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免税事業者が消費税課税事業者となって還付を受ける際の注意点

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課税売上高が1000万円未満の業者(免税業者)が、翌期に大型の設備投資を予定しているなどの理由で消費税の還付を受けようとするときは、次のように手続きする。
 翌期のはじまる日の前日までに、「消費税課税事業者選択届出書」を提出する。
 ただし、以前、課税事業者だったことがあり、その際に簡易課税選択届出書を提出していた場合は、「消費税簡易課税制度選択不適用届出書」も出さなければ、本則課税は適用されない。そのため還付も受けられず、「消費税課税事業者選択届出書」をあえて提出したとしても、当初の目的は果たせないということになる。それどころか、設備投資で物入りなのに、本来免税のところ、要らぬ消費税も払わなければならなくなってしまい、二重に損である。
 今回の税務調査によって明らかになったのは、私がアホだったということである。どうアホかというと、簡易課税制度を選択している事業者であるにもかかわらず、そのスイッチを「消費税簡易課税制度選択不適用届出書」でオフにすることなく、「消費税課税事業者選択届出書」を提出して、しかも本則でいけると思い込んで還付請求を行った。男なのに女装して女子便所で通報されたようなものだろう。
 まとめると、以下の通りとなる。
・提出期日:目的の投資を行う期のはじまる前日
・消費税課税事業者をオンにする書類:「消費税課税事業者選択届出書」※ちなみにこれをオフにする書類は「消費税課税事業者選択不適用届出書」
・簡易課税だった場合に、これをオフにして本則に戻す書類:「消費税簡易課税制度選択不適用届出書」※ちなみに、オンにする書類は「消費税簡易課税制度選択届出書」。本則課税を選択するような趣旨の届出書は存在しない。
 消費税課税事業者選択届けのオフの書類は「消費税課税事業者選択不適用届出書」である。目的の設備投資などが済んだら翌期までにこういう書類を出して免税に戻ろう。しかし基準期間の売上が1000万円を超えた場合は、注意が必要だ。消費税課税事業者選択届出書を提出した法人の基準期間が1000万円を超えた場合は、「消費税課税事業者選択不適用届出書」と一緒に、「消費税課税事業者届出書」(オフの書類は「消費税の納税義務者でなくなった旨の届出書」)も提出しなければならない。
 私の消費税のテキストはふせんがたくさん付いていて、フセンには届出書の趣旨がメモしてある。「消費…

2017年度大学入学者向け無利子奨学金

文部科学省は、今の高校三年生を対象に、成績基準を撤廃した大学学費無利子奨学金の募集を始めることがわかった。

住民税非課税世帯の高校三年生が対象となる。これまでは成績基準があったが、住民税非課税かどうかのみの基準に変更。

安倍晋三首相は9月の所信表明演説で、「成績にかかわらず、必要とする全ての学生が無利子の奨学金を受けられるようにする」と明言し、成績基準撤廃の検討を進めていた。

今後は、給付型の奨学金をいち早く導入するよう、引き続き政府の取り組みを見守っていきたい。

アドラー心理学

『嫌われる勇気』を読んだり、また、最近NHKでやっていた「100分で名著」のアドラー心理学の回を見たりして、アドラー心理学についてのインプットが重なったので、ここでアウトプットを。

「偉いね」ではなく、「ありがとう」

子供がなにか我慢して、たとえば、お医者さんで泣かないでじっと待っていたときなどに、偉いねといってしまうが、これは間違っている。なぜなら、もし子供ではなく、妻や、あるいは、大事なパートナーがそのときに相手だったら、「偉いね」とはいわず「ありがとう」というだろう。

「偉いね」では、上から目線である。上から目線だと何が問題かというと、その場面で、貴重なアドラーエッセンスが出てこない。

アドラーエッセンスとは次のようなものである。

私なりに解釈したものだが、まず人はすべて、どこかに所属している感覚を持つことで幸せになる。どこかに所属するには、その集団で自分が貢献できているという意識を持つことが必要だ。そのためには、自分に自信を持って、自分は自分の意思で、自分の人生を生きているということを肯定できなければならない。

もし、子供に「偉いね」といっただけなら、それで終わるが、「ありがとう」といえば、子供は、親(ひいては家族)に貢献できたんだという意識が芽生えて、うれしくなる。そして、家族でいることに、より心地よさを覚える。こうして家族にすっかり所属している、家族という共同体に居場所を見つけることができる。

すると、どういうメリットがあるか。

学校や、職場で、何らかのトラブル(だいたいは人間関係のトラブル)で難局を来たし、居場所がなくなったときに、もし家族が居場所としてその人にとり、価値があるのであれば、家族という居場所がないよりも、難局を乗り越えることができる蓋然性は高まる。

ある集団がダメなら、別の集団がある、自分はそこに属している。

とはいえ現代社会では、家族も職場にも、居場所がない人だって多い。そこでアドラーはどうアドバイスするか。今、ここにいる日本、世界、地球、宇宙のなかで、自分が生きているという感覚が重要だという。

宇宙に属していると思えるなら、たとえ宇宙にくらべてはるかに小さい企業とか、家族のなかで居場所がなくたって、なんてことはない、そういう感じだろうか?ってかんじで、ちょっと深いところにいくと私もよく覚えていないので、うまく書けないが、何というか、…

スペインのマリナレダ村について

この村は、村長(30年間ずっと変わっていない)の主導のもと、ある政策を導入して世界的に注目を集めている。

衣食住にビジネスの論理を持ち込まないという点だ。不動産の個人所有は認められていない。

この政策を実施した結果、村の税収は上がり、若者の移住が増え、生産性も向上して治安も良くなったという。

私が日頃訴えているベーシックインカムと似た政策であるが、不動産の個人所有を認めない点はスゴい。

日本で、衣食住が保障されているのは誰だろう。まず子供。親が提供する。そして、行為能力のないひと。認知症高齢者とか、病気でそうなってる人、ハンディキャップを負っている人。

あとは、刑務所に入っている人。さらにいうと、大企業や国家機関の仕事で単身赴任している人も、そうといえばそうかもしれない。

ほとんどの人は衣食住を市場から購入しなければならない。しかも全体の支出にこれらの割合が、近年高まっている気がしてならない。給与所得がどんどん減ってきていから、際立ってくる。エンゲル係数が上がるってヤツだ。

うちもそうだ。収入が右肩下がりになる一方なのに、子供が多いし、持ち家といえども、エアコンや風呂などの耐久消費財は十年ごとにどんどん壊れるので、衣食住だけでもう大幅に赤字だ。

今、世界の潮流として、法人税の値下げ競争が起こっている。アイルランドや、マン島などの租税回避地が法人税を爆下げした結果、アップル、Amazon、Googleなどの大企業がこぞって租税回避地に儲けを移転。残された元々の創業地の国の税収は減ってしまう。すると、そうした国は、もちろん法人税も下げるのだが(競争なので)、減った分で行政サービスをまかなうのに今度は消費税を上げざるを得なくなる。

そうしたら、先進国の貧しい人たちや中流層は、生活にかかる財やサービスの購入がただでさえ高いところ、そこに税金も加わって、ひどいことになる。泣きっ面に蜂、税の逆進性の問題である。

私は毎日、この逆進性の問題に頭を悩ましており、それだけに一刻も早く、マリナレダ村のような、社会福祉的な政策を大胆に取り入れてほしいと願っている。

結局人間を増やさない限り、その資本主義都やらは立ち消えになってしまう。子供を産んで育てる、そして人々が平和裏に暮らす。そういう部分を、資本主義の奔流の中でしっかり守って、支えていくのが国家の役割である。

しかし、国家はもはや…

死から目を逸らさず今日一日を精いっぱい生きる

オイコノミアで保険についてやっていた。

保険は不安を軽減することができる向精神的商品だ。心のクスリ、麻薬みたいな。

日本人は年間平均で今38万円もの保険料を払っているという。生涯ではおよそ一千万を超え、住宅に次ぐ高額消費物となる。

一方で、毎月の収入の5~10パーセント近くを社会保険料(年金・健保)で政府機関に払っている。公的社会保障でこれだけ払っているのに、さらに民間の保険に30万も払うというのは、まったくもって不条理であるが、そもそも商品の位置付けが「心のクスリ」である以上、条理が通用するわけもない。

いいんだ、それで。

私はFPとして、昔は解約返戻金で黒字になる役員の長期平準死亡保険に入っていた(自分の会社名義で)。

しかしこれが払えなくなり(w)、今は若い頃に入った、一番安かったカタカナ生保の死亡保障(定期・掛け捨て)だけ。

若い頃にソニー生命とか安い会社をあれこれ検討しておいて本当に良かった。会社に出入りするおばさんが売る、漢字の生命保険会社の特約満載とかに入らないで良かった。

今は子どもがいるから仕方なく入っている定期掛け捨てだが、これも本当はやめたい。

人は、自分の人生を、死から目を逸らさず今日一日を精一杯生きたらいいと思う。

最近は住宅にもお金を払うにはかなりのストレスに耐えなければならない。家を借りる、買うのに何千万もかかる(生涯で)。なのに、近所の農家は家賃収入で暮らしているし、10軒に数件は空き家で放置されている。

毎月の収入の20パーセントを住居費とすれば、そんなの払いたくない。相続した土地にアパートを建てそこからの上がりで働かないで済んでいる高齢者や、相続した土地家屋をもてあまして空き家にする人たちのために。そんな連中は家をただで、貧困子育て世帯に開放すべきだ。

そうしたら、私たち勤労世帯は、週休3日で暮らしていける。

これが私の結論だが、FPの教科書はそう書いていない。やれ、保険はこれくらいの種類があって、これこれの保障が必要だから、毎月いくらのこの商品がありますとか。住居費は収入の20%を目処に考えましょう、今の収入はこれこれだから、あんたが買える(借りられる)家はこれだね、とか。

そんなことバカじゃない限りわかるだろってことしか、FPは言わない。

金融機関のサービスで節約する「大和ネクスト銀行」編

筆者は、銀行に取られる他行振り込み手数料、ATM利用手数料というのがどうしても許せない。払いたくない。そこで必死に、それらが無料になる銀行を探している。

ここのところ分かったのは、新生銀行のスマートカードローンから、2000円だけ借りて、即座に1999円を引き出し、毎月の返済日の次の日に同じように借りて1円残高を残しを繰り返すことにより、他行振り込み手数料が月5回まで無料になるというテクニックである。

今日、さらにネットを徘徊していたところ、大和ネクスト銀行も、他行振り込み手数料が無料ということが分かった。

他行振り込み手数料が、なんと月3回まで無料である。また、自分名義の他行口座なら、何度でも無料である。となると、月1回まで他行振り込み手数料が無料の住信SBIネット銀行、月5回まで無料の新生銀行、月3回まで無料の大和ネクスト銀行と併せて、月に9回も無料で振り込める。

私のように個人自営主、会社経営者だと、コレはありがたい。皆さんにもぜひお勧めしたい。口座開設の手間も、個人番号カードがあるとかなり楽である。

『Bライフ』高村友也・著を読む

私は同居親族が大勢いるので、寂しさとは無縁である。しかし、人間が大勢いるということはそれだけ、生活コストも余計にかかるということになる。

何年も、大勢で賑々しく高コストな生活を続けているうちに、「孤高」「ミニマリズム」「スモールハウス」こういったものに心引かれるようになった。

大切に付き合っているというか、興味が尽きないのでついつい会ってしまう知人がいて、彼もまた、孤高のミニマリストに永遠に憧れる男である。実体は、消費社会における蕩尽の欲望に勝てず、家は物であふれている。そんなあふれたものの一冊が、「高村友也」氏の書いたBライフという本で、このたび彼から借り受けて読んでみた。

関東地方の小田舎に土地を買い、ホームセンターで手に入る資材だけで家を建てて暮らす男、それが高村氏である。上下水道、ガスが来ていないところで暮らす。しかも、彼は東大文学部哲学科を出て慶応の院にも行った秀才だ。この本も単なる貧乏人のDIY自慢に終わらず、幾分哲学的な論点が提出されているのも頷ける。

ある種の普遍性を帯びている内容である。

公務員、会社経営者、会社員、皆それぞれ肩書きがあって、生計を得ている。私もそうである。しかし、これらの生計の手段、もちろん家族を養うのにホイッと捨てるわけにもいかず、明日も電車に乗って通うのだけれども、高村氏のように元々そういうのがなくても暮らせるのかどうか。

じつは暮らせる。

ところが、その(ひとり)暮らし、Bライフは、じつは外部の、まさに社会の中で公務員だったり、会社を経営していたり、仕事をしている他の人たちの働きによって、支えられている。そのことを彼は、「世話になっている」と表現している。

社会の構成員全員が、彼みたいにBライフを送りだしたら、彼に資材を売ったホームセンターもないわけだから、彼のBライフは成り立たない。ホームセンターの仕事を忌避して、山に引きこもりたいのは、ホームセンターの店員とて同じだ。

ここにBライフの矛盾というか、限界がある。みんなやっちゃダメなんだけど、この本と出会えた本当に少しの人は、将来いつかは、と心の片隅に置く程度なら許される。

そういう本であった。ちなみに、BライフのBとは、ベーシック、という意味でもあり、ベイビー、つまり幼稚な、という意味でもある。ベイビーというのは、あらゆる仕事に精通もしなければ、人として成熟もしない、子…

人工知能で消える仕事

最近、人工知能の進展が人々の仕事に与える影響について外国人ジャーナリストや専門家が書いた単行本を立て続けに三冊読みました。

セカンド・マシーン・エイジ限界費用ゼロ社会ロボットの脅威 昨今のビッグデータを活用した人工知能の「ディープ・ラーニング」により、たとえば膨大な医学や法律の文献や道路交通情報から適切な問題解決の回答を導き出したりできるようになってきたというのが、まあこの界隈の話題の肝なんです。

これまで人間がやらなければダメだろうとされてきた、あらゆる場面で人工知能が人にとってかわる蓋然性が発現しています。

微妙に方法を変える実験を繰り返して数字を取る、熟練した放射線科医でも難しいマンモグラフィーの画像から微細な癌を見つける。ある企業で、係争中の訴訟事件にまつわる書類を、膨大な量の電子メールや社内電子データから見つける、学生が書いた英作文の回答を添削するなどです。つまり、インプットの形式が不定型でも、ブラックホールのごとく人工知能にぶち込むと、はいこれでーすと解を、あるいはかなり絞られた候補の解を人間に示してくれます。

いますぐどうのこうのと言うことではもちろんありませんが、「断絶的破壊」といって、テクノロジーがある日突然、人々のある種の活動の持続性を強制的に止めると言うことが予見されているのです。

さて、私がへーっと思ったのが、大学レベルの高度な授業をインターネットを通じ無料公開する「MOOC(ムーク=Massive Open Online Course)」のことです。これは、2012年頃アメリカではじまりました。誰でもネット接続環境があれば、一流大学の講義を無料で動画で見られるとあって、学問の民主化といわれて世界的に話題になりました。2013年頃、ダメだなこれ、といわれて、一部の大学は公開講座をやめたりしているんです。

どうしてMOOCはこんな短い間にダメになったんでしょうか? それにはふたつ理由があります。

一流大学の講義を受けるほどの知性の持ち主しか、そもそもこうした動画を視聴することができない(飽きる、面倒、興味がない)=つまり知性の民主化は起こらない一流大学は、年間400万ドル以上払う通学のお客様に出すのと同じ「履修証明書」を、単に無料動画を見た人に出すわけにはいかない(大学のブランドイメージの低下につながる) 最初の理由についてですが、MOOC、私も…

脳科学に基づく正しい人生の送り方

結婚はした方がよい よく、悲しみのあまり「胸が痛い」という表現がある。通常脳内では、全身の諸々の痛みを抑える物質が分泌されており、痛みは感じないで済んでいる。ところが親との別離など激烈な体験により、この物質が分泌されなくなると、文字通り「痛み」を覚えるようにできているらしい。
親との分離は、成長するにしたがい、社会関係との分離へと移行する。成長したら、今度は社会とのつながりを持っていることにより、痛みを感じないで済む。
極論すると、人間は社会とのつながりを持てなかったり、失ったらば、脳は「痛み」という文字通りの罰を与えるようになっている。社会とのつながりとはもちろん家族のことである。家族=社会であり、会社や学校は二義的で一時的なものである。人生の大部分においてまずは家族=社会である。
Amazonの原住民も、家族単位で生活している。彼らがそうしているのは、何もAERAの結婚のコスパ特集を読んで、やっぱり結婚したほうがコスパがいいからそうしているのではない。本能的にそうすることが本能的に設定されているからである。
脳科学を読むと、結婚して家族を持つことは、四の五のいう前にまずは脳が発動する「罰」を封じ込めるという点で、必須である。
昨今結婚できない(しない)人が増えている。そういう人たちは、結婚に代わる愛着の対象を獲得すればよいだろう。それこそ仕事(会社ではなく、仕事そのものに対する愛着でないと。会社は裏切るが仕事は取り組むだけ満足感を得られる)でもよいし、地域の集まりやコミュニティーでもよい。ミニカー集めでもいいかもしれない。マラソンでもいいだろう。脳が罰を発動する隙を与えなければいい。
いちばんよくないのは、故郷の家族と離れ、寂しさを封印して、しかも社会の中でいかなる居場所も見つけられない非正規労働の単身者である。パニック発作のようなものが起こって、ドツボにはまりやすい。
SNSはやめて、自分の脳を上手に使う 私はよく、家事育児がたいへんだとぼやいている。そのぼやきを社会のせいにしたりして、SNSにも熱心に書き込む。この行為は左脳の仕業で、私の脳の健全な運用において一利もない。つまり人生にとってメリットがまったくない。
人間は、自分の心の中で「台所片付けよう」という内的発話をきっかけに台所片付けに必要な動作記憶のレパートリーを直ちに呼び出して実際に筋肉を動かす…

新生銀行他行振り込み手数料5回まで無料にする法2016年版

もともと大昔は、新生銀行は他行振り込み手数料がなんと月5回まで無料だった。私もそれでわざわざこの銀行に口座を開設した。
 私は毎月他行振り込みが多いので重宝していたのだが、あるときから1回しかできなくなってしまった。数年前から。
 ところが最近、新生銀行のスマートカードローンプラスという消費者金融サービスを利用し、毎月20日時点でご利用残高が1円以上であれば、翌々月は、5回まで振込手数料が無料になるということが分かった。
 スマートカードローンプラスは要は借金だから、14.8パーセントという鬼のような金利が付く。残高スライドリボルビング払いという、なるべく残高を減らさないような返済のしくみで、銀行側にかなりたくさんの利息が落ちるように巧みに商品が設計されている。借りる側から見ると、毎月の返済額はわずかで済むとメリットのように書いてあるが、なかなか残高が減らないために、利息が非常に高く付くという合法的な「詐欺」商品である。従って、このスマートカードローンプラスを、この商品の本来的な用途(つまり借金)で利用するのは絶対におすすめできない。そのような事態に至ってしまったら、消費行動を見直すべきだろう。使途が生活費ならば、借りる前に役所に生活保護の相談に行ったほうがいい。
 借金ではなく、あくまで毎月20日に借入残高1円という状態を作り、毎月5回までの他行振り込み手数料無料を獲得するという目的のために、このスマートカードローンプラスを利用する。
 その方法だが、18日くらいまでに、スマートカードローンプラスを申込みして最低利用金額の1万円を申し込む。借金の申込みなので、年収、勤め先、勤め先電話番号、諸々を銀行に開示する必要がある。そして自宅と勤め先に電話がかかってくるし。免許証の画像も送信しなければならない。非常に不愉快な経験である。
 しかし、申し込んだ翌日には本当に1万円が私の新生銀行の口座に振り込まれていたので驚いた。簡単に借金地獄に入れる。手続きの面倒くささは、子供の教育費の支援を自治体から受ける際にくらべるとはるかに楽だ。まったく、政府自治体の支援も、これくらいスマートにやってもらえたらいいのに!!
 それで、翌日にはスマートカードローンプラスの会員番号がメールで届くので、その情報その他を利用して、スマートカードローンプラスにログインする。すると借入残高は10…

アフガニスタン。妻を金で買う国と日本のモラトリアム

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ソニータ アフガニスタン難民 少女ラッパーの物語(発掘アジアドキュメンタリー イラン/ドイツ/スイス共同制作)を観た(NHK BS)。
 アフガニスタンでは、たとえば男の子と女の子がいる家庭の場合、女の子を男に結婚させる。すると、100万円程度の「結納金」がもらえる。男は女を選び放題である。女のほうには一切の決定権がない。女は、生殖のための家事育児奴隷として売買の対象になっている。
 男の子が嫁を「買う」ために、姉妹がいると助かる。その女の子を売った金を、今度は女の子を買う結納金に充てられる。
 ソニータは、アフガニスタンからイランに逃れてきた難民の少女で、15歳。アフガニスタンに残してきた母親が、娘の売り先に目処が付いたからと、娘を連れ戻しに来る。母親は娘を商品のように売り渡すことに何の躊躇も無いし、習慣だからといって頑として譲らない。
 先進国は、文明というのは、ソニータのような境遇の少女をひとりでも減らすことに注力する義務があると思う。人間を人間扱いすることが文明の基本である。
 ソニータを取材したドキュメンタリーチームは、この母親に2000ドル支払って、半年の猶予を得る。ソニータはその間に自分のラップのミュージックビデオをユーチューブにアップ。これを見たアメリカのアフガン難民支援の学校関係者から声がかかり、奨学金を得てアメリカに渡る。



 この番組では99パーセント、イラン人やアフガン人が写っている。しかし、番組の最後に、カリフォルニアのライブハウスで、アメリカ人観客を前にソニータがラップを披露する場面がある。そこで一瞬だけ、アメリカ人たちが写る。そのとき、自分は、アメリカ人の側の人間で本当によかったと心から思った。
 しかし、自民党の憲法草案をよく見ると、結局文明を後退させて、アフガンみたいに殺伐とした非人間的な国家像が浮かび上がってくる。国家は家族なんて面倒見ない。いざとなれば、いつでも好きなように国民の権利を制限できる。そういうことを書いてある自民党の憲法草案はクソだ。自民党憲法草案などクソ以下で、まったくゴキブリすらむしろ美しいほどである。あんなのを標榜しているクソ政党を支持する地方の農民たちや、都会の地主層ってのはもはや文明人とはいえない。バカだ。クソバカ。本当にあり得ない。きっと、日本の地方も、じつはアフガニスタンのような感じなのだろう。貧しい家…

断捨離に取り組む

諸般の事情で、月々3万で借りていた物件を退去しなくてはならず、膨大な量の私物を処分する作業に従事している。

作業は本当につらい。たとえば、子供が幼稚園や小学校の頃に書いた作品などは捨てがたい。なぜなら、そういったものは今はまったく無価値だが、万が一子供が私より先に死んだときに、引っ張り出して、それらをしみじみ眺めて泣いたりする場面で必要な小道具である。

その肝心の小道具を今捨てなければならない。子供には絶対に私より長生きしてもらおうとそう思ってやるしかない。

経済的に考えると、その万が一の場合に備えて、毎月毎月一定の額を保管に費やしていくということの合理性が問題だ。もちろん大金持ちならできるが、私はもはや家計が火の車である。

子供が死んだらどうのこうのということを考えて、そのために一定の支出を甘受し続けることはもはやできない。毎月の保管場所の家賃を上回る、子供の、たとえば部活の合宿費用などを来月初めに振り込まなければならない。これこそが現実であり、目の前のことだけに集中することによって得られる心の安寧(マインドフルネス)っていうヤツだ。

というわけで、すっきりきれいな空間で明日もこれからもいつまでも、健やかに家族全員生きていけるよう祈念しつつ今、断捨離に取り組んでいる次第である。

断捨離をしながらマインドフルネス瞑想である。

マインドフルネスとコーピング、ふたつのストレス対処法

ストレスを放置するとコルチゾールという悪い物質が副腎皮質から脳に向かって分泌される。この物質は脳の重要な部位を縮減させるなどしてうつ病や認知症の原因となる。

ストレスを減らすふたつの方法として、コーピングとマインドフルネスがある。

コーピングは紙にリストアップして検証する。自分が気晴らしとしてやりたいこと、ストレスを忘れて没頭できそうなことを100近くリストアップして、折を見て実践していく。

内容としては、運動、趣味、レジャー、妄想、カラオケなど遊び全般。

詳細はこちら。
http://www.iryo.co.jp/ninchi/coping.php?TB_iframe=true&width=700&height=600

マインドフルネスは、瞑想(ただし宗教的意味合いを取り除いた)のことで、過去や未来を思い煩う脳の作用にブレーキをかけ、今この瞬間に意識を集中させる。今この瞬間だけに意識を集中させれば、ストレスの原因となる「思い煩い」時間を減らすことにつながるのでストレスを減らせる。

毎日10分程度、目を閉じて、まっすぐに坐り、自分の呼吸、空気の温度、風の様子、そういったことに注意を集中させる。雑念は取り払う。

(1)背筋を伸ばして、両肩を結ぶ線がまっすぐになるように座り、目を閉じる
脚を組んでも、正座でも、椅子に座っても良いです。「背筋が伸びてその他の体の力は抜けている」楽な姿勢を見つけて下さい。
(2)呼吸をあるがままに感じる
呼吸をコントロールしないで、身体がそうしたいようにさせます。
そして呼吸に伴ってお腹や胸がふくらんだり縮んだりする感覚に注意を向け、その感覚の変化を気づきが追いかけていくようにします。
例えば、お腹や胸に感じる感覚が変化する様子を、心の中で、「ふくらみ、ふくらみ、縮み、縮み」などと実況すると感じやすくなります。
(3)わいてくる雑念や感情にとらわれない
単純な作業なので、「仕事のメールしなくちゃ」「ゴミ捨て忘れちゃった」など雑念が浮かんできます。そうしたら「雑念、雑念」と心の中でつぶやき、考えを切り上げ、「戻ります」と唱えて、呼吸に注意を戻します。
「あいつには負けたくない」など考えてしまっている場合には、感情が動き始めています。「怒り、怒り」などと心の中でつぶやき、「戻ります」と唱えて、呼吸に注意を戻します。
(4)身体…

嫌われる勇気を読んで

『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラーの教え」』岸見一郎・古賀史健著を読んだ。

この本は283ページも本文があり、非常に長いが、自己啓発本の好きな読書家にはたまらない魅力が盛り込まれている。

何より、ほかの幾多の自己啓発本の「源流」ということで、これ一冊買えばすべてオッケー的なお得感がある。それが、「心理学」や「哲学」の世界の著名人からたくさん引いて、スノッブな魅力もいっぱいだ。

重要な部分をまとめるとだいたい次の3つとなるが、読むときのその人の心境や境遇で、クローズアップしたい部分は異なろう。あくまで私が今さらっと見直してみて次の3つだ。


他人の目だとか、これまでの経緯や過去の出来事を気にすることなく、目の前のタスクに取り組むのがいちばんいい他者への貢献をすることで、自分の価値を高めることができる(自分の価値は他者への貢献によってのみ実現される)物語ではなくその瞬間瞬間を生きる

ネット、特にSNSばかり気にして、目の前の仕事や家族に集中力を持って取り組みにくくなっている現代社会では、これはいつでも忘れてはならない戒めといって良かろう。

3番目では、「人生に一般的な意味はない」としながら、世界を変えられるのは他人ではなく、自分しかいないといっている。意味があるのかないのか、その意味を自分の人生に付与するのは、他人ではなく自分である。

その自分は、過去にどうだったから未来はどうだとか、考える必要もない。その瞬間瞬間にスポットライトを当てて、今だけを生きる。タスクをこなす。

二宮金次郎みたいに、薪を背負って本を読む、それでかしこくなったあとは、苦しむ農民のために尽力する的なイメージだろう。

となると、冷静に考えれば、いつの世も偉人というのはそういう風な感じだ。一心不乱に目の前のことに集中してきて、気がついたら圧倒的な存在になっている。

私のように、組織に属することなく、日々わりと単調なタスクをしつつも、長期的にも人生を考えなければならないつまりプレイングマネージャー的な立場の者には、大いに励ましになる。

その仕事は本当に組織だけしかできないのか?搾取なき労働を考える

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ファイナンシャルプランナーとなって12年になる。この間、売上高は2万円ほどだが、FP協会に納める年会費や維持費は15万円くらいになる。要するに赤字だ。

AFPなんて保険とか売らない限りはドヤ顔ツールに過ぎない。

それはそうと、マックジョブ(低賃金で、将来もなく、危険も伴う希望のない非正規就労)の現場はいつの時代も悲惨なのだが、近年の世界的なトレンドの影響で、それはたぶんグローバル化とか、富の集中とかだけれども、現場に入る人間のメディアリテラシーが上がり、広く一般に知られるようになった。

大企業のチェーン店やフランチャイズ加盟店のオーナーに雇われて働くアルバイト店員という境遇。私も、学生時代に新宿駅南口のファーストキッチンで働いたことがあるから分かる。

これが一生の仕事だったらまずあり得ない。長時間拘束されるにもかかわらず、技能の蓄積もなければ、預貯金もおぼつかない。おまけに仕事内容は単調をきわめ、やりがいもないし、職場の人間もホーキンス博士が形容したトランプ支持者、つまり最底辺の大衆みたいな感じで心を通わせたり価値観をシェアしたりといった余地はない。

大手の外食産業はすべて、原材料を極限まで安くして、そして現場に人間の給料も安くすることで、株主、本部やオーナーは利益を得ている。

しかし、実際に食べ物を作る人、食べる人の幸福など考えられているようで、考えられてはいない。この先は、いろいろグローバル資本主義批判につながるのでちょっとおいておくとして、私が言いたいのは、「その仕事は本当に組織にしかできない仕事なのか?」である。

昨今、小商いが流行っている。大企業に属して、組織的に行う大事業に従事するのではなく、地元で、低資本で始められる小さな仕事で生計を立てる考え方である。

私が昨年始めたパン屋も、小商いといえば小商いである。しかしパン屋は、マクドナルドや大手のチェーンのような大企業も取り組む商材だ。やってみて一日で分かったが、じつにまっとうなこと(よい素材のものを、清潔が行き届いた素敵な店で、低価格で売る)をすればするほど、利益は減る。

こんなことは私ひとりでやらないと、誰かに任せようものならたちまち取り分は減ってしまう。つまりパン屋は小商い向きの仕事ということになる。

どっか、海外の海辺に、人間が捨てたプラスチックゴミで腹を満載にした鯨が死んで打ち上げられた。

何…

絶望ラジオ

NHK BSの「ドキュメンタリーWAVE」で、韓国の若者がはじめた非営利メディア「絶望ラジオ」を特集していた。
 もちろんインターネットラジオ。
 内容は、編集長が社会に絶望するリスナーの投稿を読み上げ、「そういう人多いよね」「ぜんぜんめずらしいことじゃない」「社会のせい」といった感じで、コメントする。同情したり励ましたりするのではなく、絶望をシェアして、確認する、たまにユーモアを入れながら。
 ソウル大学という一流大学に貧困家庭から進学するものの、生活費を稼ぐためのアルバイトの負担から成績が下がり、奨学金停止となって休学しているあるリスナーのケース。彼はいう。自分の惨めな境遇を知人に話しても同情されるだけ。同情してもらったり、癒やしを得たいのではない。ただ聞いてほしい。だから自分は絶望ラジオに投稿するのだ。
 社会的絶望は相対的だから感じ方は人によってまったく違うだろう。
 私もブログ、このブログはプロブロガーイケダハヤトの数万分の一しか読者はいないわけだがゼロではない、に、こうして日々あーだコーダ、日頃の生活苦や仕事のつまらなさ、社会への恨み辛みを書き散らしているけれども、決して同情してもらおうなどと思っているのではない。というか、同情してもらえるはずがない。
 絶望ラジオに投稿する若者みたいに、こういう境遇があり、こういう感じ方があるんだということを知ってもらいたいだけで、それでもう十分。だからコメント欄も作ってない。
 ただ、ブログ投稿はそれ自体やらずにはいられない。ブログを書かずにはいられない。どんなに人が観ていなくても。
 なぜか?
 たぶん、書くと自分の人生に新鮮味が生まれていい感じになるという効用があるきがする。毎日毎日、同じことの繰り返しだと、本当につまらなくて、退屈になってくる。もちろん、平和でまあまあな暮らしはそうだけれども、その状況への退屈さはぬぐいがたい。
 どんなに幸せでも、あるいはまた、先が見えない泥沼な人生でも、それをはき出す機会がどうも必要なのである。
 さて、韓国では「コシウォン」(考試院)とかいう、司法試験受験生のための二畳ほどのベッドハウスがある。およそ2万円程度で、二畳の部屋と簡素な家具が与えられる。そのコシウォン住まいで、何年も、難関試験(おもに公務員試験)に挑戦する。いま、その数50万人もいるというから驚いた。
 と…

ドナルド・トランプのおかしな世界

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The mad world of Donald Trumpというドキュメンタリー作品を観た。

The mad worldというとおり、トランプという、未成熟のやんちゃでわがまま(自己愛性人格障害)なおじいさんが大統領選に立候補。金にものをいわせてひらく大規模集会では、むちゃくちゃなことをいって、そしてあろうことか、非常に多くの低学歴の白人が熱狂して支持をしている。

トランプの主張はもちろんめちゃくちゃで文明に逆こうするような排外的で偏狭なものばかり。ISを徹底的にぶっつぶす。メキシコ国境とのあいだに巨大な壁を、しかもメキシコ政府の負担でつくる。

トランプは、女性への異様な言動で過去に問題を起こしている。ある晩、妻(すでに離婚)の髪の毛をつかんで無理矢理強姦する。そして翌朝になり、「痛かった?」と聞いたというエピソード。

このエピソードを語った伝記作家は、「要はこういう不安定な人物に、核のボタンを握らせてはならないと言うこと」。

そして、スコットランドの元首相は、万が一トランプが大統領になって核戦争が勃発した場合に備え、地球上でもっとも放射能の影響の少ない南極行きの飛行機のチケットを予約済みだと真顔で語った。

実際トランプが大統領になるかどうかは微妙である。なぜなら、彼を支持する層は、投票所には実際には足を運ばないとみられているからである。集会は娯楽として楽しむが、投票には行かない。

それだったら本当にいい。でももし、まかり間違ってこの男が大統領になったらどうなってしまうんだろう。かつてなく高まっている、悪夢のような歴史の逆回転の瀬戸際に人類が立っている、そんな気分。

格差が拡大して、一生懸命努力しても浮かばれない人が増えた。毎日仕事に追われ、将来は先が見えない。年金もいつもらえるか、十分もらえるか、まったく分からない。

そういう人たちだって、もちろん人間だし、希望を持って毎日を生きたい。彼らは憂さ晴らしをしたい。退屈な日常にはうんざりしている。カタルシスを得たい(すっきりしたい)。

そこにトランプが登場した。しんみり。私にもなにか登場してほしい。トランプ以外で。そうたとえば、こんな…。

毎日、きのうとはちがう「新しさ」を

「暮らし」の中に新しさを見いだす方法は容易ではありません。

しかし、人間退屈さが何よりつらいものです。退屈さは、「新奇性」の欠如からもたらされる。刺激が、新しさがないのなら、生の満足感を得ることはできません。

残念ながら、あらゆる試みは、脳がある刺激から受け取ることができる満足感が逓減する性質により、必ず陳腐化します。

このブログでは何度も、飽き飽きする退屈な日常について書いてきました。この問題を克服するすべ、しかもそれは近年の給与所得の減少により、いよいよ予算も限られてきています。

もはや私の解決法はじつに味気ないものとなってしまいました。しかし、長年にわたってこれを追究してきたので、どんどん洗練されています。今のところ、私の対処法はふたつになります。

寝てしまう人と交わる(家族以外) 以上です。

組み体操、危険性が問題に

組み体操が危険で、けが人も多数出ていることが分かっている。
背中の上に人が何重にも乗って、非常に痛い。上から一気に内側に崩れる際に、死者や後遺障害の人も過去には出ている。

こういうのは本当にやめてもらいたい。裁判にもなっていて、学校は安全配慮義務がある。組み体操における安全配慮は、単に補助者の数を増やすといったおぼろげで実効性に乏しいものではない。裁判所の判例によれば周辺に、とっさのときに安全につかまれるような足場を組む以外に、具体的な安全策はないということである。

子供が4人も公立学校の世話になっており、いろいろ学校制度の矛盾や陳腐化してもはや不条理と言っていいような事象も見えてくる。

PTA活動はその最たる例だ。保護者は格差の進展で両方とも共働きや、シングルマザーが増えている。1分でも多く働かなければならないし、家では休息しなければ体も心も持たない。にもかかわらず、土曜や休日にPTAの活動に出かけて形骸化した仕事に従事しなければならない。

もちろん、ある程度時間とくらしに余裕が有り、専業主婦で子供が少ないようなご家庭なら、やればよかろう。

しかし、実際のところ、PTAはクジで役職を割り当てられる。もしうちのような激闘共働き極貧子だくさん自営業者や、シングルマザーにあたったらどうなるか。無理だ。

もっとも許しがたい最近きいたPTAの理不尽活動の例を挙げよう。小金井市では昔から、地域の年寄りの集まり(任意の組合)が学校に寄付している(支援している)。その年寄りの団体に、お礼のためにたとえば運動会などの学校行事に「来賓」として招く。そこまではよい。問題は、その連中に招待状を出すという事務がPTAに課せられているという点だ。

正直言って今の高齢者で、金を集めて学校に寄付をし、招待状が来たから喜んで運動会に行くというのはどういう連中なのか?

もう子供が騒いでいるのであとはかけないので、「組み体操 危険」「PTA 理不尽」のキーワードで適当にググってあとは自分で考えてください。

タックスヘイブンに富裕層の資産3000兆円

日本の借金1000兆円(国・地方合計)。いろんな環境問題の解決に年130兆円。国や地球全体の福利の向上に使えば、一発であらかた解決できるほどの額が、タックスヘイブンに隠されていることが明らかになりつつある。

これらのお金は、企業創業者や歴代の政治家、セレブタレントなどが個人的に稼いだお金で、合法(というか、法律の適用を逃れて)に隠されている。


節税 みんながまったく合法的にできる、税金の節約。

租税回避 わざわざ、ある国での課税を逃れる目的で、その国の税法の適用の外にある地域にあえて資産を移すこと。法律では課税できないから、罰金を科したり処罰できない。タックスヘイブンはこちら。

脱税 嘘の申告をして課税を逃れること。違法。

はーあ。

年金も税金も払いたくない

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池田信夫氏のブログを読んで、ほとほと年金も税金も払いたくないと思った。




一言でいうとこの国では、豊かな高齢者に貧しい若者が借金までしてお金を仕送りしている。

なのに政府は教科書などを通じて若者に「国を愛せ」「郷土愛」「美しい国」とドヤ顔。マジ、日本はナニサマなのか?アホか?ジジイが若者をとっ捕まえてSMプレイか、これは。

「日本死ね」という話題のキーワードがあるが、結局若い子育て世代は、自分の子供の養育費だけではなく、見ず知らずの高齢者(豊かで資産持ちが多い)にもお金を仕送りしなければならないという、江戸時代の年貢のような不条理な世界で生活を余儀なくされているのだ。

この「保育園落ちた、日本死ね」にたいし、「日本死ねなどと言ってはいけない」とその言葉遣いや表現をディスる勢力がいるが、この勢力に対し、病児保育NPO代表フローレンスの駒崎氏が上手いこと言った。
おぼれそうになっている人が、「助けて、浮き輪早く投げて」と言っているのに対し「言葉遣いがどうなんだろう?」といっているようなもの 喫緊の課題なのに、変な論点ずらしで批判したってまったく意味がない。

私は4人も女児を養育していて、毎日、世間一般のお母さんたちがやらされている「仕事」(子育て家事育児)をしているけれども、その仕事内容(片付け、掃除、各種世話、ケア、病院送迎、習い事送迎、安全確保、食事の準備、生活消耗品の補充)はジェネレーションXという小説(ダグラスクープランド)の3Kワークそのものだ。低賃金、低未来、低名誉。

NHK(私が1995年に入社試験であっさり玉砕した日本の著名なテレビ局)のアナウンサーが、「お母さん、本当に子育て家事に頑張っているんですよ」などと言うのを聞くと、今さらながら、そういうことを言う立場になれなかった自分の人生の失敗を思い暗くなる。

毎日取り組まなければならない仕事(私の場合は家事育児、経理など)の内容がつまらないというのはたぶん、人間の「脳」にとっても絶対によくないと思う。もちろん、忍耐力といった非認知能力を鍛えるのにはいいんだろうけど。この仕事がずっと続くんだったら、そんな非認知能力をいくら高めたところで、何に使うんだろう?

大学時代に知り合った優秀な女性がいるのだが、男選びにつまづいて、最近、シングルマザーになった。いま、仕事は非正規で、学校の給食調理室で働いている。毎日、…

改憲=ナチスドイツ化。

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「非モテ」(異性にモテないこと)「非リア」(就活失敗や職業キャリアの不成就)などを理由に思春期からアイデンティティをこじらせたまま大人になった一部の学者や弁護士らが、もっぱら政治や法律に疎い一般の女性に分かりやすく改憲の必要性を説く任意の集まりがあるという。

○○カフェーとか言って。そこで、ベーカリーカフェのオーナーとして、そんな連中に「カフェ」という言葉を使ってほしくないという思いから、今回は執筆することにした。

そういうカフェには、女性を中心に一般市民が集まり、改憲しなきゃダメだと「洗脳」される。

さて、改憲を画策する保守系右派の連中が最近訴える改憲の必要性の根拠として、「緊急事態条項」というのがある。緊急事態条項は、確かに他の国の憲法にもあるにはあるが、裁判所や国会が厳重にチェックするようになっている。しかし、自民党の改憲案では、結局、なにか国がやばい感じになったら(治安が乱れたらを含む)、政府は好き勝手に法律を作って、事態に対処できるとなっている。ヤバいこれ。

高齢者ばっかりひいきして、子供の保育士に給料を増やすのに必要とされる金額よりちょっと多い3800億円を、選挙対策でばーっと高齢者に配ってしまうような政府。

冒頭の、アホで哀しい改憲論者の話に戻るが、おどろくべきことに、先の東日本大震災のときに、もし改憲していれば、死者の数はもっと少なかったとかいってる。いったい、1万人以上の、亡くなった方のうちどなたが、この改憲でもってどう、救われたというのか、是非とも具体的に教えてもらいたい(訊かないけど)。

ところで緊急事態条項は、ナチスにユダヤ人大虐殺の道を開いたワイマール憲法下にも立法化された。ニュースステーションでやっていたけど、ワイマール憲法自体はたいへん民主主義的な憲法で、ナチスも結局、普通のドイツ市民が自分たちで選んだ代表、それがヒットラーだったということ。それで、ヒットラーが緊急事態法を可決成立させてから、どんどん警察や軍隊が凶悪化していき、400万人を虐殺するという世界史上まれに見るホロコーストを導いた。

ある収容所を解放したアメリカ軍は、収容所の中の惨状を見て言葉を失った。全員、ガリガリに痩せていて、ほとんど裸。腐乱死体はそこらじゅうに転がっている。機転を利かせたアメリカ軍は、近所に住むドイツ市民を収容所ツアーに「招待」。普通のみなりの奥さん、…

非認知能力

今日は、自分が28年前に卒業したその中学校、人口減少も津波も来なかったからまだ無事に28年前と同じ校舎・建物が同じ場所にあるわけだが、東京の西の「ふるさと」の某公立中学校で娘が卒業式を迎えた。
 「ノーメイクで見るに堪えない」(古市憲寿)中学生たちの歌声が響く体育館。足下が寒くて痛くなるほどである。四歳の娘を連れて、最後列から2番目というテンションの低さ。持っていったkindleで『「学力」の経済学』中室牧子著を再読する。式典が9時過ぎから11時40分くらいまでの長丁場だから、いい読書の機会だ。
 『「学力」の経済学』では、認知能力と非認知能力について取り上げ、著者は非認知能力の重要性を力説していた。テストの点数よりも、幼少期に目の前に置いてあるマシュマロを食べずに我慢できるかどうかで将来の年収や持ち家かどうか、逮捕歴などに有為に影響するという。点数が高いことは、認知能力、要は数値化できるから認知できる、そういう能力のことである。学校教育では、表面上はこの認知能力をテストで測定して生徒の優劣を測り、また進学先もその認知能力の高低でレベルが分かれていく。もちろん、認知能力が高い=学歴が高い方が年収は高くなるのだが、同じ学歴層でも、非認知能力が低ければ成功はおぼつかない。
 早稲田や東大にもいた。彼女も作れない。クラスメートと目を見て話もできない。就職活動は全部ダメ。
 ちなみにこうした社会的能力が今ひとつの人の多くは、たぶん自閉症スペクトラム障害だろう。だから本人や、その親を責め立てることは絶対にできないししてはいけない。
 アスペやADHDのひとは、非認知能力を高めるったって、これは難しいと思う。中室さんの本を読みながら、いやアスペルガーの私の場合、部活とかボランティア活動といったテストの点数以外でなにか優劣を測られたら人生一巻のおしまいだと思った。点数だけでいいじゃーんと。でもダメみたい。もちろん、だめだろう。
 非認知能力は、家庭のしつけ(ルールを守る、他人に親切にする、ウソをつかない、勉強する)がしっかりしていると高まるともいわれている。非認知能力が低い人は、高い人にくらべ、年収が低いというアメリカの追跡調査の結果を見て、自分もまさにそうだと思った。私の年収は自治体に「要保護水準」と認定されるほど低い、てへ。働かないでたらふく食べたーい!
 ここで、非認知…

公職はバカと暇人のもの

杉並区の保守系区議が「保育園落ちた、日本死ね」とのつぶやきに「暴言」「便所の落書き」と批判したという。何でもこの区議は、日本をそんな風にいうなんて(倫理的に?)許されないと本気で思っているようだ。大丈夫か、こいつ。というか、この日本死ねが便所の落書きなら、この区議はその便所に流される「クソ」そのものというイメージが正しい。お食事中の方すいません。

国会で、この問題をある野党の女性議員が質問中に、与党のジジイ議員からヤジが飛んでいた。

この区議にしても、国会のヤジを飛ばしたクソジジイにしても、本当にバカでゴキブリ以下だといわざるを得ない。もはや公職はバカと暇人のものに成り下がってしまったのだ。ただし暇人とはいえこの場合は、高齢の有閑富裕層といった方がいいだろう。

とはいえ、じつはこの現象(=公職がバカや有閑富裕層に寡占されている)はもう何十年も前から、法律のほとんどを官僚が作り始めて以来、始まっている。行政国家現象という。議員は特定団体の利益代表に過ぎなくなり、社会全体をよくしていこうという志は、次の選挙に当選するための諸工作に劣後する。

この救いがたい腐敗公職を改革する私の提案は、すべての公職を公立学校PTAのお母さんお父さんの持ち回りにして、報酬は裁判員程度のものとすればよかろう。

PTAの会合では、国会で見られるようなヤジはまったく聞かれない。言い出せる雰囲気ではない。

どうせ仕事は官僚がやってるんだから、キモいジジイに高額報酬を払うよりも、子育てで苦労しているお母さんにパートよりちょっといい報酬を払ってやってもらうのがかろう。

そして、数年後、今言われているのは2025年くらいまでに、その官僚も人工知能に置き換わるといわれている。ポスト官僚たる人工知能とお母さんが「活躍」することで、このだめ社会の抜本的な改革ができる。

正味3分の事務をやるのに子育てしながらだと7倍の21分かかった件

通常はわずか3分で終わる事務。具体的には、ある書類を出力してスキャナで読み取り、サーバにアップしてメールで連絡するといったような内容である。書類を出力した時点でアラームが鳴った。子供の送迎の時間だ。徒歩1分くらいのところに、幼稚園の送迎バスが来る(子供が4人いるのでもうこれ、間を空けて12年以上やってる)。
 外は雨が降りそうな気配。ジャケットを着て、傘を持っていかなければ。ジャケットを着て傘を持って、外に出て自転車を出したところで幼稚園のIDカードを忘れたことに気が付き、家に戻る。IDカードを首に掛けていないと、子供を引き渡してもらえない。およそ40秒くらいそれでロスする。
 IDカードは家の決まった場所にあるのでそれを取って首に掛け再び出発。近所ではコーヒー屋台が出ていたので、そこでバスがくるまでのわずかな時間にコーヒーをテイクアウトで注文する。
 450円。本当は領収書が欲しかったのだが、いい感じにアナログを徹底し、炭火でお湯を沸かすコーヒー屋台のお姉さんにそれをいったら時間もかかるだろうし、何より無粋なので今回は諦めた。税引き後の所得からの支出になってしまう(領収書があれば、法人の費用になり、税引き前所得からの支出となる)。
 いよいよバスが来る。子供が降りる。いつもの保育士のお姉さん、あいかわらず疲労の色が。笑顔も薄く、「さようなら」。給料安いんだろうな。さて。子供はまだ年少なので、常に非定型のオファーをいってくる。今回は、自転車のチャイルドシートに座るのではなく、サドルの前のフレームに立って帰りたいと訴える。やむを得ずそうさせる。するとコーヒー屋台のお姉さんが注文したコーヒーをもって来てくれた。片手に激熱コーヒー。片手に子供がフレームに乗って不安定状態の自転車。突然の修羅場だ。こうした小さな判断の回数が、人間が1日にできる判断の総量を確実に消費していくことを私は知っている。
 徒歩1分の距離を、自転車にもかかわらずむしろ歩いたほうが早いほどの遅さで、1分以上掛けて帰る。
 家についたら、チャリのフレームが子供の靴の底に着いていた砂で汚れていることに気が付きげんなり。しかも子供の靴はだいぶくたびれていて、マジックテープが機能しなくなってる。買い換える時期だ(買い物リストに記入しなければ)。となると、サイズは何だろう、サイズをメモしたほうがいいのだろうか…

NHKスペシャルが震災後5年特集でアツい!

NHKスペシャル、行ったこともないんだが、経験したこともないんだが、まるで自分が体験しているような大迫力で、現代社会で起こった様々な事象を味わえる。
 ドヤ顔でこうだった、ああだったというのは野暮というものだが、次世代の教訓になるようなネタは書いておきたい。
 今日見たのは、原発事故で翻弄される、原発から30キロ圏内の人々の記録。
 「避難しろ」で、寝たきり高齢者の何人かは亡くなってしまった。避難所で、ヨウ素剤があることを知っているのに配れなかった自治体の職員の中には、PTSDにかかる者も出た。
 屋内退避でロジスティックスが国交省の指示でストップした結果、生活物資がなくなってしまい、結局町の判断で住民の8割が避難した南相馬市。避難できなかった2割の人たちのほとんどは弱者で、何人か亡くなったし、ゴーストタウンで食糧も尽きていく恐怖を味わったご家庭も。
 これらのことからわかるのは、地方、とくに、なにか自然災害があったときに物流や避難の経路が脆弱な地域に居住することがどれだけリスキーかである。もちろん、緩やかに死のうと思ってそうするのは個人の自由だが、家族はどうか? 従業員や、従わざるを得ない関係者のことを思うと、慎重に考えなければならない。
 国も自治体も、国民が税金を払って、国民の安全や生命を守ってくれるよう、期待してそこを任せている。ところが、震災に見舞われた福島のケースを観察して明らかになったのは、そうした国の救急救命政策の機能不全と、誤った情報で国民を翻弄して、知らんぷりのままだったというていたらく。
 今の安倍政権を見ると、避難についての本当に実効性のある計画が整っていなくても、どんどん原発を再稼働している。短期短期でしか政策や制度設計をしていないということは明らかだ。
 こうなると、もう本当に自分の身は自分で守らなければならないという感じで、しかもそれにかかるお金は税引き後の所得から工面するのはじつに苦しい。
 私は、物心ついた頃、チェルノブイリ事故を知った。親がサヨクだったので、もう危ないおしまいだと大騒ぎ。トラウマになった。だから、原発が、タイムボカンシリーズのエンディングみたいにポンポンと爆発した2011年のあの日は、原因不明の全身痛に見舞われ、心底恐怖した、この東京で。
 結局、本当に安全に暮らしていける場所というのはどこなのか。自治体や、商…

クレーム対応 怒りを鎮める3つの段階

今日は、激怒してクレームをおっしゃられるお客様に向き合うときの3つの段階について考えてみたい。これは、某経済系教養番組を参考に開陳するもの。

クレーム対応の3つのプロセス相手の話をしっかり聞くお詫びする相手の立場に立って共感する 以下順番に説明しよう。

相手の話をしっかり聞く お客様は、ご多用のところ自社の商品のせいで貴重な時間を割いてわざわざクレームを言いに来ている。したがって、その気持ちをまずはしっかり受けとめることが怒り鎮火の前提となる。 承知いたしました私がうかがいます申し訳ありません(お客が述べる言葉をそのまま繰り返して)○○ということなのですね、わかりましたはい、おっしゃるとおりですその通りです間違いありません
お詫びする クレームを言う客が直接来たということは、少なくともその時点では、裁判所に損害の賠償を訴えて、損害を金銭的に補償してもらいたいと思っているわけではなく、要は謝ってほしいからやってきている。したがって、最善の策は平身低頭にお詫びすることである。
申し訳ございませんでしたお詫び申し上げますすみませんでした
相手の立場に立って共感する 前段の2項でだいぶエネルギー(アドレナリン)を消耗したクレーム客は、この時点でだいぶおとなしくなっている。ここでは、感情的な爆発は収まり、「で、どうしてくれるんだ」(どんな損失の補填をしてもらえるんだ)という気持ちがわき上がってきている。そこですかさず、相手の立場に立って、自分だったらここでどうしてほしいのか、その欲求を先回りしてこちらから充足させる。 おいしく召し上がっていただけず、本当に申し訳ありませんでしたなにか、具合が悪くなってしまいませんでしたか?申し訳ありませんたいへんなご不便をおかけしてしまいましたきちんとやりとりをできず、さぞご心配だったことでしょうご心配(ご迷惑)をおかけしましたお体は大丈夫ですか?お怪我はございませんか?→いますぐ、代わりの物をお出しします この段階では、共感の言葉の直後に、欲求充足の具体的手続きを約束することが重要だ。「いますぐ」「直ちに」「速やかに」「本日中に」「明日までに」という、期限に続き、損失を補填する具体的提案を述べる。

クレーム対応の本質 怒ったお客が乗り込んでくるようなビジネスはおおむね小売りサービス業に多い。地域に密着し、リピート客がおおい、顔の見える商売である…

マイナス金利は資本主義終焉の決定的証拠

今般、日銀が採ったマイナス金利の政策。これって、お金をあずけたら、金を払わないといけないということなのだが、おかしい。市中銀行は日銀にお金をあずける場合、金を払わないといけない。

おかしさは、借りる側から見るとさらに際立つ。金を借りて投資をして、そして投資の収益の一部から利子と元本を返済するのが普通の金利。マイナス金利とは、金を借りたら、何もしなくてもお金を払ってもらえる。するとどうなるか。金借りたら誰も何もしなくなる。銀行ニート状態。わざわざ誰も投資をしなくなる。借りるだけ。おしまい。だって借りたらお金がもらえる。

新規の投資が無効ということだから、資本主義がフロンティアを開拓してどんどん新規の投資をして自ら拡大増殖していくシステムだとすると、結局資本主義はもうあかんという意味になる。

収奪の矛先がフロンティアにないならドメスティック(国内)に向かう。立場の強い、巨大な資本主義のシステム(企業など)は、立場の弱い者(一般消費者)からどんどん収奪していくことになる。

放っておけば、トリクルダウンも何も起きないばかりか、こういうふうに資本主義が牙をむいて国内弱者を直撃するわけだから、政府は、資本主義を鎮め、ヒトビトの安全と幸福が広く行き渡るよう、格差是正、社会保障重視の大増税、巨大政府社会主義に舵を切るべきだろう。

社会主義はいいすぎかもしらんが、私たちが今取り組むべきなのは、資本主義のソフトランディングをいかにさせるかである。

今、憲法改正がどうのこうのというが、私にいわせると憲法改正すればより、国家運営は資本主義的になる気がする。憲法なんてぜんぜん関係ないと思う。憲法は変える変えないという議論で、資本主義のエゴイズムの代弁者になっている政府与党は、本当の問題(永続できないことが分かっているものの、とりあえず四半期で前年対比増をしないと株主に対して面目が立たない株式公開企業ってどうなの、とか、あるいは、年金をもっと高額に源泉徴収しないと持たない年金システムってどうなの、しかも生活保護費より安いってのはどうなの、とか、四年ごとの選挙で勝たないと次の仕事がない政治家という職業ってどうなの、とか)から国民の目をそらす、だめだめな戦術である。

保育園落ちた、日本死ねの件

Live streaming video by Ustream

保活に失敗したお母さんが「保育園落ちた、日本死ね」とつぶやいて話題だが、私なりのこのお母さんへの処方箋としては次のようなものである。

仕事ができなくなったので憲法の「最低限度の生活」を根拠に生活保護を申請する顔出しして炎上させ、「世論」にこのイシューをさらに届ける議員などの公職者を訪ねて窮状を知ってもらい、その一部始終も動画配信する フローレンス代表の駒崎氏に連絡し、運動の連携を図ることもいいだろう。

ちなみに、いまの日本は、普通のサラリーマンがサザエさん一家のように男の大黒柱だけで家計は維持できないことになっている(高齢者や富裕層優遇の政策が長年とられてきたため)。
若い人は、普通に勤めて、働き、子供を産み育てることが「無理ゲー」になってきている。男の「仕事一筋」はオワコン化している。

高齢者の票がなければ次の仕事をなくしてしまう政治家は、国家予算という打ちでの小槌から3800億円をぽんと決めてしまった(ひとり3万円を高齢者に配る)。これだけの金があれば、どれだけ保育士の待遇改善ができるんだろう? 保育園を整備できるんだろう? でも、政治家にとって見れば、若い人たちは数が少ないから、金をばらまいても「効果」は薄いのである。だからやらない。

この機能不全で近視眼的な短期決戦型政治家の給料を介護士や保育士より低くすることが急務だ。どうせこの国は官僚が牛耳っているんだから。そのためには、ベーシックインカムを導入して、最低限の暮らしができるように再分配をやり直す必要があろう。

あと、これは保育園問題とは無関係だけれども、高齢者の多くを無理矢理「祖谷」に移住させてみてはどうか? 祖谷では、山の急斜面に畑を切り開いて、ほとんど自給自足的に高齢者が暮らしている。あれだけの急斜面を上り下りしていたら、足腰が衰えることはないだろう。

数百年前からあるという石垣は、雑草を引っこ抜かないと崩れてしまうから、暇さえあれば雑草を引っこ抜く。

過酷な冬は、普通に雪も降れば水も凍る。こうなるともう冬越えは命がけであり、古来からの知恵が受け継がれている(はずw)。大根を地中に埋めておいたりとか?鶏飼うとか。

救急車も来ないから、たとえば体内で重要な血管が破裂したとしても、あとはもう死ぬしかない。

山村に移住すべきなのは、若者ではなく…

他行振り込み手数料が無料の銀行、減少す

ホリエモンがミニマリストだということを知って驚いた。今や、家もない。スーツケース3個に収まるおもに服を持ち歩いて、知り合いのいえやホテルを転々としているという。

もちろん妻子もいない。「流れに逆らって、川の流れの上流を目指して無理をするからキツくなる。家庭も子供も持たず、家も持たないで、流されるままに生きればいつか海に出る」

多くの人の心に刺さる名言だと思う(NHK総合テレビ日本のジレンマ2016.2.28)。

自己承認を求めて、「ショールーム」というライブ配信プラットフォームでは、50代のアイドルも生まれているという。深夜2時前なのに、大勢の「アイドル」と、それを応援する無数のアバターが画面いっぱいに広がって驚いた。自己承認や、見え、「世間並み」という呪縛から逃れるのにいい方法は何だろうか。

さて、今日の話題は表題の通り、銀行がケチになってきているというか、銀行は何も変わらないという話。

マイナス金利で銀行には逆風が吹いているが、何十年も前から金がない庶民にとって銀行は逆風そのものだった。今でも、ATMに並ぶ行列が、無人店舗の外にまで広がっているのは見ただけでも寒い。ヘタにメガバンクとかに預けるからそうなる。

私など、最初から手数料無料の新生銀行と、あと住信SBIネット銀行とかばかり。通帳記帳の手間がないJNBも口座を持っている。もちろん、月5回までゆうちょ口座同士なら振込手数料無料のゆうちょ銀行も。

ところが、住信SBIネット銀行がこの二月から、これまで月3回まで振込手数料無料だったのに、月1回になってしまった。まあゼロよりはいいんだが。もちろん、情報の非対称性などの理由から消費者が損をする蓋然性が高い諸々の金融サービスや金融商品を利用すれば、もっと無料回数は増えるんだがそれはやらないことにしているんで。

新生銀行は圧倒的に昔から変わらず、ATM手数料もひたすら無料だし、他行振り込み手数料も1回は無料というスタンスを維持している。おまけに未成年でも口座を開けるので、子供4人分をフル活用している。なんともありがたい銀行だ。

これだけすばらしいネット銀行がどんどん出てくれば、大手銀行は皆つぶれてしまうと、十年以上前に思ったことがある。それは、ジャパンネット銀行や、イーバンク銀行(現楽天銀行)など、店舗を持たない代わりに浮いたコストで手数料を安くする銀行がどんどん出…

弥生会計を「無料で」上位バージョンに交換したことのオチ

長年弥生会計使ってきた。

何年か経って、無料で上位グレードに交換できるというDM来た。

当時使っていたのは、弥生会計プロフェッショナル。それを、2ユーザーにするという。新品だと2万くらい差があるものだ。お得だと思って、そうした。

少なくとも、その判断を私がするのに参照したDMには、毎年支払うサポート料金が馬鹿上がりすることは書いてなかった(書いてあるとしても極控えめか、金額そのものは書いていなかった)。

たぶん、小さな字で別の同封の紙や、あるいは、時期を置いて届く別の媒体(インターネットやカード明細)にはきっと書いてあったのかもしれない。

2年間ほどカード明細も確認せず、それで使い続けて、結果として必要のない機能に何万円も払うことになっていた。

2年で、6万はムダに払ったに違いない。

長い目で見ると、無料でこちらが結局トクするというのは滅多にない。

中間層は収入源をいかに乗り越え、そして行き詰まったか?

BSのドキュメンタリー番組で、ロバート・ライシュ(元アメリカ労働長官で労働についての数々の書籍のある、背が低いもののビッグな先生)が説明してくれた。

この二十年間、アメリカの中間層は賃金が下落しつづけた。おもに金融セクターで稼ぐ富裕層に富を寡占されてしまった。

金融セクターのCEOや、弁護士、会計士、医師、スーパースター、セレブなどで構成されるアメリカのトップ1%が、アメリカの所得の半分以上を寡占している状況。これに対して、気の毒な年収200万円以下の労働者はどう思っているんだろう?

ある労働者は、ライシュにこう言った。「彼らは、凄い人たちだ。それに対して、私のような人間にも給料を払ってくれる会社がある。身に余ることだ(から、賃金が低いなんて思ったこともない)」

何という自己卑下ぶりか? 驚きだ。企業に対して、低賃金であることを誹るどころか、雇ってくれていることを感謝している。

まったく、これは間違っている。無知ゆえの哀しい思い込みだ。なぜこれが間違っているのか? 人は企業に感謝してはいけないのか?もちろんいけない。ばかだそれ。なぜなら、企業が低賃金で労働者を雇う目的のは、彼らを安く使い倒して、企業の利益を最大化するためだからだ。労働者のことなんてミリ単位はおろか、ナノ単位ですら思っていない。賃金を払ってくれていること自体が身に余るありがたいこと、という考えは、企業と労働者が同じ土俵で共生し、同じ目標(幸福の最大化)を目指しているというまったくあり得ない、哀しい労働者のファンタジーというほかない。

もしこのファンタジーが現実なら、CEOと労働者の所得がこんなにも開くわけがない。年収数十億円のCEOが、会社存続のため、年収数百万円の労働者をざっくざっくクビにしている現実を、知っているんだろうか。

私がこれまで勤めてきた経験でも、会社が雇ってくれていることに感謝しているんではないか、つまり誤った非現実的なファンタジーを一方的に会社に寄せている低賃金の「バカ」(一般的な意味で)は非常に多かった。

労働者は法律のことをまったく知らないし、面倒だから興味がないのだろう、そんなことより、もっと分かりやすくて「アゲアゲ」にしてくれる物語にどっぷりつかっていた方が嬉しいに違いない。酒が身体に悪いと知りつつ飲んで、しかも飲めない私にも勧めるような人と同じで、尊敬に値しないどころか、…

保守政権の真骨頂、熟議しない人々

今日は国会の予算委員会で、民主党の長妻昭氏が次のような質問をし、安倍総理にすべて一蹴されていた。

大学授業料無償化長時間労働の法律規制 安保などはどんなに激しい反対に遭っても、ブルドーザーのような数の力でどんどん通す実行力があるのに、上記のようなやさしいリベラルなイシューになると、「検討を研究」するなどといってごまかす。

これこそ保守政権の真骨頂である。

誉めているわけではなく、非常に残念なことだと思ってこれを書いているつもり。

この二つは、私が日頃から思っている、真に効果的な次世代のための改革(のつもり)。これに、幼児教育義務教育化も加えたいが今回は質問されなかった。どうせ質問したところで、「検討を検討することを指示しなければならないと思っているところであります」的なことを言われて煙に巻かれるだろう。

でも、私が実現できたらいいのにと思っていることを、こうして国会で質問してくれる議員がいるだけでもよかった。少なくとも、自民党に投票する気は(もともとないが)いよいよなくなった。

それで話題がアメリカの大統領選に移るが、トランプ氏とかいうとんでもないオッサンが、極端に保守的で排外的な主張をメディアで叫び、それなりの(というか驚くほどの)支持を勝ち得ている。

それで、そういうのを有権者は、スマホアプリとかケーブルテレビとかで見るわけだけれども、テレビやスマホはおもしろおかしく何でも「ネタ」化することで、膨大な競争相手との闘いに終始している。視聴者の関心を一秒でも長く得るためには、すべてのイシューを過激にして、そして次々別の新しいイシューを送り出さないと、競争には勝てない。つまり、視聴者に考えることは一切求めないメディアである。

しかし、大統領を選ぶとか、そういう問題は、視聴者は長い熟議が必要な気がする。この熟議というのは今のスマホ全盛時代、すっ飛んでしまっている。あーあ。

婚姻とは社会保障DIYである

民法第752条(同居・扶助及び扶助の義務)を読むとこう書いてある。

「夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならない」

 法律に「夫婦は同居すべし。助け合うべし」と書いてある以上、夫婦関係というのは第一義的には社会的保障の機能を有している。扶養のコストの原資が政府からでないので婚姻とは社会保障のDIY版と言ってよかろう。

 では、扶助とは何か? 扶助、つまり扶養というのは「老幼、心身の障害、疾病、貧困、失業などの理由により自己の労働が困難でかつ資産が十分でないために独立して生計を営めない者(要扶助者)の生活を他者が援助すること」とWikipediaでは書いてある。

 いま、若い人たちは、心身の障害や失業とはあまり縁がないかもしれない。したがって扶養にもなじみは薄い。となると、結婚する動機は法定されたこうした背景は後退し、もっとフィジカルなものが出てくる。しかし草食化しているので、フィジカルなもの(結婚に至るような情熱的な恋愛)は、扶養とおなじくらい縁がない。

 婚姻が難しくなっている背景には、みんなと笑って過ごしたい程度のささやかな幸福に満足している若者が、想像だにできない将来の扶養され状況の「ために」、たったひとりの異性にコミットメントすることのそもそも的な困難さにある。無理ゲーだ。

 それでも結婚する人へ。

 おめでと-!!

覆面リサーチボス潜入

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NHK BSでやっている「覆面リサーチボス潜入」が面白い。巨大企業(サービス産業)の代表者や幹部が、現場に身分を隠して変装して潜入し現場労働者と接触する。そして、あとでその労働者に身分を明かしてびっくりさせたり感動させたりする。

このフォーマットはNHKがイギリスのテレビ局からフォーマットを購入して、この番組は制作されている。

身分を超えたリアルなドラマは、国境を越えた普遍的なおもしろさをもつようだ。物語構造は水戸黄門のそれと完全に同じである(私は結構水戸黄門好き)。

私も、大学を出て新卒で「企業幹部候補社員」(笑)として小さなメーカーに入社し、地方の工場に研修で働いたことがある。研修でであった「現場」「労働者」。いろいろな感慨が当時はあったが、その会社で幹部になるコース(笑)をあっさり半年で捨てて10年。いまこの番組を格別の思いで楽しむことができるという意外な「効用」が(会社の経営者になったが現場の労働者も兼ねている)。

今回観たのは、幸楽苑というラーメンチェーン店と、日本交通というタクシー会社の事例。いずれも、現場と経営者とでは、やっていること見ている世界がまるっきり違う。もちろん、人間も根底から違うということがよく分かる。

幸楽苑の取締役は、地方の不振店の店長に自分で研究して考案したという店の既存材料で作る中華丼を振る舞われ、喜ぶ。チェーン店だから、店単位ではメニューを作ったり提案する余地はなかったが、この店長がきっかけとなり、本部にメニュー提案する制度が新設された。

タクシー会社会長は、家に小学生の子供をひとり置いて夜勤でタクシー運転手をするシングルマザーと出会う。客を拾った通りに目印を付けて、売上を少しでも増やす努力を地道に続ける母親に対し、子供は「尊敬しています」と会長の前でいう。彼女がきっかけとなり、頑張る女性ドライバーを表彰する賞が新設され、この女性ドライバーは受賞第一号となった。これなど涙無しには見られない。会長は、彼女の子供にディズニーランド招待券をプレゼントするのだが、私もそんなことされたら泣いてしまうと思った(企業経営者としては私は会長と同じ立場のはずだが家計は火の車なので娘たちをディズニーになどとうてい連れて行けそうもないから)。

経営者たちは、現場の仕事に不慣れだ。当然である。やったことがないのだから。ラーメン店では、いらっしゃいませー…

2017年から普通徴収はどうなるのか?

事業主および副業で従たる事業所の所得(税額)を主たる事業所に通知されると都合が悪い方は以下の長文にぜひとも目を通していただきたい。
 2017年から次の東京都のHPでも書いてあるとおり、東京都と62市区町村は個人住民税をなんとしてでも特別徴収でやってもらいたいと叫んでいる。
「特別徴収推進ステーション」 http://www.tax.metro.tokyo.jp/kazei/tokubetsu/
 法律に普通徴収じゃなくて特別徴収しなきゃならんと書いてあるんだから当たり前である。だから、税理士もこれに呼応する。
 この背景には、市区町村は激増する普通徴収者の滞納で徴税事務が破綻しつつあることが推測される。
 結局子供産ませて国府を増大させるなどの、国の全体像をきちんと政策でこれまで考えてこなかったしわ寄せがこういうところにも出てきている。資本主義の再分配の失敗もあるだろう。ざまみろという感じだが私も事業主であり他人事ではないので、この問題について書くことにする。
 はじめに、税理士などが書き散らす営業目的のブログでは、「2017年からは副業は絶対にできなくなる」みたいな論調が散見されるようになってきたが字義通り受け取る必要はない。副業ができないわけがないし、絶対にそれが主たる事業所にばれるというのも限らない。そんな杓子定規な運用が徴税の場面でなされてたらどんなにいいか(役人の立場からいえば)。実際はもうめちゃめちゃなんだろう、きっと(ご愁傷様)。
 法律より偉い憲法では、労働権もあれば、自治体の徴税権もある。どういうふうに働き、納税(徴税)するかは、最終的に当事者間で決めるべき筋合いで、そのやり方について、東京都がああだこうだいったところで意味がない(★ただし法律に従うといわれたらお終いだ、投票に出かけて議員を選び直して、法律を変えるほかない)。自治体がなんといおうと、自治体は東京都のこんな運動に盲従する必要はないだろう(ただし、法律通りだし盲従したほうが徴税はスムーズにいくので当然渡りに船のように運用に採り入れるだろう、ただ副業できなくなって首になったりした住民が生活保護とかいってくるかもしれないがな)。
 その法律上、事業主は原則として前年の給与支払があり当年4月1日に勤めている月給の従業員については普通徴収ではなく特別徴収の方法で源泉徴収するべし!と書いて…

年末調整が終わらない

はじめれば1時間半もあれば終わる仕事だがあまりに単調で面白味がないうえに、間違えるとやっかいなため、年末調整が年明けたのに終わっていない。

年末調整も終わっていないのに年明けのメッセージとかマジありがとうございます。

スタジオジブリのドキュメンタリー映画「夢と狂気の王国」を見たんだけど、かなり面白い。何が面白いって、建物が隣だったり近所だったりするからリアルで笑える。

それに、この映画に出てくる大先生筆頭にスタッフの皆さんもうちのパン屋にお見えになった人ばかりだから親近感がある。彼らは私のことなどまったく認識していないと思うが。