2016年2月28日日曜日

保育園落ちた、日本死ねの件


Live streaming video by Ustream

保活に失敗したお母さんが「保育園落ちた、日本死ね」とつぶやいて話題だが、私なりのこのお母さんへの処方箋としては次のようなものである。

  1. 仕事ができなくなったので憲法の「最低限度の生活」を根拠に生活保護を申請する
  2. 顔出しして炎上させ、「世論」にこのイシューをさらに届ける
  3. 議員などの公職者を訪ねて窮状を知ってもらい、その一部始終も動画配信する
フローレンス代表の駒崎氏に連絡し、運動の連携を図ることもいいだろう。

ちなみに、いまの日本は、普通のサラリーマンがサザエさん一家のように男の大黒柱だけで家計は維持できないことになっている(高齢者や富裕層優遇の政策が長年とられてきたため)。
若い人は、普通に勤めて、働き、子供を産み育てることが「無理ゲー」になってきている。男の「仕事一筋」はオワコン化している。

高齢者の票がなければ次の仕事をなくしてしまう政治家は、国家予算という打ちでの小槌から3800億円をぽんと決めてしまった(ひとり3万円を高齢者に配る)。これだけの金があれば、どれだけ保育士の待遇改善ができるんだろう? 保育園を整備できるんだろう? でも、政治家にとって見れば、若い人たちは数が少ないから、金をばらまいても「効果」は薄いのである。だからやらない。

この機能不全で近視眼的な短期決戦型政治家の給料を介護士や保育士より低くすることが急務だ。どうせこの国は官僚が牛耳っているんだから。そのためには、ベーシックインカムを導入して、最低限の暮らしができるように再分配をやり直す必要があろう。

あと、これは保育園問題とは無関係だけれども、高齢者の多くを無理矢理「祖谷」に移住させてみてはどうか? 祖谷では、山の急斜面に畑を切り開いて、ほとんど自給自足的に高齢者が暮らしている。あれだけの急斜面を上り下りしていたら、足腰が衰えることはないだろう。

数百年前からあるという石垣は、雑草を引っこ抜かないと崩れてしまうから、暇さえあれば雑草を引っこ抜く。

過酷な冬は、普通に雪も降れば水も凍る。こうなるともう冬越えは命がけであり、古来からの知恵が受け継がれている(はずw)。大根を地中に埋めておいたりとか?鶏飼うとか。

救急車も来ないから、たとえば体内で重要な血管が破裂したとしても、あとはもう死ぬしかない。

山村に移住すべきなのは、若者ではなく、高齢者のほうだと思う。

ところで、保育園の申込み事務とかは情報の非対称性を解消するためにここに書き記すが、大の大人が2日間くらいかかった。一定の所得要件がある人が申し込める、中三と高3の子供の塾代を20万円借りられる(進学すれば返済免除)も、やはり仕事を休んで2日くらい役所に行かないとできない。

内閣府が、専業主婦の家庭内労働は月収25万円程度に相当するという調査を以前発表していたが、家事育児とはれっきとした仕事、それも無償労働である。ひどいことに女性がそれを担うような社会的風潮が支配的なのだが、この無償労働から解放され外で稼いでくるはずの男性の給与所得は1970年から下がり続けている。どうしろっちゅうねん。

それで、子供(中学三年)に、この支配的風潮(男性は外、女性は家で家事育児)が次世代にどの程度蔓延しているのか確認したら、バッチリすり込まれていた。

調査方法は次のような短いエピソードに対する違和感の有無から判定。

エピソード1「お父さんが休日に子供をあずけて釣りに出かけた」違和感は「なし」。
エピソード2「お母さんが休日に子供を預けて映画にでかけた」違和感「あり」。

中三でもこれだ。ちなみにいま、中三というのは、どのくらい若いかを実感するには生年月日を見ればよい。2001年生まれである。2001年生まれの女児が、まるで昭和そのもののサザエさん時代のジェンダー価値観をそのまま持っていることになる。

他行振り込み手数料が無料の銀行、減少す

ホリエモンがミニマリストだということを知って驚いた。今や、家もない。スーツケース3個に収まるおもに服を持ち歩いて、知り合いのいえやホテルを転々としているという。

もちろん妻子もいない。「流れに逆らって、川の流れの上流を目指して無理をするからキツくなる。家庭も子供も持たず、家も持たないで、流されるままに生きればいつか海に出る」

多くの人の心に刺さる名言だと思う(NHK総合テレビ日本のジレンマ2016.2.28)。

自己承認を求めて、「ショールーム」というライブ配信プラットフォームでは、50代のアイドルも生まれているという。深夜2時前なのに、大勢の「アイドル」と、それを応援する無数のアバターが画面いっぱいに広がって驚いた。自己承認や、見え、「世間並み」という呪縛から逃れるのにいい方法は何だろうか。

さて、今日の話題は表題の通り、銀行がケチになってきているというか、銀行は何も変わらないという話。

マイナス金利で銀行には逆風が吹いているが、何十年も前から金がない庶民にとって銀行は逆風そのものだった。今でも、ATMに並ぶ行列が、無人店舗の外にまで広がっているのは見ただけでも寒い。ヘタにメガバンクとかに預けるからそうなる。

私など、最初から手数料無料の新生銀行と、あと住信SBIネット銀行とかばかり。通帳記帳の手間がないJNBも口座を持っている。もちろん、月5回までゆうちょ口座同士なら振込手数料無料のゆうちょ銀行も。

ところが、住信SBIネット銀行がこの二月から、これまで月3回まで振込手数料無料だったのに、月1回になってしまった。まあゼロよりはいいんだが。もちろん、情報の非対称性などの理由から消費者が損をする蓋然性が高い諸々の金融サービスや金融商品を利用すれば、もっと無料回数は増えるんだがそれはやらないことにしているんで。

新生銀行は圧倒的に昔から変わらず、ATM手数料もひたすら無料だし、他行振り込み手数料も1回は無料というスタンスを維持している。おまけに未成年でも口座を開けるので、子供4人分をフル活用している。なんともありがたい銀行だ。

これだけすばらしいネット銀行がどんどん出てくれば、大手銀行は皆つぶれてしまうと、十年以上前に思ったことがある。それは、ジャパンネット銀行や、イーバンク銀行(現楽天銀行)など、店舗を持たない代わりに浮いたコストで手数料を安くする銀行がどんどん出てきた頃。しかし、いま、残念ながらパッとしないまま低空飛行を余儀なくされているのは、ネット銀行のほうではなかろうか。

銀行が変わらないのは、結局預金者が変わらないからだろう。

ちなみに、昭和信金は他行振り込み手数料が一律100円(税抜き)。信用金庫のATMで時間外を除き、入出金の手数料もかからない。100円というのはかなり安い方だろう。

2016年2月18日木曜日

弥生会計を「無料で」上位バージョンに交換したことのオチ

長年弥生会計使ってきた。

何年か経って、無料で上位グレードに交換できるというDM来た。

当時使っていたのは、弥生会計プロフェッショナル。それを、2ユーザーにするという。新品だと2万くらい差があるものだ。お得だと思って、そうした。

少なくとも、その判断を私がするのに参照したDMには、毎年支払うサポート料金が馬鹿上がりすることは書いてなかった(書いてあるとしても極控えめか、金額そのものは書いていなかった)。

たぶん、小さな字で別の同封の紙や、あるいは、時期を置いて届く別の媒体(インターネットやカード明細)にはきっと書いてあったのかもしれない。

2年間ほどカード明細も確認せず、それで使い続けて、結果として必要のない機能に何万円も払うことになっていた。

2年で、6万はムダに払ったに違いない。

長い目で見ると、無料でこちらが結局トクするというのは滅多にない。

2016年2月17日水曜日

中間層は収入源をいかに乗り越え、そして行き詰まったか?

BSのドキュメンタリー番組で、ロバート・ライシュ(元アメリカ労働長官で労働についての数々の書籍のある、背が低いもののビッグな先生)が説明してくれた。

この二十年間、アメリカの中間層は賃金が下落しつづけた。おもに金融セクターで稼ぐ富裕層に富を寡占されてしまった。

金融セクターのCEOや、弁護士、会計士、医師、スーパースター、セレブなどで構成されるアメリカのトップ1%が、アメリカの所得の半分以上を寡占している状況。これに対して、気の毒な年収200万円以下の労働者はどう思っているんだろう?

ある労働者は、ライシュにこう言った。「彼らは、凄い人たちだ。それに対して、私のような人間にも給料を払ってくれる会社がある。身に余ることだ(から、賃金が低いなんて思ったこともない)」

何という自己卑下ぶりか? 驚きだ。企業に対して、低賃金であることを誹るどころか、雇ってくれていることを感謝している。

まったく、これは間違っている。無知ゆえの哀しい思い込みだ。なぜこれが間違っているのか? 人は企業に感謝してはいけないのか?もちろんいけない。ばかだそれ。なぜなら、企業が低賃金で労働者を雇う目的のは、彼らを安く使い倒して、企業の利益を最大化するためだからだ。労働者のことなんてミリ単位はおろか、ナノ単位ですら思っていない。賃金を払ってくれていること自体が身に余るありがたいこと、という考えは、企業と労働者が同じ土俵で共生し、同じ目標(幸福の最大化)を目指しているというまったくあり得ない、哀しい労働者のファンタジーというほかない。

もしこのファンタジーが現実なら、CEOと労働者の所得がこんなにも開くわけがない。年収数十億円のCEOが、会社存続のため、年収数百万円の労働者をざっくざっくクビにしている現実を、知っているんだろうか。

私がこれまで勤めてきた経験でも、会社が雇ってくれていることに感謝しているんではないか、つまり誤った非現実的なファンタジーを一方的に会社に寄せている低賃金の「バカ」(一般的な意味で)は非常に多かった。

労働者は法律のことをまったく知らないし、面倒だから興味がないのだろう、そんなことより、もっと分かりやすくて「アゲアゲ」にしてくれる物語にどっぷりつかっていた方が嬉しいに違いない。酒が身体に悪いと知りつつ飲んで、しかも飲めない私にも勧めるような人と同じで、尊敬に値しないどころか、違法不当ですらある。

まあそれはいいや。

で、ライシュは、この長い間続いている中間層の低所得時代、受難を、中間層はどう乗り切ってきたのかを説明していた。

  1. 配偶者も働いてもらう(共働き化)
  2. 長時間働く
  3. 借金をする
ここで、日本の、いまの総理がいいだした「1億総活躍社会」を思い浮かべて嫌な気持ちになった人は私と友達になれるかもしれない。明日、私の店に来て「ブログ読んだ」といってほしい。うれしい。

アメリカの中間層は、この二十年、自分たちの豊かな暮らしを維持するために、夫婦共々、ひたすら働き続けてきた。住宅ローンを返すためにだ。

問題は、今やこの三つの処方箋のうち3つめが行き詰まったという点だ。決定的になったのは2008年のサブプライムショックである。誰でも、わずかな頭金で豪邸を借金で手に入れられたわけだが、今はそうも行かなくなった。

がむしゃらに、夫婦で働いても、家も買えない。あれこれ、今の日本の若者の状況そのものだな。またこれ気がついた人はぜひ明日、私の店「くらしをあそぶ展」にコーヒーを飲みに来てほしい。コーヒー一杯くらいおごろう。

まったくひどい。三つの処方箋のうち、最後のものはじつは、処方箋の1と2の重要なインセンティブになっていた。夢や希望である。働けば、素敵なおうちが手に入る。ところが、この希望は打ち砕かれた。希望も夢も持てない中で、私たち中間層は、死ぬまで働くほかないところに追い詰められてしまった。残念なことに、配偶者が働くといっても配偶者は一人しかいないし、ふたりで、いくら長時間働いても、結局経営者のさじ加減で賃金が下げられれば、生活は厳しくなるしかないという点だ。

日本の場合、さらに悪いニュースがある。国家が、アメリカの企業みたいに、国民(従業員)のことなんて興味がないと思っているのである。

首相は、左派勢力が「戦争法案」とまでいった悪法をどんどん通す一方で、シングルマザーの子供の支援金や、大学生の学費無償化、給付型奨学金については検討するとすらいってくれない。

そして、この間、憲法を変えて、若者でも何でも、どんどん戦争(あるいは「テロとの戦い」に加勢)に行けるようなあり得ない道筋が、着々と引かれようとしてる。徴兵制とまではいわないけれども、貧しい若者は、仕事がないなら(生活保護ではなく)軍隊に入らざるを得なくなる、そういう国に変わってしまおうとしている。げーっ。

となると、私らにいまできることはなにか。間接的な徴兵制、経済的徴兵制に対する断固とした拒否である。その方法は簡単。憲法改正だけはNoを貫く。それだけ。働くとか要らない。生活保護を受給して、憲法改正だけはノーと言い続ける。これがいい。

憲法の議論では、バカやアジテーターが、日本の自衛隊が違憲なのはマズいとか何とか、一席ぶって嬉しくなってしまいがちだが、そういうヒトビトに訊きたいことがある。憲法の条文はいくつあるでしょう? 答え。百弱ある。九条はそのうちの一つに過ぎない。そして、自民党は、百のうちほとんどを変えようとしている。

どう変えようとしているか知っているんだろうか? 繰り返すが、貧乏人はどんどん軍隊にでも入って頑張ってくれればよかろうという社会にしたいと、政府与党は考えている。

そんな社会はもう最悪である。

これまでは、希望はないけれども、小さな「夢」を持って、それをライフハック的に小分けにして満足する程度の平和はあった。小さな箱をこすれば、当面の虚しさから気晴らしさせてくれる娯楽も楽しめた(スマホ)。しかし憲法を変えられたら、先にあるのは「悪夢」しかない。

2016年2月15日月曜日

保守政権の真骨頂、熟議しない人々

今日は国会の予算委員会で、民主党の長妻昭氏が次のような質問をし、安倍総理にすべて一蹴されていた。

  • 大学授業料無償化
  • 長時間労働の法律規制
安保などはどんなに激しい反対に遭っても、ブルドーザーのような数の力でどんどん通す実行力があるのに、上記のようなやさしいリベラルなイシューになると、「検討を研究」するなどといってごまかす。

これこそ保守政権の真骨頂である。

誉めているわけではなく、非常に残念なことだと思ってこれを書いているつもり。

この二つは、私が日頃から思っている、真に効果的な次世代のための改革(のつもり)。これに、幼児教育義務教育化も加えたいが今回は質問されなかった。どうせ質問したところで、「検討を検討することを指示しなければならないと思っているところであります」的なことを言われて煙に巻かれるだろう。

でも、私が実現できたらいいのにと思っていることを、こうして国会で質問してくれる議員がいるだけでもよかった。少なくとも、自民党に投票する気は(もともとないが)いよいよなくなった。

それで話題がアメリカの大統領選に移るが、トランプ氏とかいうとんでもないオッサンが、極端に保守的で排外的な主張をメディアで叫び、それなりの(というか驚くほどの)支持を勝ち得ている。

それで、そういうのを有権者は、スマホアプリとかケーブルテレビとかで見るわけだけれども、テレビやスマホはおもしろおかしく何でも「ネタ」化することで、膨大な競争相手との闘いに終始している。視聴者の関心を一秒でも長く得るためには、すべてのイシューを過激にして、そして次々別の新しいイシューを送り出さないと、競争には勝てない。つまり、視聴者に考えることは一切求めないメディアである。

しかし、大統領を選ぶとか、そういう問題は、視聴者は長い熟議が必要な気がする。この熟議というのは今のスマホ全盛時代、すっ飛んでしまっている。あーあ。