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年金も税金も払いたくない

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池田信夫氏のブログを読んで、ほとほと年金も税金も払いたくないと思った。




一言でいうとこの国では、豊かな高齢者に貧しい若者が借金までしてお金を仕送りしている。

なのに政府は教科書などを通じて若者に「国を愛せ」「郷土愛」「美しい国」とドヤ顔。マジ、日本はナニサマなのか?アホか?ジジイが若者をとっ捕まえてSMプレイか、これは。

「日本死ね」という話題のキーワードがあるが、結局若い子育て世代は、自分の子供の養育費だけではなく、見ず知らずの高齢者(豊かで資産持ちが多い)にもお金を仕送りしなければならないという、江戸時代の年貢のような不条理な世界で生活を余儀なくされているのだ。

この「保育園落ちた、日本死ね」にたいし、「日本死ねなどと言ってはいけない」とその言葉遣いや表現をディスる勢力がいるが、この勢力に対し、病児保育NPO代表フローレンスの駒崎氏が上手いこと言った。
おぼれそうになっている人が、「助けて、浮き輪早く投げて」と言っているのに対し「言葉遣いがどうなんだろう?」といっているようなもの 喫緊の課題なのに、変な論点ずらしで批判したってまったく意味がない。

私は4人も女児を養育していて、毎日、世間一般のお母さんたちがやらされている「仕事」(子育て家事育児)をしているけれども、その仕事内容(片付け、掃除、各種世話、ケア、病院送迎、習い事送迎、安全確保、食事の準備、生活消耗品の補充)はジェネレーションXという小説(ダグラスクープランド)の3Kワークそのものだ。低賃金、低未来、低名誉。

NHK(私が1995年に入社試験であっさり玉砕した日本の著名なテレビ局)のアナウンサーが、「お母さん、本当に子育て家事に頑張っているんですよ」などと言うのを聞くと、今さらながら、そういうことを言う立場になれなかった自分の人生の失敗を思い暗くなる。

毎日取り組まなければならない仕事(私の場合は家事育児、経理など)の内容がつまらないというのはたぶん、人間の「脳」にとっても絶対によくないと思う。もちろん、忍耐力といった非認知能力を鍛えるのにはいいんだろうけど。この仕事がずっと続くんだったら、そんな非認知能力をいくら高めたところで、何に使うんだろう?

大学時代に知り合った優秀な女性がいるのだが、男選びにつまづいて、最近、シングルマザーになった。いま、仕事は非正規で、学校の給食調理室で働いている。毎日、…

改憲=ナチスドイツ化。

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「非モテ」(異性にモテないこと)「非リア」(就活失敗や職業キャリアの不成就)などを理由に思春期からアイデンティティをこじらせたまま大人になった一部の学者や弁護士らが、もっぱら政治や法律に疎い一般の女性に分かりやすく改憲の必要性を説く任意の集まりがあるという。

○○カフェーとか言って。そこで、ベーカリーカフェのオーナーとして、そんな連中に「カフェ」という言葉を使ってほしくないという思いから、今回は執筆することにした。

そういうカフェには、女性を中心に一般市民が集まり、改憲しなきゃダメだと「洗脳」される。

さて、改憲を画策する保守系右派の連中が最近訴える改憲の必要性の根拠として、「緊急事態条項」というのがある。緊急事態条項は、確かに他の国の憲法にもあるにはあるが、裁判所や国会が厳重にチェックするようになっている。しかし、自民党の改憲案では、結局、なにか国がやばい感じになったら(治安が乱れたらを含む)、政府は好き勝手に法律を作って、事態に対処できるとなっている。ヤバいこれ。

高齢者ばっかりひいきして、子供の保育士に給料を増やすのに必要とされる金額よりちょっと多い3800億円を、選挙対策でばーっと高齢者に配ってしまうような政府。

冒頭の、アホで哀しい改憲論者の話に戻るが、おどろくべきことに、先の東日本大震災のときに、もし改憲していれば、死者の数はもっと少なかったとかいってる。いったい、1万人以上の、亡くなった方のうちどなたが、この改憲でもってどう、救われたというのか、是非とも具体的に教えてもらいたい(訊かないけど)。

ところで緊急事態条項は、ナチスにユダヤ人大虐殺の道を開いたワイマール憲法下にも立法化された。ニュースステーションでやっていたけど、ワイマール憲法自体はたいへん民主主義的な憲法で、ナチスも結局、普通のドイツ市民が自分たちで選んだ代表、それがヒットラーだったということ。それで、ヒットラーが緊急事態法を可決成立させてから、どんどん警察や軍隊が凶悪化していき、400万人を虐殺するという世界史上まれに見るホロコーストを導いた。

ある収容所を解放したアメリカ軍は、収容所の中の惨状を見て言葉を失った。全員、ガリガリに痩せていて、ほとんど裸。腐乱死体はそこらじゅうに転がっている。機転を利かせたアメリカ軍は、近所に住むドイツ市民を収容所ツアーに「招待」。普通のみなりの奥さん、…

非認知能力

今日は、自分が28年前に卒業したその中学校、人口減少も津波も来なかったからまだ無事に28年前と同じ校舎・建物が同じ場所にあるわけだが、東京の西の「ふるさと」の某公立中学校で娘が卒業式を迎えた。
 「ノーメイクで見るに堪えない」(古市憲寿)中学生たちの歌声が響く体育館。足下が寒くて痛くなるほどである。四歳の娘を連れて、最後列から2番目というテンションの低さ。持っていったkindleで『「学力」の経済学』中室牧子著を再読する。式典が9時過ぎから11時40分くらいまでの長丁場だから、いい読書の機会だ。
 『「学力」の経済学』では、認知能力と非認知能力について取り上げ、著者は非認知能力の重要性を力説していた。テストの点数よりも、幼少期に目の前に置いてあるマシュマロを食べずに我慢できるかどうかで将来の年収や持ち家かどうか、逮捕歴などに有為に影響するという。点数が高いことは、認知能力、要は数値化できるから認知できる、そういう能力のことである。学校教育では、表面上はこの認知能力をテストで測定して生徒の優劣を測り、また進学先もその認知能力の高低でレベルが分かれていく。もちろん、認知能力が高い=学歴が高い方が年収は高くなるのだが、同じ学歴層でも、非認知能力が低ければ成功はおぼつかない。
 早稲田や東大にもいた。彼女も作れない。クラスメートと目を見て話もできない。就職活動は全部ダメ。
 ちなみにこうした社会的能力が今ひとつの人の多くは、たぶん自閉症スペクトラム障害だろう。だから本人や、その親を責め立てることは絶対にできないししてはいけない。
 アスペやADHDのひとは、非認知能力を高めるったって、これは難しいと思う。中室さんの本を読みながら、いやアスペルガーの私の場合、部活とかボランティア活動といったテストの点数以外でなにか優劣を測られたら人生一巻のおしまいだと思った。点数だけでいいじゃーんと。でもダメみたい。もちろん、だめだろう。
 非認知能力は、家庭のしつけ(ルールを守る、他人に親切にする、ウソをつかない、勉強する)がしっかりしていると高まるともいわれている。非認知能力が低い人は、高い人にくらべ、年収が低いというアメリカの追跡調査の結果を見て、自分もまさにそうだと思った。私の年収は自治体に「要保護水準」と認定されるほど低い、てへ。働かないでたらふく食べたーい!
 ここで、非認知…

公職はバカと暇人のもの

杉並区の保守系区議が「保育園落ちた、日本死ね」とのつぶやきに「暴言」「便所の落書き」と批判したという。何でもこの区議は、日本をそんな風にいうなんて(倫理的に?)許されないと本気で思っているようだ。大丈夫か、こいつ。というか、この日本死ねが便所の落書きなら、この区議はその便所に流される「クソ」そのものというイメージが正しい。お食事中の方すいません。

国会で、この問題をある野党の女性議員が質問中に、与党のジジイ議員からヤジが飛んでいた。

この区議にしても、国会のヤジを飛ばしたクソジジイにしても、本当にバカでゴキブリ以下だといわざるを得ない。もはや公職はバカと暇人のものに成り下がってしまったのだ。ただし暇人とはいえこの場合は、高齢の有閑富裕層といった方がいいだろう。

とはいえ、じつはこの現象(=公職がバカや有閑富裕層に寡占されている)はもう何十年も前から、法律のほとんどを官僚が作り始めて以来、始まっている。行政国家現象という。議員は特定団体の利益代表に過ぎなくなり、社会全体をよくしていこうという志は、次の選挙に当選するための諸工作に劣後する。

この救いがたい腐敗公職を改革する私の提案は、すべての公職を公立学校PTAのお母さんお父さんの持ち回りにして、報酬は裁判員程度のものとすればよかろう。

PTAの会合では、国会で見られるようなヤジはまったく聞かれない。言い出せる雰囲気ではない。

どうせ仕事は官僚がやってるんだから、キモいジジイに高額報酬を払うよりも、子育てで苦労しているお母さんにパートよりちょっといい報酬を払ってやってもらうのがかろう。

そして、数年後、今言われているのは2025年くらいまでに、その官僚も人工知能に置き換わるといわれている。ポスト官僚たる人工知能とお母さんが「活躍」することで、このだめ社会の抜本的な改革ができる。

正味3分の事務をやるのに子育てしながらだと7倍の21分かかった件

通常はわずか3分で終わる事務。具体的には、ある書類を出力してスキャナで読み取り、サーバにアップしてメールで連絡するといったような内容である。書類を出力した時点でアラームが鳴った。子供の送迎の時間だ。徒歩1分くらいのところに、幼稚園の送迎バスが来る(子供が4人いるのでもうこれ、間を空けて12年以上やってる)。
 外は雨が降りそうな気配。ジャケットを着て、傘を持っていかなければ。ジャケットを着て傘を持って、外に出て自転車を出したところで幼稚園のIDカードを忘れたことに気が付き、家に戻る。IDカードを首に掛けていないと、子供を引き渡してもらえない。およそ40秒くらいそれでロスする。
 IDカードは家の決まった場所にあるのでそれを取って首に掛け再び出発。近所ではコーヒー屋台が出ていたので、そこでバスがくるまでのわずかな時間にコーヒーをテイクアウトで注文する。
 450円。本当は領収書が欲しかったのだが、いい感じにアナログを徹底し、炭火でお湯を沸かすコーヒー屋台のお姉さんにそれをいったら時間もかかるだろうし、何より無粋なので今回は諦めた。税引き後の所得からの支出になってしまう(領収書があれば、法人の費用になり、税引き前所得からの支出となる)。
 いよいよバスが来る。子供が降りる。いつもの保育士のお姉さん、あいかわらず疲労の色が。笑顔も薄く、「さようなら」。給料安いんだろうな。さて。子供はまだ年少なので、常に非定型のオファーをいってくる。今回は、自転車のチャイルドシートに座るのではなく、サドルの前のフレームに立って帰りたいと訴える。やむを得ずそうさせる。するとコーヒー屋台のお姉さんが注文したコーヒーをもって来てくれた。片手に激熱コーヒー。片手に子供がフレームに乗って不安定状態の自転車。突然の修羅場だ。こうした小さな判断の回数が、人間が1日にできる判断の総量を確実に消費していくことを私は知っている。
 徒歩1分の距離を、自転車にもかかわらずむしろ歩いたほうが早いほどの遅さで、1分以上掛けて帰る。
 家についたら、チャリのフレームが子供の靴の底に着いていた砂で汚れていることに気が付きげんなり。しかも子供の靴はだいぶくたびれていて、マジックテープが機能しなくなってる。買い換える時期だ(買い物リストに記入しなければ)。となると、サイズは何だろう、サイズをメモしたほうがいいのだろうか…

NHKスペシャルが震災後5年特集でアツい!

NHKスペシャル、行ったこともないんだが、経験したこともないんだが、まるで自分が体験しているような大迫力で、現代社会で起こった様々な事象を味わえる。
 ドヤ顔でこうだった、ああだったというのは野暮というものだが、次世代の教訓になるようなネタは書いておきたい。
 今日見たのは、原発事故で翻弄される、原発から30キロ圏内の人々の記録。
 「避難しろ」で、寝たきり高齢者の何人かは亡くなってしまった。避難所で、ヨウ素剤があることを知っているのに配れなかった自治体の職員の中には、PTSDにかかる者も出た。
 屋内退避でロジスティックスが国交省の指示でストップした結果、生活物資がなくなってしまい、結局町の判断で住民の8割が避難した南相馬市。避難できなかった2割の人たちのほとんどは弱者で、何人か亡くなったし、ゴーストタウンで食糧も尽きていく恐怖を味わったご家庭も。
 これらのことからわかるのは、地方、とくに、なにか自然災害があったときに物流や避難の経路が脆弱な地域に居住することがどれだけリスキーかである。もちろん、緩やかに死のうと思ってそうするのは個人の自由だが、家族はどうか? 従業員や、従わざるを得ない関係者のことを思うと、慎重に考えなければならない。
 国も自治体も、国民が税金を払って、国民の安全や生命を守ってくれるよう、期待してそこを任せている。ところが、震災に見舞われた福島のケースを観察して明らかになったのは、そうした国の救急救命政策の機能不全と、誤った情報で国民を翻弄して、知らんぷりのままだったというていたらく。
 今の安倍政権を見ると、避難についての本当に実効性のある計画が整っていなくても、どんどん原発を再稼働している。短期短期でしか政策や制度設計をしていないということは明らかだ。
 こうなると、もう本当に自分の身は自分で守らなければならないという感じで、しかもそれにかかるお金は税引き後の所得から工面するのはじつに苦しい。
 私は、物心ついた頃、チェルノブイリ事故を知った。親がサヨクだったので、もう危ないおしまいだと大騒ぎ。トラウマになった。だから、原発が、タイムボカンシリーズのエンディングみたいにポンポンと爆発した2011年のあの日は、原因不明の全身痛に見舞われ、心底恐怖した、この東京で。
 結局、本当に安全に暮らしていける場所というのはどこなのか。自治体や、商…

クレーム対応 怒りを鎮める3つの段階

今日は、激怒してクレームをおっしゃられるお客様に向き合うときの3つの段階について考えてみたい。これは、某経済系教養番組を参考に開陳するもの。

クレーム対応の3つのプロセス相手の話をしっかり聞くお詫びする相手の立場に立って共感する 以下順番に説明しよう。

相手の話をしっかり聞く お客様は、ご多用のところ自社の商品のせいで貴重な時間を割いてわざわざクレームを言いに来ている。したがって、その気持ちをまずはしっかり受けとめることが怒り鎮火の前提となる。 承知いたしました私がうかがいます申し訳ありません(お客が述べる言葉をそのまま繰り返して)○○ということなのですね、わかりましたはい、おっしゃるとおりですその通りです間違いありません
お詫びする クレームを言う客が直接来たということは、少なくともその時点では、裁判所に損害の賠償を訴えて、損害を金銭的に補償してもらいたいと思っているわけではなく、要は謝ってほしいからやってきている。したがって、最善の策は平身低頭にお詫びすることである。
申し訳ございませんでしたお詫び申し上げますすみませんでした
相手の立場に立って共感する 前段の2項でだいぶエネルギー(アドレナリン)を消耗したクレーム客は、この時点でだいぶおとなしくなっている。ここでは、感情的な爆発は収まり、「で、どうしてくれるんだ」(どんな損失の補填をしてもらえるんだ)という気持ちがわき上がってきている。そこですかさず、相手の立場に立って、自分だったらここでどうしてほしいのか、その欲求を先回りしてこちらから充足させる。 おいしく召し上がっていただけず、本当に申し訳ありませんでしたなにか、具合が悪くなってしまいませんでしたか?申し訳ありませんたいへんなご不便をおかけしてしまいましたきちんとやりとりをできず、さぞご心配だったことでしょうご心配(ご迷惑)をおかけしましたお体は大丈夫ですか?お怪我はございませんか?→いますぐ、代わりの物をお出しします この段階では、共感の言葉の直後に、欲求充足の具体的手続きを約束することが重要だ。「いますぐ」「直ちに」「速やかに」「本日中に」「明日までに」という、期限に続き、損失を補填する具体的提案を述べる。

クレーム対応の本質 怒ったお客が乗り込んでくるようなビジネスはおおむね小売りサービス業に多い。地域に密着し、リピート客がおおい、顔の見える商売である…

マイナス金利は資本主義終焉の決定的証拠

今般、日銀が採ったマイナス金利の政策。これって、お金をあずけたら、金を払わないといけないということなのだが、おかしい。市中銀行は日銀にお金をあずける場合、金を払わないといけない。

おかしさは、借りる側から見るとさらに際立つ。金を借りて投資をして、そして投資の収益の一部から利子と元本を返済するのが普通の金利。マイナス金利とは、金を借りたら、何もしなくてもお金を払ってもらえる。するとどうなるか。金借りたら誰も何もしなくなる。銀行ニート状態。わざわざ誰も投資をしなくなる。借りるだけ。おしまい。だって借りたらお金がもらえる。

新規の投資が無効ということだから、資本主義がフロンティアを開拓してどんどん新規の投資をして自ら拡大増殖していくシステムだとすると、結局資本主義はもうあかんという意味になる。

収奪の矛先がフロンティアにないならドメスティック(国内)に向かう。立場の強い、巨大な資本主義のシステム(企業など)は、立場の弱い者(一般消費者)からどんどん収奪していくことになる。

放っておけば、トリクルダウンも何も起きないばかりか、こういうふうに資本主義が牙をむいて国内弱者を直撃するわけだから、政府は、資本主義を鎮め、ヒトビトの安全と幸福が広く行き渡るよう、格差是正、社会保障重視の大増税、巨大政府社会主義に舵を切るべきだろう。

社会主義はいいすぎかもしらんが、私たちが今取り組むべきなのは、資本主義のソフトランディングをいかにさせるかである。

今、憲法改正がどうのこうのというが、私にいわせると憲法改正すればより、国家運営は資本主義的になる気がする。憲法なんてぜんぜん関係ないと思う。憲法は変える変えないという議論で、資本主義のエゴイズムの代弁者になっている政府与党は、本当の問題(永続できないことが分かっているものの、とりあえず四半期で前年対比増をしないと株主に対して面目が立たない株式公開企業ってどうなの、とか、あるいは、年金をもっと高額に源泉徴収しないと持たない年金システムってどうなの、しかも生活保護費より安いってのはどうなの、とか、四年ごとの選挙で勝たないと次の仕事がない政治家という職業ってどうなの、とか)から国民の目をそらす、だめだめな戦術である。