中間層は収入源をいかに乗り越え、そして行き詰まったか?

BSのドキュメンタリー番組で、ロバート・ライシュ(元アメリカ労働長官で労働についての数々の書籍のある、背が低いもののビッグな先生)が説明してくれた。

この二十年間、アメリカの中間層は賃金が下落しつづけた。おもに金融セクターで稼ぐ富裕層に富を寡占されてしまった。

金融セクターのCEOや、弁護士、会計士、医師、スーパースター、セレブなどで構成されるアメリカのトップ1%が、アメリカの所得の半分以上を寡占している状況。これに対して、気の毒な年収200万円以下の労働者はどう思っているんだろう?

ある労働者は、ライシュにこう言った。「彼らは、凄い人たちだ。それに対して、私のような人間にも給料を払ってくれる会社がある。身に余ることだ(から、賃金が低いなんて思ったこともない)」

何という自己卑下ぶりか? 驚きだ。企業に対して、低賃金であることを誹るどころか、雇ってくれていることを感謝している。

まったく、これは間違っている。無知ゆえの哀しい思い込みだ。なぜこれが間違っているのか? 人は企業に感謝してはいけないのか?もちろんいけない。ばかだそれ。なぜなら、企業が低賃金で労働者を雇う目的のは、彼らを安く使い倒して、企業の利益を最大化するためだからだ。労働者のことなんてミリ単位はおろか、ナノ単位ですら思っていない。賃金を払ってくれていること自体が身に余るありがたいこと、という考えは、企業と労働者が同じ土俵で共生し、同じ目標(幸福の最大化)を目指しているというまったくあり得ない、哀しい労働者のファンタジーというほかない。

もしこのファンタジーが現実なら、CEOと労働者の所得がこんなにも開くわけがない。年収数十億円のCEOが、会社存続のため、年収数百万円の労働者をざっくざっくクビにしている現実を、知っているんだろうか。

私がこれまで勤めてきた経験でも、会社が雇ってくれていることに感謝しているんではないか、つまり誤った非現実的なファンタジーを一方的に会社に寄せている低賃金の「バカ」(一般的な意味で)は非常に多かった。

労働者は法律のことをまったく知らないし、面倒だから興味がないのだろう、そんなことより、もっと分かりやすくて「アゲアゲ」にしてくれる物語にどっぷりつかっていた方が嬉しいに違いない。酒が身体に悪いと知りつつ飲んで、しかも飲めない私にも勧めるような人と同じで、尊敬に値しないどころか、違法不当ですらある。

まあそれはいいや。

で、ライシュは、この長い間続いている中間層の低所得時代、受難を、中間層はどう乗り切ってきたのかを説明していた。

  1. 配偶者も働いてもらう(共働き化)
  2. 長時間働く
  3. 借金をする
ここで、日本の、いまの総理がいいだした「1億総活躍社会」を思い浮かべて嫌な気持ちになった人は私と友達になれるかもしれない。明日、私の店に来て「ブログ読んだ」といってほしい。うれしい。

アメリカの中間層は、この二十年、自分たちの豊かな暮らしを維持するために、夫婦共々、ひたすら働き続けてきた。住宅ローンを返すためにだ。

問題は、今やこの三つの処方箋のうち3つめが行き詰まったという点だ。決定的になったのは2008年のサブプライムショックである。誰でも、わずかな頭金で豪邸を借金で手に入れられたわけだが、今はそうも行かなくなった。

がむしゃらに、夫婦で働いても、家も買えない。あれこれ、今の日本の若者の状況そのものだな。またこれ気がついた人はぜひ明日、私の店「くらしをあそぶ展」にコーヒーを飲みに来てほしい。コーヒー一杯くらいおごろう。

まったくひどい。三つの処方箋のうち、最後のものはじつは、処方箋の1と2の重要なインセンティブになっていた。夢や希望である。働けば、素敵なおうちが手に入る。ところが、この希望は打ち砕かれた。希望も夢も持てない中で、私たち中間層は、死ぬまで働くほかないところに追い詰められてしまった。残念なことに、配偶者が働くといっても配偶者は一人しかいないし、ふたりで、いくら長時間働いても、結局経営者のさじ加減で賃金が下げられれば、生活は厳しくなるしかないという点だ。

日本の場合、さらに悪いニュースがある。国家が、アメリカの企業みたいに、国民(従業員)のことなんて興味がないと思っているのである。

首相は、左派勢力が「戦争法案」とまでいった悪法をどんどん通す一方で、シングルマザーの子供の支援金や、大学生の学費無償化、給付型奨学金については検討するとすらいってくれない。

そして、この間、憲法を変えて、若者でも何でも、どんどん戦争(あるいは「テロとの戦い」に加勢)に行けるようなあり得ない道筋が、着々と引かれようとしてる。徴兵制とまではいわないけれども、貧しい若者は、仕事がないなら(生活保護ではなく)軍隊に入らざるを得なくなる、そういう国に変わってしまおうとしている。げーっ。

となると、私らにいまできることはなにか。間接的な徴兵制、経済的徴兵制に対する断固とした拒否である。その方法は簡単。憲法改正だけはNoを貫く。それだけ。働くとか要らない。生活保護を受給して、憲法改正だけはノーと言い続ける。これがいい。

憲法の議論では、バカやアジテーターが、日本の自衛隊が違憲なのはマズいとか何とか、一席ぶって嬉しくなってしまいがちだが、そういうヒトビトに訊きたいことがある。憲法の条文はいくつあるでしょう? 答え。百弱ある。九条はそのうちの一つに過ぎない。そして、自民党は、百のうちほとんどを変えようとしている。

どう変えようとしているか知っているんだろうか? 繰り返すが、貧乏人はどんどん軍隊にでも入って頑張ってくれればよかろうという社会にしたいと、政府与党は考えている。

そんな社会はもう最悪である。

これまでは、希望はないけれども、小さな「夢」を持って、それをライフハック的に小分けにして満足する程度の平和はあった。小さな箱をこすれば、当面の虚しさから気晴らしさせてくれる娯楽も楽しめた(スマホ)。しかし憲法を変えられたら、先にあるのは「悪夢」しかない。

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