が居場所としてその人にとり、価値があるのであれば、家族という居場所がないよりも、難局を乗り越えることができる蓋然性は高まる。

ある集団がダメなら、別の集団がある、自分はそこに属している。

とはいえ現代社会では、家族も職場にも、居場所がない人だって多い。そこでアドラーはどうアドバイスするか。今、ここにいる日本、世界、地球、宇宙のなかで、自分が生きているという感覚が重要だという。

宇宙に属していると思えるなら、たとえ宇宙にくらべてはるかに小さい企業とか、家族のなかで居場所がなくたって、なんてことはない、そういう感じだろうか?ってかんじで、ちょっと深いところにいくと私もよく覚えていないので、うまく書けないが、何というか、非常に哲学的になってくる。

要は、相対的に見るということか。キルケゴールの神と単独者の話をちょっと思い出した。大学では西洋哲学を専攻したから、いったい教授が何をいうんかと思って最初に出た授業が、キルケゴールの哲学で、人は神の前で単独者でなければならない、みたいなの。覚えている。

そうはいっても、現代人に、単独者だの、アドラーだのいったところで、はいじゃああしたからそうします、みたいに、信号が青なら歩き始めるみたいにできるものではないだろう。

結局すべての人が、アドラー心理学を読んで、みんなにありがとうという、そして、人のことは人、自分のことは自分の鉄則を守りつつ、所属集団に貢献感を涵養させながら社会を営んでいけばよいということになる。

人類のベストセラーといえば、私は聖書だ思っているが、アドラー心理学がベストセラーになっていればもっと世の中平和になったかも。

2016年10月23日日曜日

スペインのマリナレダ村について

この村は、村長(30年間ずっと変わっていない)の主導のもと、ある政策を導入して世界的に注目を集めている。

衣食住にビジネスの論理を持ち込まないという点だ。不動産の個人所有は認められていない。

この政策を実施した結果、村の税収は上がり、若者の移住が増え、生産性も向上して治安も良くなったという。

私が日頃訴えているベーシックインカムと似た政策であるが、不動産の個人所有を認めない点はスゴい。

日本で、衣食住が保障されているのは誰だろう。まず子供。親が提供する。そして、行為能力のないひと。認知症高齢者とか、病気でそうなってる人、ハンディキャップを負っている人。

あとは、刑務所に入っている人。さらにいうと、大企業や国家機関の仕事で単身赴任している人も、そうといえばそうかもしれない。

ほとんどの人は衣食住を市場から購入しなければならない。しかも全体の支出にこれらの割合が、近年高まっている気がしてならない。給与所得がどんどん減ってきていから、際立ってくる。エンゲル係数が上がるってヤツだ。

うちもそうだ。収入が右肩下がりになる一方なのに、子供が多いし、持ち家といえども、エアコンや風呂などの耐久消費財は十年ごとにどんどん壊れるので、衣食住だけでもう大幅に赤字だ。

今、世界の潮流として、法人税の値下げ競争が起こっている。アイルランドや、マン島などの租税回避地が法人税を爆下げした結果、アップル、Amazon、Googleなどの大企業がこぞって租税回避地に儲けを移転。残された元々の創業地の国の税収は減ってしまう。すると、そうした国は、もちろん法人税も下げるのだが(競争なので)、減った分で行政サービスをまかなうのに今度は消費税を上げざるを得なくなる。

そうしたら、先進国の貧しい人たちや中流層は、生活にかかる財やサービスの購入がただでさえ高いところ、そこに税金も加わって、ひどいことになる。泣きっ面に蜂、税の逆進性の問題である。

私は毎日、この逆進性の問題に頭を悩ましており、それだけに一刻も早く、マリナレダ村のような、社会福祉的な政策を大胆に取り入れてほしいと願っている。

結局人間を増やさない限り、その資本主義都やらは立ち消えになってしまう。子供を産んで育てる、そして人々が平和裏に暮らす。そういう部分を、資本主義の奔流の中でしっかり守って、支えていくのが国家の役割である。

しかし、国家はもはや弱体化している。ずるずると問題を放置して、決めるべきことも決められず、積極的な政策を打つのは困難になってきている、どこの先進国も。何しろ、足下の、老朽化したインフラでさえ、まともに補修できない自治体も出てきている有様だ。こんな金もなければ、行動力もない国家に期待したところで、座して死を待つようなものである。

そこで考えるのは、Bライフの実践とか、今話題の「シェア」のような試みだ。

いきなり飛ぶが、Bライフ(寝太郎ブログで検索)、「シェア」、これは子育て育児家事に追われるお母さんには縁がない。独り者で、なおかつ結構学歴もあるようなインテリにのみ許された営為のように思える。

沖縄の、バツイチで子持ちの、そしてDV被害トラウマも抱える21そこそこのシングルマザーに「シェア」だのいったところで通じるわけがない。

じゃあ何が通じるかというと、いきなりだが、ばっさり会社を辞めてしまうことがまずひとつの方法である。そして、自営でなにかはじめる。すると貧困に陥るので、保育園に子供を入れることができるようになるかもしれない。

すると時間に余裕ができて、シェアとかBライフをはじめる資格を手にすることができる。

会社員でいること、会社員であり続けることが、そもそもダメだ。日本はダメだ、高齢化で社会保障費がとんでもない、なのにサラリーマンの収入は減る一方だ、生活が苦しい、こういう悪循環をたち切るのは、そのいちばんの出発点である、会社員であることをやめることからはじまるし、それ以外にない。次は、家賃を払わないで済む方法を探す。

衣食住に金をかけないで済む方法を、全力で探す。これがBライフの哲学のひとつだ。

今、社会は変わらないといけない。宇野つねひろが言うように、社会のOSを変えないといけない。なのに「岩盤」のような固い保守層が社会を牛耳っているから、一ミリも変わらない。農協も変わらない。男尊女卑の配偶者控除もなくならない。

繰り返すが、その岩盤を支えているのは、建物の賃貸借契約書だと思う。住まいを、個人が個人に貸し出すってのがマズい。貸す方は、単に土地を持っているだけで何もしなくても金が入ってくる。借りる方は、悲惨だ。週5日のうち、1日は社会保険料として高齢者に分配されてしまう。そしてもう一日は、家賃として、これまたその資産を持っている高齢者に持っていかれてしまう。高齢者は、年金ももらうし、家賃収入ももらえる。

そのために、若者、子育て世代の現役組は、気の毒なほど搾取されることになる。5日のうち、2日はただ働きだ。

だから、繰り返しになるが、まず会社を辞めれば良い。次の年から、収入が激減して、支払う社会保険料も非常に安くなる。年金は免除してもらえる。収入が減れば、家は買うのはもとより、借りることもできなくなる。生活ができない。だから政府に世話になるしかなくなる。

まあしかしなかなか、それじゃああんまりだろうから、私の考えとしては次のようなものを用意している。

・会社勤めをしなくても、タダで住む場所と食事が出るなにか。

会社勤めをしないといってるからといって、働かないでいいとはいっていない。家事育児や、個人事業をしたり、会社を作ったりして、何らかの「労働」をしないとダメだ。それを条件に、タダで住める場所、飯もタダ、そういうなにか、はつくれないだろうか?

今日本には、昭和の女性がどんどん消えている。昭和の女性というのは、もちろん専業主婦のこと。会社勤めを自分はせず(夫にさせて)、自分は、家事育児を担って、もっぱらタダで住居と食事を享受してきた。

私が、タダで家と飯と騒いでいるのは、私が身分としてはほとんど昭和の専業主婦なのに(家事育児で忙殺されて自由がない)、昭和のそれと違って、夫の役割(稼ぎを上げてくる)も担わされて死にそうになっているから。

それで、社会には大勢そういう人がいることも知っている。

なのに、社会がぜんぜん、変わらない。そして、社会(国家や自治体)がOS(法体系)を根本から変えてどうのこうのというのはまったく期待できないので、もう個人とか身内レベルで、なにかできないだろうか。

・会社勤めをしないでも、タダで住む場所と食事がある常況

なんだろう?

2016年9月30日金曜日

死から目を逸らさず今日一日を精いっぱい生きる

オイコノミアで保険についてやっていた。

保険は不安を軽減することができる向精神的商品だ。心のクスリ、麻薬みたいな。

日本人は年間平均で今38万円もの保険料を払っているという。生涯ではおよそ一千万を超え、住宅に次ぐ高額消費物となる。

一方で、毎月の収入の5~10パーセント近くを社会保険料(年金・健保)で政府機関に払っている。公的社会保障でこれだけ払っているのに、さらに民間の保険に30万も払うというのは、まったくもって不条理であるが、そもそも商品の位置付けが「心のクスリ」である以上、条理が通用するわけもない。

いいんだ、それで。

私はFPとして、昔は解約返戻金で黒字になる役員の長期平準死亡保険に入っていた(自分の会社名義で)。

しかしこれが払えなくなり(w)、今は若い頃に入った、一番安かったカタカナ生保の死亡保障(定期・掛け捨て)だけ。

若い頃にソニー生命とか安い会社をあれこれ検討しておいて本当に良かった。会社に出入りするおばさんが売る、漢字の生命保険会社の特約満載とかに入らないで良かった。

今は子どもがいるから仕方なく入っている定期掛け捨てだが、これも本当はやめたい。

人は、自分の人生を、死から目を逸らさず今日一日を精一杯生きたらいいと思う。

最近は住宅にもお金を払うにはかなりのストレスに耐えなければならない。家を借りる、買うのに何千万もかかる(生涯で)。なのに、近所の農家は家賃収入で暮らしているし、10軒に数件は空き家で放置されている。

毎月の収入の20パーセントを住居費とすれば、そんなの払いたくない。相続した土地にアパートを建てそこからの上がりで働かないで済んでいる高齢者や、相続した土地家屋をもてあまして空き家にする人たちのために。そんな連中は家をただで、貧困子育て世帯に開放すべきだ。

そうしたら、私たち勤労世帯は、週休3日で暮らしていける。

これが私の結論だが、FPの教科書はそう書いていない。やれ、保険はこれくらいの種類があって、これこれの保障が必要だから、毎月いくらのこの商品がありますとか。住居費は収入の20%を目処に考えましょう、今の収入はこれこれだから、あんたが買える(借りられる)家はこれだね、とか。

そんなことバカじゃない限りわかるだろってことしか、FPは言わない。

2016年9月16日金曜日

金融機関のサービスで節約する「大和ネクスト銀行」編

筆者は、銀行に取られる他行振り込み手数料、ATM利用手数料というのがどうしても許せない。払いたくない。そこで必死に、それらが無料になる銀行を探している。

ここのところ分かったのは、新生銀行のスマートカードローンから、2000円だけ借りて、即座に1999円を引き出し、毎月の返済日の次の日に同じように借りて1円残高を残しを繰り返すことにより、他行振り込み手数料が月5回まで無料になるというテクニックである。

今日、さらにネットを徘徊していたところ、大和ネクスト銀行も、他行振り込み手数料が無料ということが分かった。

他行振り込み手数料が、なんと月3回まで無料である。また、自分名義の他行口座なら、何度でも無料である。となると、月1回まで他行振り込み手数料が無料の住信SBIネット銀行、月5回まで無料の新生銀行、月3回まで無料の大和ネクスト銀行と併せて、月に9回も無料で振り込める。

私のように個人自営主、会社経営者だと、コレはありがたい。皆さんにもぜひお勧めしたい。口座開設の手間も、個人番号カードがあるとかなり楽である。

『Bライフ』高村友也・著を読む

私は同居親族が大勢いるので、寂しさとは無縁である。しかし、人間が大勢いるということはそれだけ、生活コストも余計にかかるということになる。

何年も、大勢で賑々しく高コストな生活を続けているうちに、「孤高」「ミニマリズム」「スモールハウス」こういったものに心引かれるようになった。

大切に付き合っているというか、興味が尽きないのでついつい会ってしまう知人がいて、彼もまた、孤高のミニマリストに永遠に憧れる男である。実体は、消費社会における蕩尽の欲望に勝てず、家は物であふれている。そんなあふれたものの一冊が、「高村友也」氏の書いたBライフという本で、このたび彼から借り受けて読んでみた。

関東地方の小田舎に土地を買い、ホームセンターで手に入る資材だけで家を建てて暮らす男、それが高村氏である。上下水道、ガスが来ていないところで暮らす。しかも、彼は東大文学部哲学科を出て慶応の院にも行った秀才だ。この本も単なる貧乏人のDIY自慢に終わらず、幾分哲学的な論点が提出されているのも頷ける。

ある種の普遍性を帯びている内容である。

公務員、会社経営者、会社員、皆それぞれ肩書きがあって、生計を得ている。私もそうである。しかし、これらの生計の手段、もちろん家族を養うのにホイッと捨てるわけにもいかず、明日も電車に乗って通うのだけれども、高村氏のように元々そういうのがなくても暮らせるのかどうか。

じつは暮らせる。

ところが、その(ひとり)暮らし、Bライフは、じつは外部の、まさに社会の中で公務員だったり、会社を経営していたり、仕事をしている他の人たちの働きによって、支えられている。そのことを彼は、「世話になっている」と表現している。

社会の構成員全員が、彼みたいにBライフを送りだしたら、彼に資材を売ったホームセンターもないわけだから、彼のBライフは成り立たない。ホームセンターの仕事を忌避して、山に引きこもりたいのは、ホームセンターの店員とて同じだ。

ここにBライフの矛盾というか、限界がある。みんなやっちゃダメなんだけど、この本と出会えた本当に少しの人は、将来いつかは、と心の片隅に置く程度なら許される。

そういう本であった。ちなみに、BライフのBとは、ベーシック、という意味でもあり、ベイビー、つまり幼稚な、という意味でもある。ベイビーというのは、あらゆる仕事に精通もしなければ、人として成熟もしない、子供じみたというような感じで謙遜して使っている。でも、消費社会で喧伝される様々な財やサービスに無関心ということは、生きるということに真摯に素朴に、しかし必死に向き合うという点で大人というより子供、ベイビーの境地だ。

2016年8月25日木曜日

人工知能で消える仕事

最近、人工知能の進展が人々の仕事に与える影響について外国人ジャーナリストや専門家が書いた単行本を立て続けに三冊読みました。

  • セカンド・マシーン・エイジ
  • 限界費用ゼロ社会
  • ロボットの脅威
昨今のビッグデータを活用した人工知能の「ディープ・ラーニング」により、たとえば膨大な医学や法律の文献や道路交通情報から適切な問題解決の回答を導き出したりできるようになってきたというのが、まあこの界隈の話題の肝なんです。

これまで人間がやらなければダメだろうとされてきた、あらゆる場面で人工知能が人にとってかわる蓋然性が発現しています。

微妙に方法を変える実験を繰り返して数字を取る、熟練した放射線科医でも難しいマンモグラフィーの画像から微細な癌を見つける。ある企業で、係争中の訴訟事件にまつわる書類を、膨大な量の電子メールや社内電子データから見つける、学生が書いた英作文の回答を添削するなどです。つまり、インプットの形式が不定型でも、ブラックホールのごとく人工知能にぶち込むと、はいこれでーすと解を、あるいはかなり絞られた候補の解を人間に示してくれます。

いますぐどうのこうのと言うことではもちろんありませんが、「断絶的破壊」といって、テクノロジーがある日突然、人々のある種の活動の持続性を強制的に止めると言うことが予見されているのです。

さて、私がへーっと思ったのが、大学レベルの高度な授業をインターネットを通じ無料公開する「MOOC(ムーク=Massive Open Online Course)」のことです。これは、2012年頃アメリカではじまりました。誰でもネット接続環境があれば、一流大学の講義を無料で動画で見られるとあって、学問の民主化といわれて世界的に話題になりました。2013年頃、ダメだなこれ、といわれて、一部の大学は公開講座をやめたりしているんです。

どうしてMOOCはこんな短い間にダメになったんでしょうか? それにはふたつ理由があります。

  • 一流大学の講義を受けるほどの知性の持ち主しか、そもそもこうした動画を視聴することができない(飽きる、面倒、興味がない)=つまり知性の民主化は起こらない
  • 一流大学は、年間400万ドル以上払う通学のお客様に出すのと同じ「履修証明書」を、単に無料動画を見た人に出すわけにはいかない(大学のブランドイメージの低下につながる)
最初の理由についてですが、MOOC、私もへーっと思って、何個か視聴してみましたが、もちろん、二、三個見てやめました。SNSの誘惑、それに、図書館で無料で本を借りて読んだほうが効率がいいと思ったし、これ見てどうすんだろ、ということですよね。

2番目について。これは重要でしょうね。なぜ、一部の大学だけが難関で、その他は二流、三流といわれるのか。それは就職活動で有利になる度合いと比例しています。いくら三流大学出ても、一流大学の人と就活で競ったらかなわないのです。

それを、誰でも動画さえ見れば、一流大学卒と同じ資格を得て、就活できるようになるんでしょうか? あり得ないですよね。

結局、無料動画は、非常に専門性が高く、職能スキル向上に役立つものや、そもそもその一流大学に在籍していて、授業を受けるのではなく、動画で勉強して単位を取りたい「内部生」が見るものになってきています。

もし、動画見ただけで単位を取得させるには、これまで以上に厳格な本人確認手段と、厳しい修了テストを受けさせ、一定程度以上の得点がなければならないといった関門をセットアップする必要があるのでしょう。

あとは、娘たちどうするんだろう問題です。大卒でも、卒業後はもはや、コーヒーショップのアルバイト店員にしかなれず、すぐさま奨学金の返済のために働くというように、人生がかなり平準化されている模様です。それってどうなんでしょうね。そういう社会って。

むなしすぎて、自殺したくなるかもしれませんよね。だから、人工知能で仕事なくなるよ系の本には、「ベーシックインカム必要だろう」ということがたいてい書いてあります。

そうしないと、資本主義が成り立たなくなってしまうからです。

今は、時代がテクノロジーによって大きく転換しようとしている気がします。

2016年8月10日水曜日

脳科学に基づく正しい人生の送り方

結婚はした方がよい

よく、悲しみのあまり「胸が痛い」という表現がある。通常脳内では、全身の諸々の痛みを抑える物質が分泌されており、痛みは感じないで済んでいる。ところが親との別離など激烈な体験により、この物質が分泌されなくなると、文字通り「痛み」を覚えるようにできているらしい。

親との分離は、成長するにしたがい、社会関係との分離へと移行する。成長したら、今度は社会とのつながりを持っていることにより、痛みを感じないで済む。

極論すると、人間は社会とのつながりを持てなかったり、失ったらば、脳は「痛み」という文字通りの罰を与えるようになっている。社会とのつながりとはもちろん家族のことである。家族=社会であり、会社や学校は二義的で一時的なものである。人生の大部分においてまずは家族=社会である。

Amazonの原住民も、家族単位で生活している。彼らがそうしているのは、何もAERAの結婚のコスパ特集を読んで、やっぱり結婚したほうがコスパがいいからそうしているのではない。本能的にそうすることが本能的に設定されているからである。

脳科学を読むと、結婚して家族を持つことは、四の五のいう前にまずは脳が発動する「罰」を封じ込めるという点で、必須である。

昨今結婚できない(しない)人が増えている。そういう人たちは、結婚に代わる愛着の対象を獲得すればよいだろう。それこそ仕事(会社ではなく、仕事そのものに対する愛着でないと。会社は裏切るが仕事は取り組むだけ満足感を得られる)でもよいし、地域の集まりやコミュニティーでもよい。ミニカー集めでもいいかもしれない。マラソンでもいいだろう。脳が罰を発動する隙を与えなければいい。

いちばんよくないのは、故郷の家族と離れ、寂しさを封印して、しかも社会の中でいかなる居場所も見つけられない非正規労働の単身者である。パニック発作のようなものが起こって、ドツボにはまりやすい。

SNSはやめて、自分の脳を上手に使う

私はよく、家事育児がたいへんだとぼやいている。そのぼやきを社会のせいにしたりして、SNSにも熱心に書き込む。この行為は左脳の仕業で、私の脳の健全な運用において一利もない。つまり人生にとってメリットがまったくない。

人間は、自分の心の中で「台所片付けよう」という内的発話をきっかけに台所片付けに必要な動作記憶のレパートリーを直ちに呼び出して実際に筋肉を動かす。

脳科学の本を読んで分かったことだが、台所を片付ける「動機」は、あくまで自分の中に生じる内的な「やろう」という発話である。口に出してももちろんよい。その発話を直接のきっかけに、反応的に身体が動く。もちろん、台所の片付けの方法(筋肉を動かすひとつひとつの所作の仕方)は、生まれてからもう何千回とやってきているから、いちいち考えなくてもよい。無意識にできてしまう。やっているあいだは、左脳は何を考えてもよいのだが、その際に、なんでこんなことをしないといけないんだろうと、めんどくさいな、男尊女卑でひどい世の中だ、などと考えるのは今までの私の常だったが、これは脳の発展のためにならない。というか、負荷がいたずらに高まって非生産的だしむしろきつさを募らせるだけだ。

人生を面白く生きたいのだったら、どんなことをしているときでも、左脳では常に「最高に楽しいし、やりがいがある」と思っていればよいだけのことである。

それは自分にウソをつくということであれば、確かに家事が面白いわけはないので、まるっきり別のことを考えればよい。

何しろ家事技能の習得はとっくにできているから、左脳は自由である。自由に考えてよい。考えなくてもよい。どんどん新しいなにかを志向して、やれることをやればよい。たとえば、(じつは昔はやっていたが怠惰になりやらなくなった)放送大学を聞くとか、行政書士の音声講義を聴くとかである。

実際のところ、なにかをなすのはほとんどが、過去に習得した運動記憶の再現で可能だ。家事はもとより、勉強だってそうだ。取りかかりさえすれば、テキストや参考書のページをめくる、見る、問題を解く、何でも無意識にどんどんできる話しである。気が散るなら、左脳の活動をシャットダウンしてしまえばいい(だからマラソンとかコワーキングとかある)。

人間にできないことはない

子どもが最初、ばぶばぶーとか言っているだけだったのが、親が話すのを読み取って、一生懸命言葉を習得する。ミラーニューロンという脳の神経細胞の活動によってなされる。

ミラーニューロンは何も、子供のときの言語獲得にのみ有効なのではない。模倣によって運動記憶を蓄積して、人間はたいていのことができるようになる。

こうした脳の機能は誰にでも備わっているのだから、自分で何でも取り組んで習得し、実行すれば人生はどんどん開けていく気がする。

にもかかわらず、できないと思い込んで、他人の力に頼ったりすると、働いても働いても本部に利益の大部分を持って行かれる被搾取フランチャイズ店長になってみたり、変な豆腐売りや林檎ジュース売りになってみたりする。子供が、あのリヤカーにジュース積んでひっぱてる人ナニ?と訊いてきたから、自分でやらないで他人に頼ったらああいう風になるんだよ。と教えた。自分でリヤカーだって作れるし、安い林檎ジュースの仕入先だって見つけられる。でも彼らは、人からリヤカーを買い、林檎ジュースも「本部」の言い値で超高く仕入れるから、うんとお金が必要になって、しかも高いもんだから、売れない。自分でやれることをやらないと抜けられない地獄に行くんだよ。と。

セブンイレブンの「オーナー」は、経理は本部が指定する会計事務所を使わないといけない。経理も自分でやらせないなんて、まさにコンビニ加盟が搾取への片道切符であることの何よりの証拠だろう。

まあもちろん、水道工事や耳鼻科治療、外科手術など自分ではやらないほうがいいこともあるんだが。

脳を使い切れば何の不幸もない

結局、ぼやいたり、他人に頼ったり、結婚はコスパが悪いとかいって独居を決め込んだりするのは、脳が持つすばらしい道具を使わずにいるわけで、これほどもったいないことはない。しかもこの宝の持ち腐れ状態を放置することは、他のどんな資本主義的な営為をもってしても回復困難な損失を人生にもたらす。

世の中の不幸のほとんどは、脳のすばらしい力を知らないまま、怠惰で楽な時間の使い方を正当化し、あとはどうでもよいソーシャルネットワークに不平不満を投稿した結果もたらされる、脳からの「罰」である。それは物理的な痛みとなってもたらされるので、そうなる前に、物事への反応の仕方を変え(ネガティブなこと、ねたみ、社会へのやるせない不満鬱憤をあれこれねちっこく考えない)、行動はすぐ実践に移し(移せるのだから)、家族、またはそれに代わる愛着の対象を持つようにする必要がある。

2016年8月4日木曜日

新生銀行他行振り込み手数料5回まで無料にする法2016年版

 もともと大昔は、新生銀行は他行振り込み手数料がなんと月5回まで無料だった。私もそれでわざわざこの銀行に口座を開設した。
 私は毎月他行振り込みが多いので重宝していたのだが、あるときから1回しかできなくなってしまった。数年前から。
 ところが最近、新生銀行のスマートカードローンプラスという消費者金融サービスを利用し、毎月20日時点でご利用残高が1円以上であれば、翌々月は、5回まで振込手数料が無料になるということが分かった。
 スマートカードローンプラスは要は借金だから、14.8パーセントという鬼のような金利が付く。残高スライドリボルビング払いという、なるべく残高を減らさないような返済のしくみで、銀行側にかなりたくさんの利息が落ちるように巧みに商品が設計されている。借りる側から見ると、毎月の返済額はわずかで済むとメリットのように書いてあるが、なかなか残高が減らないために、利息が非常に高く付くという合法的な「詐欺」商品である。従って、このスマートカードローンプラスを、この商品の本来的な用途(つまり借金)で利用するのは絶対におすすめできない。そのような事態に至ってしまったら、消費行動を見直すべきだろう。使途が生活費ならば、借りる前に役所に生活保護の相談に行ったほうがいい。
 借金ではなく、あくまで毎月20日に借入残高1円という状態を作り、毎月5回までの他行振り込み手数料無料を獲得するという目的のために、このスマートカードローンプラスを利用する。
 その方法だが、18日くらいまでに、スマートカードローンプラスを申込みして最低利用金額の1万円を申し込む。借金の申込みなので、年収、勤め先、勤め先電話番号、諸々を銀行に開示する必要がある。そして自宅と勤め先に電話がかかってくるし。免許証の画像も送信しなければならない。非常に不愉快な経験である。
 しかし、申し込んだ翌日には本当に1万円が私の新生銀行の口座に振り込まれていたので驚いた。簡単に借金地獄に入れる。手続きの面倒くささは、子供の教育費の支援を自治体から受ける際にくらべるとはるかに楽だ。まったく、政府自治体の支援も、これくらいスマートにやってもらえたらいいのに!!
 それで、翌日にはスマートカードローンプラスの会員番号がメールで届くので、その情報その他を利用して、スマートカードローンプラスにログインする。すると借入残高は10004円とある。4円は金利。すぐに1円を残して、残りの元利合計10003円を返済してしまう(自分の新生銀行の口座から振り替えられる)。翌日にもかかわらず、4円も利息が付いていて萎える。しかし、他行振り込み手数料は一行あたり、一番安い昭和信金でも108円かかる。これが5回分無料つまり540円のメリットがある。従って4円くらいなんということもない。この4円だが以下の計算式で求められる。
 10000×14.8%(金利)÷365=4.0547
 このように、14.8%の金利の借金1万円は一日4円の利息が付くことが分かる。
 さて、これで20日に残高1円という状態を作り出せた。ではこの1円はどうなるかというと、毎月28日に自動的に新生銀行の自分の口座から返済される(28日というのは自分で決められる)。自動返済額は、例の残高スライドリボルビング方式とやらで、残高10万円以下は3000円、残高が3000円以下の場合は全額、と決まっている。だから、28日になったら1円も返済されて、借金の借入残高はゼロになる。
 翌月の20日までに、再び同じように1万円を借りて、振り込まれたらすぐ、1円を残して返済する。この作業を毎月繰り返して、540円のメリットを得続けることができるし、借金も残らない。
 540円といえば、格安スマホのデータ通信契約で、2ギガ程度は十分契約できそうだ。スマホからももちろん手続きできるので、手持ちのスマホをこのように利用してチマチマ節約するのがよいだろう。
 面倒くさいこのようなことを続ける意味はあるのだろうか?
 もちろんある。金銭的な意味は確かに少ないが、金を借りる危険性を認識し、節約の実践家であることを毎月自己確認する意味はかなり大きい。
 新生銀行に、このような使い方は「あり」なのか電話で聞いたら十分ありだという。なぜなら、他行振り込みのために利用者は一時的にであれ口座残高を増やすわけだから。そういうふうに言っていた。
 もちろん実際のところ、ほとんどの消費者はこれで借金にずぶずぶにハマり、銀行は利息で大もうけできるということを経験則で知っているからやっているに決まっている。
 ちなみに新生銀行は、コンビニATM入出金利用料は原則いつでもいくらでも無料。これはスマートカードローンプラスを利用していなくても無料。他のネット銀行と違い、未成年でも口座を開設できる。
 最後に、くどいようだがこの裏技は十分気をつけてやってもらいたい。これは、借金だ。あなたが大丈夫と思っても、借金の罠は手強い。借金を申し込むと、自分の預金口座にお金が振り込まれる。するとちょっとアドレナリンが分泌され、なにかスゴい得した気分になってしまうかもしれない。あなたは、借金できたら、気が大きくなって、それを消費に回したり、遊びに使ってしまいそうですか? または、過去に借金してそういうことしたことある? そういう人は絶対にスマートカードローンプラスの利用はやめろ。借金にハマるかどうかは、他の薬物やアルコールのアディクションと同様、心療内科で専門の知見が蓄積されている。540円を節約する以前に、いったん心療内科またはカウンセリングを受けた方がよいだろう。

2016年8月2日火曜日

アフガニスタン。妻を金で買う国と日本のモラトリアム

ソニータ アフガニスタン難民 少女ラッパーの物語(発掘アジアドキュメンタリー イラン/ドイツ/スイス共同制作)を観た(NHK BS)。
 アフガニスタンでは、たとえば男の子と女の子がいる家庭の場合、女の子を男に結婚させる。すると、100万円程度の「結納金」がもらえる。男は女を選び放題である。女のほうには一切の決定権がない。女は、生殖のための家事育児奴隷として売買の対象になっている。
 男の子が嫁を「買う」ために、姉妹がいると助かる。その女の子を売った金を、今度は女の子を買う結納金に充てられる。
 ソニータは、アフガニスタンからイランに逃れてきた難民の少女で、15歳。アフガニスタンに残してきた母親が、娘の売り先に目処が付いたからと、娘を連れ戻しに来る。母親は娘を商品のように売り渡すことに何の躊躇も無いし、習慣だからといって頑として譲らない。
 先進国は、文明というのは、ソニータのような境遇の少女をひとりでも減らすことに注力する義務があると思う。人間を人間扱いすることが文明の基本である。
 ソニータを取材したドキュメンタリーチームは、この母親に2000ドル支払って、半年の猶予を得る。ソニータはその間に自分のラップのミュージックビデオをユーチューブにアップ。これを見たアメリカのアフガン難民支援の学校関係者から声がかかり、奨学金を得てアメリカに渡る。



 この番組では99パーセント、イラン人やアフガン人が写っている。しかし、番組の最後に、カリフォルニアのライブハウスで、アメリカ人観客を前にソニータがラップを披露する場面がある。そこで一瞬だけ、アメリカ人たちが写る。そのとき、自分は、アメリカ人の側の人間で本当によかったと心から思った。
 しかし、自民党の憲法草案をよく見ると、結局文明を後退させて、アフガンみたいに殺伐とした非人間的な国家像が浮かび上がってくる。国家は家族なんて面倒見ない。いざとなれば、いつでも好きなように国民の権利を制限できる。そういうことを書いてある自民党の憲法草案はクソだ。自民党憲法草案などクソ以下で、まったくゴキブリすらむしろ美しいほどである。あんなのを標榜しているクソ政党を支持する地方の農民たちや、都会の地主層ってのはもはや文明人とはいえない。バカだ。クソバカ。本当にあり得ない。きっと、日本の地方も、じつはアフガニスタンのような感じなのだろう。貧しい家の女の子は…。
 話はそれたが、家事育児を、「買ってきた若い女」にやらせるのがアフガンのリアルな婚姻制度である。一方先進国の日本では、その家事はもちろん「買ってきた妻」にやらせるわけにはいかない。仕方ないので夫婦で自分たちでやるしかない。夫婦で話し合ってシェアする。もちろん、結婚するかしないかは、女性にも対等に決定権があり、女性が嫌だといえば婚姻は成立しない。金など関係ない。
 そして、いま。進む晩婚化。生涯未婚率の増加。少子化。なぜか。結局みんな、アフガンの男たちと同じで、家事育児を自分でやりたくないからだ。すべての原因は、人間の営みとしての「家事育児」への忌避感だ。男のみならず、女だって同じようにそれは持っている(日本の女は、金持ちと結婚して家事育児はなるべく外注したいと思っているがそれが非現実的なので結婚できない)。
 今いろいろな物事がAIによって人間の手を離れようとしているのだが。この家事育児、そして親の介護といったウンコ汚れ仕事だけは、どうなんだおい。まったく。

『モラトリアムタマ子』 という映画。地方のあるスポーツ用品店主(妻と離婚)と、その娘で、大学を出たものの家でニート状態に陥ったたま子という主人公の物語である。この映画を観ると、地方のヤバさが痛いほど伝わってくる。女が結婚も仕事もせず、家に居続けるとどうなるか。これは、今は男が結婚も仕事もせず家にいるとどうなるかとまるっきりなにも変わらない。子の引きこもり問題では、子の性別はまったく関係ないのである。うっふー、日本もアフガンみたいに、女だったら売りに出せば金になる、だったらよかったのにねー!!!



タマ子「ダメダナー日本は」
父「日本がダメなんじゃなくて、お前がダメなんだよ いつ就職活動始めるんだ!! いつなんだ!?」
タマ子「少なくとも、今ではない」

2016年6月30日木曜日

断捨離に取り組む

諸般の事情で、月々3万で借りていた物件を退去しなくてはならず、膨大な量の私物を処分する作業に従事している。

作業は本当につらい。たとえば、子供が幼稚園や小学校の頃に書いた作品などは捨てがたい。なぜなら、そういったものは今はまったく無価値だが、万が一子供が私より先に死んだときに、引っ張り出して、それらをしみじみ眺めて泣いたりする場面で必要な小道具である。

その肝心の小道具を今捨てなければならない。子供には絶対に私より長生きしてもらおうとそう思ってやるしかない。

経済的に考えると、その万が一の場合に備えて、毎月毎月一定の額を保管に費やしていくということの合理性が問題だ。もちろん大金持ちならできるが、私はもはや家計が火の車である。

子供が死んだらどうのこうのということを考えて、そのために一定の支出を甘受し続けることはもはやできない。毎月の保管場所の家賃を上回る、子供の、たとえば部活の合宿費用などを来月初めに振り込まなければならない。これこそが現実であり、目の前のことだけに集中することによって得られる心の安寧(マインドフルネス)っていうヤツだ。

というわけで、すっきりきれいな空間で明日もこれからもいつまでも、健やかに家族全員生きていけるよう祈念しつつ今、断捨離に取り組んでいる次第である。

断捨離をしながらマインドフルネス瞑想である。

2016年6月20日月曜日

マインドフルネスとコーピング、ふたつのストレス対処法

ストレスを放置するとコルチゾールという悪い物質が副腎皮質から脳に向かって分泌される。この物質は脳の重要な部位を縮減させるなどしてうつ病や認知症の原因となる。

ストレスを減らすふたつの方法として、コーピングとマインドフルネスがある。

コーピングは紙にリストアップして検証する。自分が気晴らしとしてやりたいこと、ストレスを忘れて没頭できそうなことを100近くリストアップして、折を見て実践していく。

内容としては、運動、趣味、レジャー、妄想、カラオケなど遊び全般。

詳細はこちら。
http://www.iryo.co.jp/ninchi/coping.php?TB_iframe=true&width=700&height=600

マインドフルネスは、瞑想(ただし宗教的意味合いを取り除いた)のことで、過去や未来を思い煩う脳の作用にブレーキをかけ、今この瞬間に意識を集中させる。今この瞬間だけに意識を集中させれば、ストレスの原因となる「思い煩い」時間を減らすことにつながるのでストレスを減らせる。

毎日10分程度、目を閉じて、まっすぐに坐り、自分の呼吸、空気の温度、風の様子、そういったことに注意を集中させる。雑念は取り払う。

(1)背筋を伸ばして、両肩を結ぶ線がまっすぐになるように座り、目を閉じる
脚を組んでも、正座でも、椅子に座っても良いです。「背筋が伸びてその他の体の力は抜けている」楽な姿勢を見つけて下さい。
(2)呼吸をあるがままに感じる
呼吸をコントロールしないで、身体がそうしたいようにさせます。
そして呼吸に伴ってお腹や胸がふくらんだり縮んだりする感覚に注意を向け、その感覚の変化を気づきが追いかけていくようにします。
例えば、お腹や胸に感じる感覚が変化する様子を、心の中で、「ふくらみ、ふくらみ、縮み、縮み」などと実況すると感じやすくなります。
(3)わいてくる雑念や感情にとらわれない
単純な作業なので、「仕事のメールしなくちゃ」「ゴミ捨て忘れちゃった」など雑念が浮かんできます。そうしたら「雑念、雑念」と心の中でつぶやき、考えを切り上げ、「戻ります」と唱えて、呼吸に注意を戻します。
「あいつには負けたくない」など考えてしまっている場合には、感情が動き始めています。「怒り、怒り」などと心の中でつぶやき、「戻ります」と唱えて、呼吸に注意を戻します。
(4)身体全体で呼吸するようにする
次に、注意のフォーカスを広げて、「今の瞬間」の現実を幅広く捉えるようにしていきます。
最初は、身体全体で呼吸をするように、吸った息が手足の先まで流れ込んでいくように、吐く息が身体の隅々から流れ出ていくように感じながら、「ふくらみ、ふくらみ、縮み、縮み」と実況を続けていきます。
(5)身体の外にまで注意のフォーカスを広げていく
さらに、自分の周りの空間の隅々に気を配り、そこで気づくことのできる現実の全てを見守るようにしていきます。
自分を取り巻く部屋の空気の動き、温度、広さなどを感じ、さらに外側の空間にも(部屋の外の音などに対しても)気を配っていきます。それと同時に「ふくらみ、ふくらみ、縮み、縮み」と実況は続けますが、そちらに向ける注意は弱くなり、何か雑念が出てきたことに気づいても、その辺りに漂わせておくようにして(「戻ります」とはせずに)、消えていくのを見届けます。
(6)瞑想を終了する
まぶたの裏に注意を向け、そっと目を開けていきます。
伸びをしたり、身体をさすったりして、普段の自分に戻ります。

引用元 NHKスペシャル「シリーズ キラーストレス」よりマインドフルネス実践法
http://www.nhk.or.jp/special/stress/02.html

2016年6月6日月曜日

嫌われる勇気を読んで

『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラーの教え」』岸見一郎・古賀史健著を読んだ。

この本は283ページも本文があり、非常に長いが、自己啓発本の好きな読書家にはたまらない魅力が盛り込まれている。

何より、ほかの幾多の自己啓発本の「源流」ということで、これ一冊買えばすべてオッケー的なお得感がある。それが、「心理学」や「哲学」の世界の著名人からたくさん引いて、スノッブな魅力もいっぱいだ。

重要な部分をまとめるとだいたい次の3つとなるが、読むときのその人の心境や境遇で、クローズアップしたい部分は異なろう。あくまで私が今さらっと見直してみて次の3つだ。


  1. 他人の目だとか、これまでの経緯や過去の出来事を気にすることなく、目の前のタスクに取り組むのがいちばんいい
  2. 他者への貢献をすることで、自分の価値を高めることができる(自分の価値は他者への貢献によってのみ実現される)
  3. 物語ではなくその瞬間瞬間を生きる


ネット、特にSNSばかり気にして、目の前の仕事や家族に集中力を持って取り組みにくくなっている現代社会では、これはいつでも忘れてはならない戒めといって良かろう。

3番目では、「人生に一般的な意味はない」としながら、世界を変えられるのは他人ではなく、自分しかいないといっている。意味があるのかないのか、その意味を自分の人生に付与するのは、他人ではなく自分である。

その自分は、過去にどうだったから未来はどうだとか、考える必要もない。その瞬間瞬間にスポットライトを当てて、今だけを生きる。タスクをこなす。

二宮金次郎みたいに、薪を背負って本を読む、それでかしこくなったあとは、苦しむ農民のために尽力する的なイメージだろう。

となると、冷静に考えれば、いつの世も偉人というのはそういう風な感じだ。一心不乱に目の前のことに集中してきて、気がついたら圧倒的な存在になっている。

私のように、組織に属することなく、日々わりと単調なタスクをしつつも、長期的にも人生を考えなければならないつまりプレイングマネージャー的な立場の者には、大いに励ましになる。

2016年6月2日木曜日

その仕事は本当に組織だけしかできないのか?搾取なき労働を考える



ファイナンシャルプランナーとなって12年になる。この間、売上高は2万円ほどだが、FP協会に納める年会費や維持費は15万円くらいになる。要するに赤字だ。

AFPなんて保険とか売らない限りはドヤ顔ツールに過ぎない。

それはそうと、マックジョブ(低賃金で、将来もなく、危険も伴う希望のない非正規就労)の現場はいつの時代も悲惨なのだが、近年の世界的なトレンドの影響で、それはたぶんグローバル化とか、富の集中とかだけれども、現場に入る人間のメディアリテラシーが上がり、広く一般に知られるようになった。

大企業のチェーン店やフランチャイズ加盟店のオーナーに雇われて働くアルバイト店員という境遇。私も、学生時代に新宿駅南口のファーストキッチンで働いたことがあるから分かる。

これが一生の仕事だったらまずあり得ない。長時間拘束されるにもかかわらず、技能の蓄積もなければ、預貯金もおぼつかない。おまけに仕事内容は単調をきわめ、やりがいもないし、職場の人間もホーキンス博士が形容したトランプ支持者、つまり最底辺の大衆みたいな感じで心を通わせたり価値観をシェアしたりといった余地はない。

大手の外食産業はすべて、原材料を極限まで安くして、そして現場に人間の給料も安くすることで、株主、本部やオーナーは利益を得ている。

しかし、実際に食べ物を作る人、食べる人の幸福など考えられているようで、考えられてはいない。この先は、いろいろグローバル資本主義批判につながるのでちょっとおいておくとして、私が言いたいのは、「その仕事は本当に組織にしかできない仕事なのか?」である。

昨今、小商いが流行っている。大企業に属して、組織的に行う大事業に従事するのではなく、地元で、低資本で始められる小さな仕事で生計を立てる考え方である。

私が昨年始めたパン屋も、小商いといえば小商いである。しかしパン屋は、マクドナルドや大手のチェーンのような大企業も取り組む商材だ。やってみて一日で分かったが、じつにまっとうなこと(よい素材のものを、清潔が行き届いた素敵な店で、低価格で売る)をすればするほど、利益は減る。

こんなことは私ひとりでやらないと、誰かに任せようものならたちまち取り分は減ってしまう。つまりパン屋は小商い向きの仕事ということになる。

どっか、海外の海辺に、人間が捨てたプラスチックゴミで腹を満載にした鯨が死んで打ち上げられた。

何が言いたいかというと、レジ袋1つとっても、大企業の歯車で働く以上、それが客を通じて最後、海辺で捨てられて鯨の腹にたまると知っていても、レジ袋を渡さないといけない。そういうことをしないと時給がもらえない。時給で暮らす以上、自分以外の誰かが決定してくれるまで、鯨の腹にレジ袋がたまり続ける悪夢からは離れられない。

しかし、自分が雇い主で、自分がレジ袋を選んだのなら、同じレジ袋を使うにしても、自分のこととして、その死んだ鯨への気持ちを引き受けることができる。そして、早晩レジ袋を使うのをやめることだってスグできる(イメージとしてです)。

まあ私は実際のところ、それでもレジ袋を使い続けるのだが。組織で働くと、そういう細かいことひとつひとつも搾取される感じがして、不健全でダメだ。その仕事は、本当に大組織の末端として関わらなければ成し遂げられないことなのか。そこを考える必要があろう。

2016年5月10日火曜日

絶望ラジオ

 NHK BSの「ドキュメンタリーWAVE」で、韓国の若者がはじめた非営利メディア「絶望ラジオ」を特集していた。
 もちろんインターネットラジオ。
 内容は、編集長が社会に絶望するリスナーの投稿を読み上げ、「そういう人多いよね」「ぜんぜんめずらしいことじゃない」「社会のせい」といった感じで、コメントする。同情したり励ましたりするのではなく、絶望をシェアして、確認する、たまにユーモアを入れながら。
 ソウル大学という一流大学に貧困家庭から進学するものの、生活費を稼ぐためのアルバイトの負担から成績が下がり、奨学金停止となって休学しているあるリスナーのケース。彼はいう。自分の惨めな境遇を知人に話しても同情されるだけ。同情してもらったり、癒やしを得たいのではない。ただ聞いてほしい。だから自分は絶望ラジオに投稿するのだ。
 社会的絶望は相対的だから感じ方は人によってまったく違うだろう。
 私もブログ、このブログはプロブロガーイケダハヤトの数万分の一しか読者はいないわけだがゼロではない、に、こうして日々あーだコーダ、日頃の生活苦や仕事のつまらなさ、社会への恨み辛みを書き散らしているけれども、決して同情してもらおうなどと思っているのではない。というか、同情してもらえるはずがない。
 絶望ラジオに投稿する若者みたいに、こういう境遇があり、こういう感じ方があるんだということを知ってもらいたいだけで、それでもう十分。だからコメント欄も作ってない。
 ただ、ブログ投稿はそれ自体やらずにはいられない。ブログを書かずにはいられない。どんなに人が観ていなくても。
 なぜか?
 たぶん、書くと自分の人生に新鮮味が生まれていい感じになるという効用があるきがする。毎日毎日、同じことの繰り返しだと、本当につまらなくて、退屈になってくる。もちろん、平和でまあまあな暮らしはそうだけれども、その状況への退屈さはぬぐいがたい。
 どんなに幸せでも、あるいはまた、先が見えない泥沼な人生でも、それをはき出す機会がどうも必要なのである。
 さて、韓国では「コシウォン」(考試院)とかいう、司法試験受験生のための二畳ほどのベッドハウスがある。およそ2万円程度で、二畳の部屋と簡素な家具が与えられる。そのコシウォン住まいで、何年も、難関試験(おもに公務員試験)に挑戦する。いま、その数50万人もいるというから驚いた。
 ところが、最近は、あまりに無味乾燥でまるで牢獄のようなコシウォンではなく、キッチンをシェアするシェアハウスも人気があるようだ。
 番組で取材していたあるシェアハウス。大手出版社営業職を脱サラした30代の女性が経営している。利用者の個室はやはり2畳ほどで狭いが、毎日ご飯をみんなで作ってみんなで食べる。
「家族と過ごしているみたい」と好評である。
 私もアスペルガーでなければ、こういうところもいいんだろうなと思った。もちろん、私のような神経質野郎には無理だし、そもそも家族がいるからホッとするという心境もよく理解できない(生まれてこの方寂しいという感情を持ったことがない)。
 わたしはどうでもよくて、コシウォンよりもシェアハウスのほうが、多少人間関係で煩わしいリスクもあるのかもしれないが、心と体の健康にはいいと思う。
 絶望ラジオの編集長は、2年前の「セウォル号沈没追悼集会」に出かける。船を運航している会社が、人命より利益を重視した結果、高校生300人の尊い命が失われた痛ましい事件である。これは井浦新のアジアハイウェイでも取り上げられていたが、高校生の子供を持つ親として、まさしく「刺さる」事件である。格差拡大や、資本主義社会における人命の軽視など、今の時代を象徴する問題を照らした。
 以上、ドキュメンタリーWAVE「絶望ラジオ」非常に興味深かった次第。
 ところでわたしの子供達は将来に絶望していない。今はまだ、何の挫折もない。しかし大学まで首尾よくいったとして、就職できなかったらどうしたらいいのか。親としては、就職できなかったとしても、しっかり人生を楽しめる居場所を社会が用意してくれればよいと思う。実際、ソウル市は、若者が集まってサークル活動をしたり歓談するサロンのような場所を用意している。そこに大勢の韓国の若者が集まって、交流している。こういう試みは「へー」と思った。すばらしいと思う。
 企業が昔のような「包摂」の力を失い、また家庭も疲弊し核家族化が進む中で、若者の居場所は減る一方だ。若者が集まって、何でもいいから愉快に過ごせる場所、居場所があれば、そこから社会を変えるようななにかが生まれるかもしれないし、少なくとも生きる力になるだろう。
 まあもっとも、武蔵野プレイスの地下二階の青少年フロアはうるさいから行きたくないと娘はいうのだが。うちの娘はさすが、アスペルガー両親の子供だけあって、そういうところでは不感症である。
 で、私としては、この一斉就職で、大企業または公務員などになればハッピー、それ以外は「男として」オワコン、的な線路しかない日本社会、どうすればいい問題なのだが、毎日いろいろなアイディアが浮かぶ。今日のアイディアはこうである。
 大企業や公務員に内定した人は、個人的に無理矢理秘書を雇う義務を課せられる。というか、給料のうち一部は同性の秘書の経費としてのみ支給される。または、秘書に払った金は税額控除されるのでもよいだろう。秘書はその稼ぎ手に何らかのサポートを行う。ただ、話を聞くだけだったり、合図ちを打ったりといった程度が期待される。同情したり、アドバイスすることは期待されていない。セラピストでもなければメンターでもない。
 秘書を誰にするのかは、自治体が決める。選べない。秘書は自動車免許のように、警察が秘書を教習する。なぜ警察かは特に理由はない。ピリッとして、私語防止に役立つから。お巡りさんが、教壇で、「秘書は雇い主のサポート役ではありません。一緒に伴走し、人生を互いに実り多いものにする「仲間」であり、家族です」とかいうのを想像するだけで楽しい。それを、茶髪のマイルドヤンキーとかが丸っこい字でノートにメモしたりとか。
 私が知事になったら、そういうふうにする。というか、誰か私を秘書として雇ってほしい。

2016年4月28日木曜日

ドナルド・トランプのおかしな世界

The mad world of Donald Trumpというドキュメンタリー作品を観た。

The mad worldというとおり、トランプという、未成熟のやんちゃでわがまま(自己愛性人格障害)なおじいさんが大統領選に立候補。金にものをいわせてひらく大規模集会では、むちゃくちゃなことをいって、そしてあろうことか、非常に多くの低学歴の白人が熱狂して支持をしている。

トランプの主張はもちろんめちゃくちゃで文明に逆こうするような排外的で偏狭なものばかり。ISを徹底的にぶっつぶす。メキシコ国境とのあいだに巨大な壁を、しかもメキシコ政府の負担でつくる。

トランプは、女性への異様な言動で過去に問題を起こしている。ある晩、妻(すでに離婚)の髪の毛をつかんで無理矢理強姦する。そして翌朝になり、「痛かった?」と聞いたというエピソード。

このエピソードを語った伝記作家は、「要はこういう不安定な人物に、核のボタンを握らせてはならないと言うこと」。

そして、スコットランドの元首相は、万が一トランプが大統領になって核戦争が勃発した場合に備え、地球上でもっとも放射能の影響の少ない南極行きの飛行機のチケットを予約済みだと真顔で語った。

実際トランプが大統領になるかどうかは微妙である。なぜなら、彼を支持する層は、投票所には実際には足を運ばないとみられているからである。集会は娯楽として楽しむが、投票には行かない。

それだったら本当にいい。でももし、まかり間違ってこの男が大統領になったらどうなってしまうんだろう。かつてなく高まっている、悪夢のような歴史の逆回転の瀬戸際に人類が立っている、そんな気分。

格差が拡大して、一生懸命努力しても浮かばれない人が増えた。毎日仕事に追われ、将来は先が見えない。年金もいつもらえるか、十分もらえるか、まったく分からない。

そういう人たちだって、もちろん人間だし、希望を持って毎日を生きたい。彼らは憂さ晴らしをしたい。退屈な日常にはうんざりしている。カタルシスを得たい(すっきりしたい)。

そこにトランプが登場した。しんみり。私にもなにか登場してほしい。トランプ以外で。そうたとえば、こんな…。

2016年4月27日水曜日

毎日、きのうとはちがう「新しさ」を

「暮らし」の中に新しさを見いだす方法は容易ではありません。

しかし、人間退屈さが何よりつらいものです。退屈さは、「新奇性」の欠如からもたらされる。刺激が、新しさがないのなら、生の満足感を得ることはできません。

残念ながら、あらゆる試みは、脳がある刺激から受け取ることができる満足感が逓減する性質により、必ず陳腐化します。

このブログでは何度も、飽き飽きする退屈な日常について書いてきました。この問題を克服するすべ、しかもそれは近年の給与所得の減少により、いよいよ予算も限られてきています。

もはや私の解決法はじつに味気ないものとなってしまいました。しかし、長年にわたってこれを追究してきたので、どんどん洗練されています。今のところ、私の対処法はふたつになります。

  • 寝てしまう
  • 人と交わる(家族以外)
以上です。

2016年4月23日土曜日

組み体操、危険性が問題に

組み体操が危険で、けが人も多数出ていることが分かっている。
背中の上に人が何重にも乗って、非常に痛い。上から一気に内側に崩れる際に、死者や後遺障害の人も過去には出ている。

こういうのは本当にやめてもらいたい。裁判にもなっていて、学校は安全配慮義務がある。組み体操における安全配慮は、単に補助者の数を増やすといったおぼろげで実効性に乏しいものではない。裁判所の判例によれば周辺に、とっさのときに安全につかまれるような足場を組む以外に、具体的な安全策はないということである。

子供が4人も公立学校の世話になっており、いろいろ学校制度の矛盾や陳腐化してもはや不条理と言っていいような事象も見えてくる。

PTA活動はその最たる例だ。保護者は格差の進展で両方とも共働きや、シングルマザーが増えている。1分でも多く働かなければならないし、家では休息しなければ体も心も持たない。にもかかわらず、土曜や休日にPTAの活動に出かけて形骸化した仕事に従事しなければならない。

もちろん、ある程度時間とくらしに余裕が有り、専業主婦で子供が少ないようなご家庭なら、やればよかろう。

しかし、実際のところ、PTAはクジで役職を割り当てられる。もしうちのような激闘共働き極貧子だくさん自営業者や、シングルマザーにあたったらどうなるか。無理だ。

もっとも許しがたい最近きいたPTAの理不尽活動の例を挙げよう。小金井市では昔から、地域の年寄りの集まり(任意の組合)が学校に寄付している(支援している)。その年寄りの団体に、お礼のためにたとえば運動会などの学校行事に「来賓」として招く。そこまではよい。問題は、その連中に招待状を出すという事務がPTAに課せられているという点だ。

正直言って今の高齢者で、金を集めて学校に寄付をし、招待状が来たから喜んで運動会に行くというのはどういう連中なのか?

もう子供が騒いでいるのであとはかけないので、「組み体操 危険」「PTA 理不尽」のキーワードで適当にググってあとは自分で考えてください。

2016年4月11日月曜日

タックスヘイブンに富裕層の資産3000兆円

日本の借金1000兆円(国・地方合計)。いろんな環境問題の解決に年130兆円。国や地球全体の福利の向上に使えば、一発であらかた解決できるほどの額が、タックスヘイブンに隠されていることが明らかになりつつある。

これらのお金は、企業創業者や歴代の政治家、セレブタレントなどが個人的に稼いだお金で、合法(というか、法律の適用を逃れて)に隠されている。


  • 節税
みんながまったく合法的にできる、税金の節約。

  • 租税回避
わざわざ、ある国での課税を逃れる目的で、その国の税法の適用の外にある地域にあえて資産を移すこと。法律では課税できないから、罰金を科したり処罰できない。タックスヘイブンはこちら。

  • 脱税
嘘の申告をして課税を逃れること。違法。

はーあ。

2016年3月24日木曜日

年金も税金も払いたくない

池田信夫氏のブログを読んで、ほとほと年金も税金も払いたくないと思った。




一言でいうとこの国では、豊かな高齢者に貧しい若者が借金までしてお金を仕送りしている。

なのに政府は教科書などを通じて若者に「国を愛せ」「郷土愛」「美しい国」とドヤ顔。マジ、日本はナニサマなのか?アホか?ジジイが若者をとっ捕まえてSMプレイか、これは。

「日本死ね」という話題のキーワードがあるが、結局若い子育て世代は、自分の子供の養育費だけではなく、見ず知らずの高齢者(豊かで資産持ちが多い)にもお金を仕送りしなければならないという、江戸時代の年貢のような不条理な世界で生活を余儀なくされているのだ。

この「保育園落ちた、日本死ね」にたいし、「日本死ねなどと言ってはいけない」とその言葉遣いや表現をディスる勢力がいるが、この勢力に対し、病児保育NPO代表フローレンスの駒崎氏が上手いこと言った。
おぼれそうになっている人が、「助けて、浮き輪早く投げて」と言っているのに対し「言葉遣いがどうなんだろう?」といっているようなもの
喫緊の課題なのに、変な論点ずらしで批判したってまったく意味がない。

私は4人も女児を養育していて、毎日、世間一般のお母さんたちがやらされている「仕事」(子育て家事育児)をしているけれども、その仕事内容(片付け、掃除、各種世話、ケア、病院送迎、習い事送迎、安全確保、食事の準備、生活消耗品の補充)はジェネレーションXという小説(ダグラスクープランド)の3Kワークそのものだ。低賃金、低未来、低名誉。

NHK(私が1995年に入社試験であっさり玉砕した日本の著名なテレビ局)のアナウンサーが、「お母さん、本当に子育て家事に頑張っているんですよ」などと言うのを聞くと、今さらながら、そういうことを言う立場になれなかった自分の人生の失敗を思い暗くなる。

毎日取り組まなければならない仕事(私の場合は家事育児、経理など)の内容がつまらないというのはたぶん、人間の「脳」にとっても絶対によくないと思う。もちろん、忍耐力といった非認知能力を鍛えるのにはいいんだろうけど。この仕事がずっと続くんだったら、そんな非認知能力をいくら高めたところで、何に使うんだろう?

大学時代に知り合った優秀な女性がいるのだが、男選びにつまづいて、最近、シングルマザーになった。いま、仕事は非正規で、学校の給食調理室で働いている。毎日、巨大な鍋を22個、手で洗う。みかんが出る日は、数百個のミカンを一個一個水洗いする。その仕事の過酷さもさることながら、現場の同僚のドキュンぶりもひどいらしく、本当に泣けてくるという。

私も、日本というダメ男にとっ捕まったあげく捨てられたシングルマザーになった気持ちだ。

2016年3月23日水曜日

改憲=ナチスドイツ化。

「非モテ」(異性にモテないこと)「非リア」(就活失敗や職業キャリアの不成就)などを理由に思春期からアイデンティティをこじらせたまま大人になった一部の学者や弁護士らが、もっぱら政治や法律に疎い一般の女性に分かりやすく改憲の必要性を説く任意の集まりがあるという。

○○カフェーとか言って。そこで、ベーカリーカフェのオーナーとして、そんな連中に「カフェ」という言葉を使ってほしくないという思いから、今回は執筆することにした。

そういうカフェには、女性を中心に一般市民が集まり、改憲しなきゃダメだと「洗脳」される。

さて、改憲を画策する保守系右派の連中が最近訴える改憲の必要性の根拠として、「緊急事態条項」というのがある。緊急事態条項は、確かに他の国の憲法にもあるにはあるが、裁判所や国会が厳重にチェックするようになっている。しかし、自民党の改憲案では、結局、なにか国がやばい感じになったら(治安が乱れたらを含む)、政府は好き勝手に法律を作って、事態に対処できるとなっている。ヤバいこれ。

高齢者ばっかりひいきして、子供の保育士に給料を増やすのに必要とされる金額よりちょっと多い3800億円を、選挙対策でばーっと高齢者に配ってしまうような政府。

冒頭の、アホで哀しい改憲論者の話に戻るが、おどろくべきことに、先の東日本大震災のときに、もし改憲していれば、死者の数はもっと少なかったとかいってる。いったい、1万人以上の、亡くなった方のうちどなたが、この改憲でもってどう、救われたというのか、是非とも具体的に教えてもらいたい(訊かないけど)。

ところで緊急事態条項は、ナチスにユダヤ人大虐殺の道を開いたワイマール憲法下にも立法化された。ニュースステーションでやっていたけど、ワイマール憲法自体はたいへん民主主義的な憲法で、ナチスも結局、普通のドイツ市民が自分たちで選んだ代表、それがヒットラーだったということ。それで、ヒットラーが緊急事態法を可決成立させてから、どんどん警察や軍隊が凶悪化していき、400万人を虐殺するという世界史上まれに見るホロコーストを導いた。

ある収容所を解放したアメリカ軍は、収容所の中の惨状を見て言葉を失った。全員、ガリガリに痩せていて、ほとんど裸。腐乱死体はそこらじゅうに転がっている。機転を利かせたアメリカ軍は、近所に住むドイツ市民を収容所ツアーに「招待」。普通のみなりの奥さん、それこそコートも着て、ヒールも履いているような、まったく普通の市民たちは、収容所内の様子に驚愕して失神したり、「こんな風になっているとは知らなかった」と口々に自己弁護。

これに対するユダヤ人の言葉「いや、あなたたちは知っていた」。このニュースステーションのVTR、怖かったー。

しかし、その冒頭のアホな連中がオッパじめようとしている憲法改正とか、緊急事態条項の充実とか、結局、また世界史上に日本が「汚点」を作る原因になりはしないかね? そういう事態になって、その何とか「カフェ」に集まって「分かりやすく」改憲の必要性を信じ、改憲に傾いた一般市民は、「知らなかった」とかいうの? それじゃマズくね?



2016年3月19日土曜日

非認知能力

 今日は、自分が28年前に卒業したその中学校、人口減少も津波も来なかったからまだ無事に28年前と同じ校舎・建物が同じ場所にあるわけだが、東京の西の「ふるさと」の某公立中学校で娘が卒業式を迎えた。
 「ノーメイクで見るに堪えない」(古市憲寿)中学生たちの歌声が響く体育館。足下が寒くて痛くなるほどである。四歳の娘を連れて、最後列から2番目というテンションの低さ。持っていったkindleで『「学力」の経済学』中室牧子著を再読する。式典が9時過ぎから11時40分くらいまでの長丁場だから、いい読書の機会だ。
 『「学力」の経済学』では、認知能力と非認知能力について取り上げ、著者は非認知能力の重要性を力説していた。テストの点数よりも、幼少期に目の前に置いてあるマシュマロを食べずに我慢できるかどうかで将来の年収や持ち家かどうか、逮捕歴などに有為に影響するという。点数が高いことは、認知能力、要は数値化できるから認知できる、そういう能力のことである。学校教育では、表面上はこの認知能力をテストで測定して生徒の優劣を測り、また進学先もその認知能力の高低でレベルが分かれていく。もちろん、認知能力が高い=学歴が高い方が年収は高くなるのだが、同じ学歴層でも、非認知能力が低ければ成功はおぼつかない。
 早稲田や東大にもいた。彼女も作れない。クラスメートと目を見て話もできない。就職活動は全部ダメ。
 ちなみにこうした社会的能力が今ひとつの人の多くは、たぶん自閉症スペクトラム障害だろう。だから本人や、その親を責め立てることは絶対にできないししてはいけない。
 アスペやADHDのひとは、非認知能力を高めるったって、これは難しいと思う。中室さんの本を読みながら、いやアスペルガーの私の場合、部活とかボランティア活動といったテストの点数以外でなにか優劣を測られたら人生一巻のおしまいだと思った。点数だけでいいじゃーんと。でもダメみたい。もちろん、だめだろう。
 非認知能力は、家庭のしつけ(ルールを守る、他人に親切にする、ウソをつかない、勉強する)がしっかりしていると高まるともいわれている。非認知能力が低い人は、高い人にくらべ、年収が低いというアメリカの追跡調査の結果を見て、自分もまさにそうだと思った。私の年収は自治体に「要保護水準」と認定されるほど低い、てへ。働かないでたらふく食べたーい!
 ここで、非認知能力とは具体的にどのような能力なのか。確認しよう。
「自制心」
「やり遂げる力」
 こりゃ私いちばん苦手の2つ。集中を要求されると一秒で気が散る。爪を噛む。別のことをはじめる。自制心ゼロ。ライフハッカーいくら愛読しても実践続かない。やり遂げる力はもっとヤバい。正直何もやり遂げていない。全部中途半端。
 学校生活もじつに耐えがたいものだった、部活もやめた。会社も辞めた。
 高学歴でも、非認知能力が低いのなら、ややがっかりなキャリアになるってのはもう私の存在が圧倒的な「証拠」。
 さて読者のために、では、どうやったらこの非認知能力を鍛えられるのか、ということに触れたい。
 きちんとしたしつけをしてもらえば、非認知能力は鍛えられる。勤勉性や誠実さが涵養される。当然、そういう人は社会でも上手く交渉して信用され、やり遂げられる。もちろん、部活動や、ボランティアなどの課外活動も、非認知能力を鍛えるすばらしい機会だ。
 今さら、どうせアスペルガーだし、そんなの意味がないと思ってはいけない。そんな風に、枠を当て嵌めるようなことを自らに課すのは、脳という天賦の宝物をみすみすゴミ箱に捨ててしまうようなもの。非認知能力は筋肉と同じように、反復と継続でどんどん鍛えることができる。本によれば、「先生に背筋を伸ばせといわれて続けて、それをその通り忠実に実行し続けた生徒は成績の向上が見られた」と書いてあるほどだ。
 私のような偏屈で、非認知能力に欠けたアスペルガーの中年でさえ、最近、非認知能力を鍛えてもらって、効果が上がった実体験がある。
 近年、私の会社の売上は対前年割れを起こし続けて、やばい感じになっていた。そこで一念発起し、ある会社にお金を払って、経営指導のようなことをしてもらった。その指導する「先生」は、毎週のようにやってきて私と面会し、具体的な経営改善のための施策作り、実施状況の確認、改善点の洗い出し、改善、効果の測定をそれこそ体育会系の部活のように継続反復した。
 半年経って、見事、売上の対前年割れを脱し、それどころか、前年の倍以上にもなった月もあるほどである。
 私が、テストでいい点を取る取らないとはまったく関係ない。その「先生」のしつけを素直に受け入れ、指導を実践して、日々の単純作業に倦まずに向き合うことで達成されたものである。もちろん、その先生の指導するノウハウ、内容なんてビジネス書やネットにいくらでも転がっているし、既知のことばかり。やればできると思っていた。
 しかし、そのやればできる、ということを知っていることと、実際それを「やり遂げる力」はまったく別だ。実際、やればできるの、「やる日」というのは、先生に金を払うまで私を訪れることはなかった。緊張感のある外部第三者に安くない金を払って、「先生」と毎週面会してはじめて、その「やり遂げる力」が引き出されたのである。
 さて、かように非認知能力がいかに大事か、本や実体験から痛感しながら、この中学校の寒い体育館で行われているセレモニーをあらためて眺めてみよう。
 生まれてから今日まで、ずっと学校の行事やこうした入学式、卒業式を、もっと重要な問題(格差、年金破たんなど)を何となく厳かな象徴(国旗や歌など)で隠蔽する愚民統治のための思考停止イベントだなと、そういう見方ばかりしていた。
 しかし、今のわたしからすると、それはもはやあまりに一面的な見方に過ぎなくなった。長期的には、このセレモニーに参加することで培われる非認知能力も、重要である。セレモニーでやっていることそのものの短期的効果(そんなものはじつはほとんどない)ではなく、そういうセレモニーに参加するにあたって事前に行う練習や、当日長い間じっと座って耐える「苦行」、その経験。心の筋トレと思えばいい。
 ただ、このことをもって、学校の部活動や家事などの営みを神聖・絶対化し、それさえやれば儲かるだの、人生成功するだの的なことを言うつもりはまったくない。残念だが、義務教育の部活や式典は格差の上も下も皆通過する儀礼である。それでも今の日本は、差が付いて、高齢者と若者、富裕層と貧困層の溝が広がる「分裂国家」のようになってきている。
 部活もやった、学歴も身についた、社会に出た、給料も高くなってきた。でも、気がついたらお年寄りが支配する政治のせいで、稼ぎの2割は家賃、1割は大学授業料の学生ローンの返済、さらに全体の半分は年金と医療保険と税金で持って行かれちゃってる。これじゃあ今の若者はやりきれない。つまり、何も問題は解決しない。私はこのことは強調したい。培った非認知能力を使って、今度は社会の問題を解決する段階になっている。熟議の機会を持つ必要は高まるばかりだ。つまり私は引き続き、ベーシックインカム、そして大学授業料の無償化を訴えていきたい。
 「学力」の経済学でも、就学前教育にお金を投資するのがもっとも効率が高いことが証明されている。ところが実際はどうか。いちばん投資効果のない大学教育費が最も高くなっている。これは絶対におかしい。今日は公立中学の卒業式参加という「筋トレ」をこなしたので元気いっぱいで叫びたいが、大学授業料は一秒以内に無償化にすべきである(あわせてすべてのゼロ歳から6歳までをちゃんと教育する保育施設に国家予算を付けて無料で収容すべきだ)。

2016年3月17日木曜日

公職はバカと暇人のもの

杉並区の保守系区議が「保育園落ちた、日本死ね」とのつぶやきに「暴言」「便所の落書き」と批判したという。何でもこの区議は、日本をそんな風にいうなんて(倫理的に?)許されないと本気で思っているようだ。大丈夫か、こいつ。というか、この日本死ねが便所の落書きなら、この区議はその便所に流される「クソ」そのものというイメージが正しい。お食事中の方すいません。

国会で、この問題をある野党の女性議員が質問中に、与党のジジイ議員からヤジが飛んでいた。

この区議にしても、国会のヤジを飛ばしたクソジジイにしても、本当にバカでゴキブリ以下だといわざるを得ない。もはや公職はバカと暇人のものに成り下がってしまったのだ。ただし暇人とはいえこの場合は、高齢の有閑富裕層といった方がいいだろう。

とはいえ、じつはこの現象(=公職がバカや有閑富裕層に寡占されている)はもう何十年も前から、法律のほとんどを官僚が作り始めて以来、始まっている。行政国家現象という。議員は特定団体の利益代表に過ぎなくなり、社会全体をよくしていこうという志は、次の選挙に当選するための諸工作に劣後する。

この救いがたい腐敗公職を改革する私の提案は、すべての公職を公立学校PTAのお母さんお父さんの持ち回りにして、報酬は裁判員程度のものとすればよかろう。

PTAの会合では、国会で見られるようなヤジはまったく聞かれない。言い出せる雰囲気ではない。

どうせ仕事は官僚がやってるんだから、キモいジジイに高額報酬を払うよりも、子育てで苦労しているお母さんにパートよりちょっといい報酬を払ってやってもらうのがかろう。

そして、数年後、今言われているのは2025年くらいまでに、その官僚も人工知能に置き換わるといわれている。ポスト官僚たる人工知能とお母さんが「活躍」することで、このだめ社会の抜本的な改革ができる。

2016年3月10日木曜日

正味3分の事務をやるのに子育てしながらだと7倍の21分かかった件

 通常はわずか3分で終わる事務。具体的には、ある書類を出力してスキャナで読み取り、サーバにアップしてメールで連絡するといったような内容である。書類を出力した時点でアラームが鳴った。子供の送迎の時間だ。徒歩1分くらいのところに、幼稚園の送迎バスが来る(子供が4人いるのでもうこれ、間を空けて12年以上やってる)。
 外は雨が降りそうな気配。ジャケットを着て、傘を持っていかなければ。ジャケットを着て傘を持って、外に出て自転車を出したところで幼稚園のIDカードを忘れたことに気が付き、家に戻る。IDカードを首に掛けていないと、子供を引き渡してもらえない。およそ40秒くらいそれでロスする。
 IDカードは家の決まった場所にあるのでそれを取って首に掛け再び出発。近所ではコーヒー屋台が出ていたので、そこでバスがくるまでのわずかな時間にコーヒーをテイクアウトで注文する。
 450円。本当は領収書が欲しかったのだが、いい感じにアナログを徹底し、炭火でお湯を沸かすコーヒー屋台のお姉さんにそれをいったら時間もかかるだろうし、何より無粋なので今回は諦めた。税引き後の所得からの支出になってしまう(領収書があれば、法人の費用になり、税引き前所得からの支出となる)。
 いよいよバスが来る。子供が降りる。いつもの保育士のお姉さん、あいかわらず疲労の色が。笑顔も薄く、「さようなら」。給料安いんだろうな。さて。子供はまだ年少なので、常に非定型のオファーをいってくる。今回は、自転車のチャイルドシートに座るのではなく、サドルの前のフレームに立って帰りたいと訴える。やむを得ずそうさせる。するとコーヒー屋台のお姉さんが注文したコーヒーをもって来てくれた。片手に激熱コーヒー。片手に子供がフレームに乗って不安定状態の自転車。突然の修羅場だ。こうした小さな判断の回数が、人間が1日にできる判断の総量を確実に消費していくことを私は知っている。
 徒歩1分の距離を、自転車にもかかわらずむしろ歩いたほうが早いほどの遅さで、1分以上掛けて帰る。
 家についたら、チャリのフレームが子供の靴の底に着いていた砂で汚れていることに気が付きげんなり。しかも子供の靴はだいぶくたびれていて、マジックテープが機能しなくなってる。買い換える時期だ(買い物リストに記入しなければ)。となると、サイズは何だろう、サイズをメモしたほうがいいのだろうか? 判断しないと。
 家に入ったあと、子供がなにやら手に持っている。家の前に生えていた雑草を摘んで水に浮かべるんだという(これはいつもお世話になっているベビーシッターさんのアイディア)。カップはこれでよかったのか。雑草を水に浮かべるコップとして、白い磁器の器を選んだが、透明のガラスコップのほうが良かったのかな(判断ミスか?)。
 帽子を脱がせて帽子掛けに掛ける。コートを脱いで、コート掛けに掛ける。次は手洗いをさせる。手洗いのあいだに、雑草を水に浮かべて子供に差し出す。
 コーヒーを、カップに移して、空いた紙コップを、子供がめざとく見つけ、風呂で遊びたいという。洗って風呂場に移動しておく。そうすれば、風呂に入ることをいつも面倒がって嫌がる子供のインセンティブになってあとが楽だという判断である(あ、また判断しちゃった)。
 手洗い後、名札を取って、幼稚園鞄の中に入れる。幼稚園鞄の中から、コップと汚れた箸、フォーク、スプーンを取り出して流しに入れる。これあとで洗おう(と、判断)。
 妻が、おやつのホットケーキを焼こうとしたのだが、フライパンが所定の位置にない。同居の母親に貸したままであることに気が付いて、別の階のキッチンにフライパンを取りに行く。
 これでようやく、元の事務所の席に着くことができた。ストップウォッチを見たら、最初の業務開始から、21分経っていた。首に掛けっぱなしのIDカードを、元合った場所に戻さないと。

2016年3月6日日曜日

NHKスペシャルが震災後5年特集でアツい!

 NHKスペシャル、行ったこともないんだが、経験したこともないんだが、まるで自分が体験しているような大迫力で、現代社会で起こった様々な事象を味わえる。
 ドヤ顔でこうだった、ああだったというのは野暮というものだが、次世代の教訓になるようなネタは書いておきたい。
 今日見たのは、原発事故で翻弄される、原発から30キロ圏内の人々の記録。
 「避難しろ」で、寝たきり高齢者の何人かは亡くなってしまった。避難所で、ヨウ素剤があることを知っているのに配れなかった自治体の職員の中には、PTSDにかかる者も出た。
 屋内退避でロジスティックスが国交省の指示でストップした結果、生活物資がなくなってしまい、結局町の判断で住民の8割が避難した南相馬市。避難できなかった2割の人たちのほとんどは弱者で、何人か亡くなったし、ゴーストタウンで食糧も尽きていく恐怖を味わったご家庭も。
 これらのことからわかるのは、地方、とくに、なにか自然災害があったときに物流や避難の経路が脆弱な地域に居住することがどれだけリスキーかである。もちろん、緩やかに死のうと思ってそうするのは個人の自由だが、家族はどうか? 従業員や、従わざるを得ない関係者のことを思うと、慎重に考えなければならない。
 国も自治体も、国民が税金を払って、国民の安全や生命を守ってくれるよう、期待してそこを任せている。ところが、震災に見舞われた福島のケースを観察して明らかになったのは、そうした国の救急救命政策の機能不全と、誤った情報で国民を翻弄して、知らんぷりのままだったというていたらく。
 今の安倍政権を見ると、避難についての本当に実効性のある計画が整っていなくても、どんどん原発を再稼働している。短期短期でしか政策や制度設計をしていないということは明らかだ。
 こうなると、もう本当に自分の身は自分で守らなければならないという感じで、しかもそれにかかるお金は税引き後の所得から工面するのはじつに苦しい。
 私は、物心ついた頃、チェルノブイリ事故を知った。親がサヨクだったので、もう危ないおしまいだと大騒ぎ。トラウマになった。だから、原発が、タイムボカンシリーズのエンディングみたいにポンポンと爆発した2011年のあの日は、原因不明の全身痛に見舞われ、心底恐怖した、この東京で。
 結局、本当に安全に暮らしていける場所というのはどこなのか。自治体や、商業施設がどうなっているのか。気をつけないと安心できない。うちの近所のドラッグストアも、スーパーも、ガソリンスタンドも、震災の後しばらく、品薄だったり大行列があったりして、憂鬱だった。
 まあしかし私がそれでも疲弊した、過疎地方に心惹かれるのは何だろ。こういうサバイバル状態がすぐそばにあるという、「男の子」魂をくすぐって止まないスリルだろうかね。不謹慎かも知らんが。今日も毎日生き延びたっていう、普通に暮らしているのに、地方だとそういう満足感が味わえそう。東京だと、普通に暮らして生き延びるなんてのは当たり前で何の変哲もないが、地方で人里離れたヤバいところで暮らしすってのは何ともいえない開放感と、生の充実感に満ちていそうでたまらない感じ。ソローの森の生活の影響です、はい。

2016年3月5日土曜日

クレーム対応 怒りを鎮める3つの段階

今日は、激怒してクレームをおっしゃられるお客様に向き合うときの3つの段階について考えてみたい。これは、某経済系教養番組を参考に開陳するもの。

クレーム対応の3つのプロセス

  1. 相手の話をしっかり聞く
  2. お詫びする
  3. 相手の立場に立って共感する
以下順番に説明しよう。

相手の話をしっかり聞く

お客様は、ご多用のところ自社の商品のせいで貴重な時間を割いてわざわざクレームを言いに来ている。したがって、その気持ちをまずはしっかり受けとめることが怒り鎮火の前提となる。
  • 承知いたしました
  • 私がうかがいます
  • 申し訳ありません
  • (お客が述べる言葉をそのまま繰り返して)○○ということなのですね、わかりました
  • はい、おっしゃるとおりです
  • その通りです
  • 間違いありません

お詫びする

クレームを言う客が直接来たということは、少なくともその時点では、裁判所に損害の賠償を訴えて、損害を金銭的に補償してもらいたいと思っているわけではなく、要は謝ってほしいからやってきている。したがって、最善の策は平身低頭にお詫びすることである。
  • 申し訳ございませんでした
  • お詫び申し上げます
  • すみませんでした

相手の立場に立って共感する

前段の2項でだいぶエネルギー(アドレナリン)を消耗したクレーム客は、この時点でだいぶおとなしくなっている。ここでは、感情的な爆発は収まり、「で、どうしてくれるんだ」(どんな損失の補填をしてもらえるんだ)という気持ちがわき上がってきている。そこですかさず、相手の立場に立って、自分だったらここでどうしてほしいのか、その欲求を先回りしてこちらから充足させる。
  • おいしく召し上がっていただけず、本当に申し訳ありませんでした
  • なにか、具合が悪くなってしまいませんでしたか?申し訳ありません
  • たいへんなご不便をおかけしてしまいました
  • きちんとやりとりをできず、さぞご心配だったことでしょう
  • ご心配(ご迷惑)をおかけしました
  • お体は大丈夫ですか?
  • お怪我はございませんか?
→いますぐ、代わりの物をお出しします
この段階では、共感の言葉の直後に、欲求充足の具体的手続きを約束することが重要だ。「いますぐ」「直ちに」「速やかに」「本日中に」「明日までに」という、期限に続き、損失を補填する具体的提案を述べる。

クレーム対応の本質

怒ったお客が乗り込んでくるようなビジネスはおおむね小売りサービス業に多い。地域に密着し、リピート客がおおい、顔の見える商売である。そうした商売は、薄利多売で、個々の取引は小さいかもしれないが、取引件数が多いビジネスの性質上、どうしても金額とは無関係に巨大化した客の感情と向き合わなければならない場面が多くなる。
わずか数百円のことで、なぜこれほどまでにいわれなければならないのか。これは、クレーム対応する者が最初に感じる理不尽なおもいであろう。しかし、その数百円のために謝るのではなく、謝ることが、このビジネスそのものなんだ、仕事なんだと思えばまだいい。
こちらが原因で客の怒りを買ってしまった以上、すみやかにお詫びして責任を取る。要はそういうことである。客は怒っているんだから、まずはその怒りを上記の方法で鎮めて、明日もまた、仕事をしなければならない。

クレームをいうときは?

お金を払って物を買うんだから、自分は偉いんだと思ってしまう人が多い。しかし残念ながら、売買契約では、契約の双方どっちが「偉い」とか「上」とか、「優劣」は書いていない。つまり、売買契約の当事者は対等の関係である。
したがって、怒ってしまって上から目線で怒りをぶちまけた場合、時としてそれは新しい法律行為(犯罪ともいう、土下座強要など)に発展してしまう危険がある。
まずは、6秒間、じっと数えよう。そして、自分の状況を、「ハエの目線」から見直してみよう。そうするとだいぶ怒りが収まり、回収できる損害、これがあるのか、ないのか、あるならいつなのか、これについて冷静に相手に質問できるようになる。

2016年3月4日金曜日

マイナス金利は資本主義終焉の決定的証拠

今般、日銀が採ったマイナス金利の政策。これって、お金をあずけたら、金を払わないといけないということなのだが、おかしい。市中銀行は日銀にお金をあずける場合、金を払わないといけない。

おかしさは、借りる側から見るとさらに際立つ。金を借りて投資をして、そして投資の収益の一部から利子と元本を返済するのが普通の金利。マイナス金利とは、金を借りたら、何もしなくてもお金を払ってもらえる。するとどうなるか。金借りたら誰も何もしなくなる。銀行ニート状態。わざわざ誰も投資をしなくなる。借りるだけ。おしまい。だって借りたらお金がもらえる。

新規の投資が無効ということだから、資本主義がフロンティアを開拓してどんどん新規の投資をして自ら拡大増殖していくシステムだとすると、結局資本主義はもうあかんという意味になる。

収奪の矛先がフロンティアにないならドメスティック(国内)に向かう。立場の強い、巨大な資本主義のシステム(企業など)は、立場の弱い者(一般消費者)からどんどん収奪していくことになる。

放っておけば、トリクルダウンも何も起きないばかりか、こういうふうに資本主義が牙をむいて国内弱者を直撃するわけだから、政府は、資本主義を鎮め、ヒトビトの安全と幸福が広く行き渡るよう、格差是正、社会保障重視の大増税、巨大政府社会主義に舵を切るべきだろう。

社会主義はいいすぎかもしらんが、私たちが今取り組むべきなのは、資本主義のソフトランディングをいかにさせるかである。

今、憲法改正がどうのこうのというが、私にいわせると憲法改正すればより、国家運営は資本主義的になる気がする。憲法なんてぜんぜん関係ないと思う。憲法は変える変えないという議論で、資本主義のエゴイズムの代弁者になっている政府与党は、本当の問題(永続できないことが分かっているものの、とりあえず四半期で前年対比増をしないと株主に対して面目が立たない株式公開企業ってどうなの、とか、あるいは、年金をもっと高額に源泉徴収しないと持たない年金システムってどうなの、しかも生活保護費より安いってのはどうなの、とか、四年ごとの選挙で勝たないと次の仕事がない政治家という職業ってどうなの、とか)から国民の目をそらす、だめだめな戦術である。

2016年2月28日日曜日

保育園落ちた、日本死ねの件


Live streaming video by Ustream

保活に失敗したお母さんが「保育園落ちた、日本死ね」とつぶやいて話題だが、私なりのこのお母さんへの処方箋としては次のようなものである。

  1. 仕事ができなくなったので憲法の「最低限度の生活」を根拠に生活保護を申請する
  2. 顔出しして炎上させ、「世論」にこのイシューをさらに届ける
  3. 議員などの公職者を訪ねて窮状を知ってもらい、その一部始終も動画配信する
フローレンス代表の駒崎氏に連絡し、運動の連携を図ることもいいだろう。

ちなみに、いまの日本は、普通のサラリーマンがサザエさん一家のように男の大黒柱だけで家計は維持できないことになっている(高齢者や富裕層優遇の政策が長年とられてきたため)。
若い人は、普通に勤めて、働き、子供を産み育てることが「無理ゲー」になってきている。男の「仕事一筋」はオワコン化している。

高齢者の票がなければ次の仕事をなくしてしまう政治家は、国家予算という打ちでの小槌から3800億円をぽんと決めてしまった(ひとり3万円を高齢者に配る)。これだけの金があれば、どれだけ保育士の待遇改善ができるんだろう? 保育園を整備できるんだろう? でも、政治家にとって見れば、若い人たちは数が少ないから、金をばらまいても「効果」は薄いのである。だからやらない。

この機能不全で近視眼的な短期決戦型政治家の給料を介護士や保育士より低くすることが急務だ。どうせこの国は官僚が牛耳っているんだから。そのためには、ベーシックインカムを導入して、最低限の暮らしができるように再分配をやり直す必要があろう。

あと、これは保育園問題とは無関係だけれども、高齢者の多くを無理矢理「祖谷」に移住させてみてはどうか? 祖谷では、山の急斜面に畑を切り開いて、ほとんど自給自足的に高齢者が暮らしている。あれだけの急斜面を上り下りしていたら、足腰が衰えることはないだろう。

数百年前からあるという石垣は、雑草を引っこ抜かないと崩れてしまうから、暇さえあれば雑草を引っこ抜く。

過酷な冬は、普通に雪も降れば水も凍る。こうなるともう冬越えは命がけであり、古来からの知恵が受け継がれている(はずw)。大根を地中に埋めておいたりとか?鶏飼うとか。

救急車も来ないから、たとえば体内で重要な血管が破裂したとしても、あとはもう死ぬしかない。

山村に移住すべきなのは、若者ではなく、高齢者のほうだと思う。

ところで、保育園の申込み事務とかは情報の非対称性を解消するためにここに書き記すが、大の大人が2日間くらいかかった。一定の所得要件がある人が申し込める、中三と高3の子供の塾代を20万円借りられる(進学すれば返済免除)も、やはり仕事を休んで2日くらい役所に行かないとできない。

内閣府が、専業主婦の家庭内労働は月収25万円程度に相当するという調査を以前発表していたが、家事育児とはれっきとした仕事、それも無償労働である。ひどいことに女性がそれを担うような社会的風潮が支配的なのだが、この無償労働から解放され外で稼いでくるはずの男性の給与所得は1970年から下がり続けている。どうしろっちゅうねん。

それで、子供(中学三年)に、この支配的風潮(男性は外、女性は家で家事育児)が次世代にどの程度蔓延しているのか確認したら、バッチリすり込まれていた。

調査方法は次のような短いエピソードに対する違和感の有無から判定。

エピソード1「お父さんが休日に子供をあずけて釣りに出かけた」違和感は「なし」。
エピソード2「お母さんが休日に子供を預けて映画にでかけた」違和感「あり」。

中三でもこれだ。ちなみにいま、中三というのは、どのくらい若いかを実感するには生年月日を見ればよい。2001年生まれである。2001年生まれの女児が、まるで昭和そのもののサザエさん時代のジェンダー価値観をそのまま持っていることになる。

他行振り込み手数料が無料の銀行、減少す

ホリエモンがミニマリストだということを知って驚いた。今や、家もない。スーツケース3個に収まるおもに服を持ち歩いて、知り合いのいえやホテルを転々としているという。

もちろん妻子もいない。「流れに逆らって、川の流れの上流を目指して無理をするからキツくなる。家庭も子供も持たず、家も持たないで、流されるままに生きればいつか海に出る」

多くの人の心に刺さる名言だと思う(NHK総合テレビ日本のジレンマ2016.2.28)。

自己承認を求めて、「ショールーム」というライブ配信プラットフォームでは、50代のアイドルも生まれているという。深夜2時前なのに、大勢の「アイドル」と、それを応援する無数のアバターが画面いっぱいに広がって驚いた。自己承認や、見え、「世間並み」という呪縛から逃れるのにいい方法は何だろうか。

さて、今日の話題は表題の通り、銀行がケチになってきているというか、銀行は何も変わらないという話。

マイナス金利で銀行には逆風が吹いているが、何十年も前から金がない庶民にとって銀行は逆風そのものだった。今でも、ATMに並ぶ行列が、無人店舗の外にまで広がっているのは見ただけでも寒い。ヘタにメガバンクとかに預けるからそうなる。

私など、最初から手数料無料の新生銀行と、あと住信SBIネット銀行とかばかり。通帳記帳の手間がないJNBも口座を持っている。もちろん、月5回までゆうちょ口座同士なら振込手数料無料のゆうちょ銀行も。

ところが、住信SBIネット銀行がこの二月から、これまで月3回まで振込手数料無料だったのに、月1回になってしまった。まあゼロよりはいいんだが。もちろん、情報の非対称性などの理由から消費者が損をする蓋然性が高い諸々の金融サービスや金融商品を利用すれば、もっと無料回数は増えるんだがそれはやらないことにしているんで。

新生銀行は圧倒的に昔から変わらず、ATM手数料もひたすら無料だし、他行振り込み手数料も1回は無料というスタンスを維持している。おまけに未成年でも口座を開けるので、子供4人分をフル活用している。なんともありがたい銀行だ。

これだけすばらしいネット銀行がどんどん出てくれば、大手銀行は皆つぶれてしまうと、十年以上前に思ったことがある。それは、ジャパンネット銀行や、イーバンク銀行(現楽天銀行)など、店舗を持たない代わりに浮いたコストで手数料を安くする銀行がどんどん出てきた頃。しかし、いま、残念ながらパッとしないまま低空飛行を余儀なくされているのは、ネット銀行のほうではなかろうか。

銀行が変わらないのは、結局預金者が変わらないからだろう。

ちなみに、昭和信金は他行振り込み手数料が一律100円(税抜き)。信用金庫のATMで時間外を除き、入出金の手数料もかからない。100円というのはかなり安い方だろう。

2016年2月18日木曜日

弥生会計を「無料で」上位バージョンに交換したことのオチ

長年弥生会計使ってきた。

何年か経って、無料で上位グレードに交換できるというDM来た。

当時使っていたのは、弥生会計プロフェッショナル。それを、2ユーザーにするという。新品だと2万くらい差があるものだ。お得だと思って、そうした。

少なくとも、その判断を私がするのに参照したDMには、毎年支払うサポート料金が馬鹿上がりすることは書いてなかった(書いてあるとしても極控えめか、金額そのものは書いていなかった)。

たぶん、小さな字で別の同封の紙や、あるいは、時期を置いて届く別の媒体(インターネットやカード明細)にはきっと書いてあったのかもしれない。

2年間ほどカード明細も確認せず、それで使い続けて、結果として必要のない機能に何万円も払うことになっていた。

2年で、6万はムダに払ったに違いない。

長い目で見ると、無料でこちらが結局トクするというのは滅多にない。

2016年2月17日水曜日

中間層は収入源をいかに乗り越え、そして行き詰まったか?

BSのドキュメンタリー番組で、ロバート・ライシュ(元アメリカ労働長官で労働についての数々の書籍のある、背が低いもののビッグな先生)が説明してくれた。

この二十年間、アメリカの中間層は賃金が下落しつづけた。おもに金融セクターで稼ぐ富裕層に富を寡占されてしまった。

金融セクターのCEOや、弁護士、会計士、医師、スーパースター、セレブなどで構成されるアメリカのトップ1%が、アメリカの所得の半分以上を寡占している状況。これに対して、気の毒な年収200万円以下の労働者はどう思っているんだろう?

ある労働者は、ライシュにこう言った。「彼らは、凄い人たちだ。それに対して、私のような人間にも給料を払ってくれる会社がある。身に余ることだ(から、賃金が低いなんて思ったこともない)」

何という自己卑下ぶりか? 驚きだ。企業に対して、低賃金であることを誹るどころか、雇ってくれていることを感謝している。

まったく、これは間違っている。無知ゆえの哀しい思い込みだ。なぜこれが間違っているのか? 人は企業に感謝してはいけないのか?もちろんいけない。ばかだそれ。なぜなら、企業が低賃金で労働者を雇う目的のは、彼らを安く使い倒して、企業の利益を最大化するためだからだ。労働者のことなんてミリ単位はおろか、ナノ単位ですら思っていない。賃金を払ってくれていること自体が身に余るありがたいこと、という考えは、企業と労働者が同じ土俵で共生し、同じ目標(幸福の最大化)を目指しているというまったくあり得ない、哀しい労働者のファンタジーというほかない。

もしこのファンタジーが現実なら、CEOと労働者の所得がこんなにも開くわけがない。年収数十億円のCEOが、会社存続のため、年収数百万円の労働者をざっくざっくクビにしている現実を、知っているんだろうか。

私がこれまで勤めてきた経験でも、会社が雇ってくれていることに感謝しているんではないか、つまり誤った非現実的なファンタジーを一方的に会社に寄せている低賃金の「バカ」(一般的な意味で)は非常に多かった。

労働者は法律のことをまったく知らないし、面倒だから興味がないのだろう、そんなことより、もっと分かりやすくて「アゲアゲ」にしてくれる物語にどっぷりつかっていた方が嬉しいに違いない。酒が身体に悪いと知りつつ飲んで、しかも飲めない私にも勧めるような人と同じで、尊敬に値しないどころか、違法不当ですらある。

まあそれはいいや。

で、ライシュは、この長い間続いている中間層の低所得時代、受難を、中間層はどう乗り切ってきたのかを説明していた。

  1. 配偶者も働いてもらう(共働き化)
  2. 長時間働く
  3. 借金をする
ここで、日本の、いまの総理がいいだした「1億総活躍社会」を思い浮かべて嫌な気持ちになった人は私と友達になれるかもしれない。明日、私の店に来て「ブログ読んだ」といってほしい。うれしい。

アメリカの中間層は、この二十年、自分たちの豊かな暮らしを維持するために、夫婦共々、ひたすら働き続けてきた。住宅ローンを返すためにだ。

問題は、今やこの三つの処方箋のうち3つめが行き詰まったという点だ。決定的になったのは2008年のサブプライムショックである。誰でも、わずかな頭金で豪邸を借金で手に入れられたわけだが、今はそうも行かなくなった。

がむしゃらに、夫婦で働いても、家も買えない。あれこれ、今の日本の若者の状況そのものだな。またこれ気がついた人はぜひ明日、私の店「くらしをあそぶ展」にコーヒーを飲みに来てほしい。コーヒー一杯くらいおごろう。

まったくひどい。三つの処方箋のうち、最後のものはじつは、処方箋の1と2の重要なインセンティブになっていた。夢や希望である。働けば、素敵なおうちが手に入る。ところが、この希望は打ち砕かれた。希望も夢も持てない中で、私たち中間層は、死ぬまで働くほかないところに追い詰められてしまった。残念なことに、配偶者が働くといっても配偶者は一人しかいないし、ふたりで、いくら長時間働いても、結局経営者のさじ加減で賃金が下げられれば、生活は厳しくなるしかないという点だ。

日本の場合、さらに悪いニュースがある。国家が、アメリカの企業みたいに、国民(従業員)のことなんて興味がないと思っているのである。

首相は、左派勢力が「戦争法案」とまでいった悪法をどんどん通す一方で、シングルマザーの子供の支援金や、大学生の学費無償化、給付型奨学金については検討するとすらいってくれない。

そして、この間、憲法を変えて、若者でも何でも、どんどん戦争(あるいは「テロとの戦い」に加勢)に行けるようなあり得ない道筋が、着々と引かれようとしてる。徴兵制とまではいわないけれども、貧しい若者は、仕事がないなら(生活保護ではなく)軍隊に入らざるを得なくなる、そういう国に変わってしまおうとしている。げーっ。

となると、私らにいまできることはなにか。間接的な徴兵制、経済的徴兵制に対する断固とした拒否である。その方法は簡単。憲法改正だけはNoを貫く。それだけ。働くとか要らない。生活保護を受給して、憲法改正だけはノーと言い続ける。これがいい。

憲法の議論では、バカやアジテーターが、日本の自衛隊が違憲なのはマズいとか何とか、一席ぶって嬉しくなってしまいがちだが、そういうヒトビトに訊きたいことがある。憲法の条文はいくつあるでしょう? 答え。百弱ある。九条はそのうちの一つに過ぎない。そして、自民党は、百のうちほとんどを変えようとしている。

どう変えようとしているか知っているんだろうか? 繰り返すが、貧乏人はどんどん軍隊にでも入って頑張ってくれればよかろうという社会にしたいと、政府与党は考えている。

そんな社会はもう最悪である。

これまでは、希望はないけれども、小さな「夢」を持って、それをライフハック的に小分けにして満足する程度の平和はあった。小さな箱をこすれば、当面の虚しさから気晴らしさせてくれる娯楽も楽しめた(スマホ)。しかし憲法を変えられたら、先にあるのは「悪夢」しかない。

2016年2月15日月曜日

保守政権の真骨頂、熟議しない人々

今日は国会の予算委員会で、民主党の長妻昭氏が次のような質問をし、安倍総理にすべて一蹴されていた。

  • 大学授業料無償化
  • 長時間労働の法律規制
安保などはどんなに激しい反対に遭っても、ブルドーザーのような数の力でどんどん通す実行力があるのに、上記のようなやさしいリベラルなイシューになると、「検討を研究」するなどといってごまかす。

これこそ保守政権の真骨頂である。

誉めているわけではなく、非常に残念なことだと思ってこれを書いているつもり。

この二つは、私が日頃から思っている、真に効果的な次世代のための改革(のつもり)。これに、幼児教育義務教育化も加えたいが今回は質問されなかった。どうせ質問したところで、「検討を検討することを指示しなければならないと思っているところであります」的なことを言われて煙に巻かれるだろう。

でも、私が実現できたらいいのにと思っていることを、こうして国会で質問してくれる議員がいるだけでもよかった。少なくとも、自民党に投票する気は(もともとないが)いよいよなくなった。

それで話題がアメリカの大統領選に移るが、トランプ氏とかいうとんでもないオッサンが、極端に保守的で排外的な主張をメディアで叫び、それなりの(というか驚くほどの)支持を勝ち得ている。

それで、そういうのを有権者は、スマホアプリとかケーブルテレビとかで見るわけだけれども、テレビやスマホはおもしろおかしく何でも「ネタ」化することで、膨大な競争相手との闘いに終始している。視聴者の関心を一秒でも長く得るためには、すべてのイシューを過激にして、そして次々別の新しいイシューを送り出さないと、競争には勝てない。つまり、視聴者に考えることは一切求めないメディアである。

しかし、大統領を選ぶとか、そういう問題は、視聴者は長い熟議が必要な気がする。この熟議というのは今のスマホ全盛時代、すっ飛んでしまっている。あーあ。

2016年1月12日火曜日

婚姻とは社会保障DIYである

 民法第752条(同居・扶助及び扶助の義務)を読むとこう書いてある。

「夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならない」

 法律に「夫婦は同居すべし。助け合うべし」と書いてある以上、夫婦関係というのは第一義的には社会的保障の機能を有している。扶養のコストの原資が政府からでないので婚姻とは社会保障のDIY版と言ってよかろう。

 では、扶助とは何か? 扶助、つまり扶養というのは「老幼、心身の障害、疾病、貧困、失業などの理由により自己の労働が困難でかつ資産が十分でないために独立して生計を営めない者(要扶助者)の生活を他者が援助すること」とWikipediaでは書いてある。

 いま、若い人たちは、心身の障害や失業とはあまり縁がないかもしれない。したがって扶養にもなじみは薄い。となると、結婚する動機は法定されたこうした背景は後退し、もっとフィジカルなものが出てくる。しかし草食化しているので、フィジカルなもの(結婚に至るような情熱的な恋愛)は、扶養とおなじくらい縁がない。

 婚姻が難しくなっている背景には、みんなと笑って過ごしたい程度のささやかな幸福に満足している若者が、想像だにできない将来の扶養され状況の「ために」、たったひとりの異性にコミットメントすることのそもそも的な困難さにある。無理ゲーだ。

 それでも結婚する人へ。

 おめでと-!!

2016年1月9日土曜日

覆面リサーチボス潜入

NHK BSでやっている「覆面リサーチボス潜入」が面白い。巨大企業(サービス産業)の代表者や幹部が、現場に身分を隠して変装して潜入し現場労働者と接触する。そして、あとでその労働者に身分を明かしてびっくりさせたり感動させたりする。

このフォーマットはNHKがイギリスのテレビ局からフォーマットを購入して、この番組は制作されている。

身分を超えたリアルなドラマは、国境を越えた普遍的なおもしろさをもつようだ。物語構造は水戸黄門のそれと完全に同じである(私は結構水戸黄門好き)。

私も、大学を出て新卒で「企業幹部候補社員」(笑)として小さなメーカーに入社し、地方の工場に研修で働いたことがある。研修でであった「現場」「労働者」。いろいろな感慨が当時はあったが、その会社で幹部になるコース(笑)をあっさり半年で捨てて10年。いまこの番組を格別の思いで楽しむことができるという意外な「効用」が(会社の経営者になったが現場の労働者も兼ねている)。

今回観たのは、幸楽苑というラーメンチェーン店と、日本交通というタクシー会社の事例。いずれも、現場と経営者とでは、やっていること見ている世界がまるっきり違う。もちろん、人間も根底から違うということがよく分かる。

幸楽苑の取締役は、地方の不振店の店長に自分で研究して考案したという店の既存材料で作る中華丼を振る舞われ、喜ぶ。チェーン店だから、店単位ではメニューを作ったり提案する余地はなかったが、この店長がきっかけとなり、本部にメニュー提案する制度が新設された。

タクシー会社会長は、家に小学生の子供をひとり置いて夜勤でタクシー運転手をするシングルマザーと出会う。客を拾った通りに目印を付けて、売上を少しでも増やす努力を地道に続ける母親に対し、子供は「尊敬しています」と会長の前でいう。彼女がきっかけとなり、頑張る女性ドライバーを表彰する賞が新設され、この女性ドライバーは受賞第一号となった。これなど涙無しには見られない。会長は、彼女の子供にディズニーランド招待券をプレゼントするのだが、私もそんなことされたら泣いてしまうと思った(企業経営者としては私は会長と同じ立場のはずだが家計は火の車なので娘たちをディズニーになどとうてい連れて行けそうもないから)。

経営者たちは、現場の仕事に不慣れだ。当然である。やったことがないのだから。ラーメン店では、いらっしゃいませーと適宜声を出しながら、てきぱきと皿を洗ったり、ラーメン調理をこなさなければならない。タクシードライバーは、地方では高齢者の買い物に付き添ったりと、マニュアルには書いていないきめ細やかなサービス価値を作り出して客のロイヤリティを勝ち得ていた。

タクシー会社会長は、配車センターのオペレーターがしばしばドライバーに怒鳴られると知って怯え、スマホアプリからの配車指示でミスをして落ち込み、洗車の様子をベテランドライバーに「ぎこちない」と指摘される。

一方的にマニュアルを整備して配り、あとは数字だけをチェックする本社の経営陣には見えなかった部分だ。

私はこれを見て、現場も経営者も、車の両輪のようにお互いの存在を対等に尊重してやらないと、これからは絶対アウトだと思った。人間が人間同士協力しなければ、もうロボットとかにあっさり全部置き換えられかねないと思った。サービス産業を洗練させていく以外に、もう日本の未来はない気がしている。

そのためには、経営者は現場での労働をもっとベタに体験してコミュニケーションを取る必要がありそうだ。

にもかかわらず、あらゆる大手企業は株主とのせめぎ合いの中で、現場の労働者を物のように扱い賃金給付を低く抑え、会社だけが存続すればよい風潮が広がっている。

しかもそうした労働者たちは、近い将来ロボットや人工知能によってほとんど置き換えら得ることも視野に入っている。

そうなったらまずいと思う。ロボットに置き換えられたら、現場の人たちはどうやって生きていけばよいというのか?(そこで一部の論客はベーシックインカムとかいっている)。しかし、この番組を見る限り、現場の人たちは、仕事にやりがいと矜持をもってやっている。賃金の多寡ではなく、仕事そのものに、「意味」を見いだし、生きることそのものが仕事に直結している。仕事がロボットに置き換わったからといって、単に金を渡してお終いで済むはずがないと思った。(しかもたぶんBIだけでは足りないし)。

解決策は、経営者と現場の人の賃金の格差をなるべく小さくすることだろう。ただそうするとロボットに置き換えが加速化する危険もある。ロボットのほうが安いからと。もちろん、経済効率でいえばそうかもしれない。

しかし、この番組でボスたちが学んだのは、経営判断を、経済効率だけでしていいのか?という問題である。もちろん答えはノーだ。ロボットのほうが安いからはいクビ、あとは政府の社会保障で生きてね、なんてのは、例えるなら、19世紀の焼き畑農業のようなものだろう。

要するにそれだと、自然と人間が共生できないから、効率が悪かろうが何だろうが、共生のために不効率を受け入れるしかない部分がクローズアップされてきたわけで。つまり、この地球という限られた資源を少しでも長らえさせるために、経済一側面だけでなく、多面的に、長期の視点で考えろと。

人間社会も、労働者と経営者の共生なくして、持続可能な社会は成り立たない。人間皆同じというのは途中までで、5歳を過ぎる頃から大きく分かれていく。そういうのが協力して社会を作っていかないと。会社経営という船に乗っているのだから、労働者も経営者も、少しでも長くその船に乗れるように協力してみたらどうかね?そのためには経営者はちょっと不利益なことも受け入れる必要があるかもよ?そういう気持ちになる番組だ。

てゆうか、e-taxソフトの更新がめっちゃ時間がかかって終わらない助けて。

参考図書

人間の本性を考える 心は空白の石板か』という、ピンカーが書いた本があるから、それを読んで、いったい人間にはなぜこうした差が生まれるのか研究して欲しい。現場労働者と経営トップの差とは何か? なぜ、経営トップは偉いのか?それは頭がいいから?とかいろいろ。

IT、とりわけ人工知能が人間の仕事を奪うということで、いろいろ本が書かれているので、たとえば、『ロボットの脅威』とか『限界費用ゼロ社会』など読んで、いったいこれから、人間の仕事はどうなっていくのかを考えたい

ロボットの否定しがたい「凄さ」

2016年1月6日水曜日

2017年から普通徴収はどうなるのか?

 事業主および副業で従たる事業所の所得(税額)を主たる事業所に通知されると都合が悪い方は以下の長文にぜひとも目を通していただきたい。
 2017年から次の東京都のHPでも書いてあるとおり、東京都と62市区町村は個人住民税をなんとしてでも特別徴収でやってもらいたいと叫んでいる。
「特別徴収推進ステーション」 http://www.tax.metro.tokyo.jp/kazei/tokubetsu/
 法律に普通徴収じゃなくて特別徴収しなきゃならんと書いてあるんだから当たり前である。だから、税理士もこれに呼応する。
 この背景には、市区町村は激増する普通徴収者の滞納で徴税事務が破綻しつつあることが推測される。
 結局子供産ませて国府を増大させるなどの、国の全体像をきちんと政策でこれまで考えてこなかったしわ寄せがこういうところにも出てきている。資本主義の再分配の失敗もあるだろう。ざまみろという感じだが私も事業主であり他人事ではないので、この問題について書くことにする。
 はじめに、税理士などが書き散らす営業目的のブログでは、「2017年からは副業は絶対にできなくなる」みたいな論調が散見されるようになってきたが字義通り受け取る必要はない。副業ができないわけがないし、絶対にそれが主たる事業所にばれるというのも限らない。そんな杓子定規な運用が徴税の場面でなされてたらどんなにいいか(役人の立場からいえば)。実際はもうめちゃめちゃなんだろう、きっと(ご愁傷様)。
 法律より偉い憲法では、労働権もあれば、自治体の徴税権もある。どういうふうに働き、納税(徴税)するかは、最終的に当事者間で決めるべき筋合いで、そのやり方について、東京都がああだこうだいったところで意味がない(★ただし法律に従うといわれたらお終いだ、投票に出かけて議員を選び直して、法律を変えるほかない)。自治体がなんといおうと、自治体は東京都のこんな運動に盲従する必要はないだろう(ただし、法律通りだし盲従したほうが徴税はスムーズにいくので当然渡りに船のように運用に採り入れるだろう、ただ副業できなくなって首になったりした住民が生活保護とかいってくるかもしれないがな)。
 その法律上、事業主は原則として前年の給与支払があり当年4月1日に勤めている月給の従業員については普通徴収ではなく特別徴収の方法で源泉徴収するべし!と書いてある。
 こうした法律の運用として、法律に違背はあるものの、2017以前は個別の運用では普通徴収も認めているのが実情だ。
 理由として、個別に、住民である納税者が市役所区役所にやってきて、どうしても主たる事業所に対し、普通徴収の(従たる事業所の、乙欄の)税額なり所得が通知されるのは都合が悪い、だから自分で確定申告して住民税を「払いたい」から、特別徴収に合算するのだけは勘弁してほしいというお願いがあれば、法律違反だからそれは一律ダメだと言うことはこれまでもないし、これからもない。納税者が納税するっていっているんだから、それを断るのはおかしいだろう。これまでは。
 しかしこれからは、自治体は都と一丸となって、こうした法律に違背する運用を排斥する方向に行くのは間違いない。これ以上、住民税の滞納に代表される徴税事務の煩雑を放置していたら、職員の寝る暇が無くなってしまうのでは無かろうか?
 というわけで、いま、副業をしていて、主たる事業所に所得がばれるのがまずいからと普通徴収している給与所得者は、自治体に問い合わせて、運用を厳格に適用し、一律特別徴収にするのか、それともこれまで通り普通徴収で何とか目をつぶってくれるのか?確認したほうが良かろう。その際に、都は普通徴収をしたからといって自治体に不利益なことをしたりすることはないが、担当者が一堂に会する会議で、自治体の担当者が都の職員に皮肉のひとつもいわれるかもしれない。それに、自治体職員だって、徴収税務を事業者に肩代わりさせたほうが楽だから、なかなか難しいだろう、副業(プライバシー)を理由に普通徴収にするのは。とにかく生活が厳しくて、収めたくても収められないところまできている、だからやむを得ず副業をして住民税を払っているとかいえばよいかも。
 なおこれは今日現在、私の住んでいる市と、東京都の主税局や広報のセクションに直接電話して聞いた話である。市の担当者、都の広報の担当者、都の主税局の担当者それぞれ、微妙な温度差があった。それに、今後、副業収入が主たる事業所の特別徴収に合算されるプロセスにおいて、プライバシーを保護する目的で、何らかの施策が登場する含みを私は感じ取った。
 たとえば市の担当者はこういっていた。収入の部分は隠して、税額だけ連絡することにするとか。しかし税額が分かったら、敏感な経理担当者は不審に思うに違いない。こいつだけ何で、税額が他の社員より多いのかとか。ばれたら社内規則違反で、会社に対して気まずくなってしまい、結局転職を余儀なくされるリスクは残るだろう。私がこのことを指摘し、そんな対策はまったく意味がないと言ったのだが(言ったところでもちろん意味はない)。
 また、2016年の年末調整から新たに「普通徴収切り替え理由書」というのが登場する。これは一定の基準を満たした従業員が「普通徴収」を選択することを、事業主が自治体に報告する趣旨の用紙である。この理由書に、普Bという選択肢があり、そこにチェックを入れて、これまでの給与支払い報告書といっしょに事業主は自治体に給与支払を報告する。ただ、その書類を出しさえすれば、そのことをもって自治体が主たる事業所に従たる事業所からの所得の税額を通知しないという意味ではないことには注意が必要だ。この書類は単に、徴税事務の円滑運用のために、事業主に新規に課せられる書類に過ぎない(超トホホ)。
 繰り返しになるが、徴税するのは住んでいる自治体(市区町村)。納税するのは、従業員個人である。都が何を言おうと、法律になんと書いてあろうと、自分の主張すべき権利はしっかりと主張し、法の乱暴な運用(しかも徴税義務を事業主に丸投げしようという魂胆もある)をさせないよう、市民ひとりひとりが取り組んでいくべきだと思う。
 都の主税局の職員は私にこういった。「源泉徴収票に「普通徴収希望」と書いても意味がありません、必ず特別徴収になる」。
 私は企業の代表者で、しかも経理事務も全部自分でやっている。給与ソフトがほとんど自動で年末調整をやってくれるが、源泉徴収票(給与支払い報告書)摘要欄に「普通徴収希望」と書くのだけはマニュアルにも書いていないしソフトも助けてくれない。自分で入力しなければ、印刷されない。しかしこここそが重要であった。源泉徴収票(給与支払い報告書)に「普通徴収希望」と書けば、事業主は徴税事務から解放されるし、従業員も、主たる事業所にばれないで済む余地が担保されていた。ところが、主税局職員はそこを鋭く突いた。「意味が無くなる」と。
 ここ二十年くらい、日本の給与所得者の所得は下がり続けている。政府の政策における再分配機能は、高齢者優遇でなおかつ金を稼げる人が不利益にならないようになっているし、労働分配率は株主に損失を与えないよう、注意深く毎年下げられている。若い給与所得者の多くは、副業でもしないと家計が維持できない事態になってきている。にもかかわらず、その副業の道がこうして閉ざされようとしている。
 私たち市民は、役人が「法律通りに運用する」というのに対し、抗弁する手段は裁判しかない。もちろん裁判を起こすなど非現実的だ。だから、法律を作る前の段階、議員を選ぶ段階で、しっかり投票すべき代議士を選ぶべきであった。安保法案だってそうだ。投票の際に気をつけないと、こういうふうに、法律でどんどん不利益な状況に追い込まれていく。
 戦争とか、憲法とか、消費税とか、そういう分かりやすいイシューで沸騰するメディアと世論に対して私は残念な気持ちでいっぱいだ。そんなことで沸騰している場合ではない。2017年からはじまろうとしている特別徴収推進のムーブメントにこそ、沸騰しなければならないと思う。
 残念ながら、自治体が普通徴収ではなく特別徴収を原則適用徹底するという本件、人口に膾炙する話題ではない。これは。ほとんどの給与所得者にとり、まったく身近でもなければ、興味を持ち続けるのは至難の業だろう。何か面白いスローガン、少なくとも、短く言い表す方法はないか。ない。特別徴収、普通徴収。特別が、原則で、普通が、例外。ここからして通りにくい。笑ってしまうほどだ。最初は、みんな住民税をおとなしく払っていたんだろう。しかし、事業所も、納税者も、住民税を滞納しはじめたに違いない。雪崩を打って。金がないから。だから、法律通りわーっとやって、取れるとっから取っちまえーという競争が始まった。事業主もそれに荷担させられる。事業主は、立場的には弱い。やはり個人個人の納税者が自治体にあれこれうったえるべきだろう。私はそのための情報を提供するまでだ。
 とはいえ、本稿を書くにあたって取材した先の自治体の担当者に、私は私見と断ってこう述べた。
「そうやってむりくり事業主に徴税義務を課したりすれば、結局は副業ができなくなった生活者は生活保護にいくこととなり、最終的なコストは増えることになる、そういうことを想像できないか? それに、いまは資本金の縛りもなければ、税理士に頼むこともなく、簡単に法人を持てる時代だ。猫も杓子も法人を立ち上げる時代に、一方的に事業主に徴税事務を転嫁するようなことが現実的に成り立つと思ってるんだったらそれはあまりに楽観的。事業主よりも強制力のある自治体なり政府が今後も「普通に」徴収するのが筋なのでは?」
 もちろん返事はなかった。
 結局事業主(である私)も、自治体も、徴税事務は感情的には「いやーやだやだー」なのである。しかし自治体は法律という武器があるから、私は黙るしかない。電話で何を言おうが、負け犬の遠吠えにしかならない。
 最後に2つ。まず、判例では事業主は徴税事務を転嫁されても文句が言えない。要はそれくらいはやれるだろうと裁判所も言っている。だから、法律を変えるしか無く、そのためには議員を動かすしかない。
 もう一つ、この話題とマイナンバーとは直接関係ない。

2016年1月1日金曜日

年末調整が終わらない

はじめれば1時間半もあれば終わる仕事だがあまりに単調で面白味がないうえに、間違えるとやっかいなため、年末調整が年明けたのに終わっていない。

年末調整も終わっていないのに年明けのメッセージとかマジありがとうございます。

スタジオジブリのドキュメンタリー映画「夢と狂気の王国」を見たんだけど、かなり面白い。何が面白いって、建物が隣だったり近所だったりするからリアルで笑える。

それに、この映画に出てくる大先生筆頭にスタッフの皆さんもうちのパン屋にお見えになった人ばかりだから親近感がある。彼らは私のことなどまったく認識していないと思うが。