2016年5月10日火曜日

絶望ラジオ

 NHK BSの「ドキュメンタリーWAVE」で、韓国の若者がはじめた非営利メディア「絶望ラジオ」を特集していた。
 もちろんインターネットラジオ。
 内容は、編集長が社会に絶望するリスナーの投稿を読み上げ、「そういう人多いよね」「ぜんぜんめずらしいことじゃない」「社会のせい」といった感じで、コメントする。同情したり励ましたりするのではなく、絶望をシェアして、確認する、たまにユーモアを入れながら。
 ソウル大学という一流大学に貧困家庭から進学するものの、生活費を稼ぐためのアルバイトの負担から成績が下がり、奨学金停止となって休学しているあるリスナーのケース。彼はいう。自分の惨めな境遇を知人に話しても同情されるだけ。同情してもらったり、癒やしを得たいのではない。ただ聞いてほしい。だから自分は絶望ラジオに投稿するのだ。
 社会的絶望は相対的だから感じ方は人によってまったく違うだろう。
 私もブログ、このブログはプロブロガーイケダハヤトの数万分の一しか読者はいないわけだがゼロではない、に、こうして日々あーだコーダ、日頃の生活苦や仕事のつまらなさ、社会への恨み辛みを書き散らしているけれども、決して同情してもらおうなどと思っているのではない。というか、同情してもらえるはずがない。
 絶望ラジオに投稿する若者みたいに、こういう境遇があり、こういう感じ方があるんだということを知ってもらいたいだけで、それでもう十分。だからコメント欄も作ってない。
 ただ、ブログ投稿はそれ自体やらずにはいられない。ブログを書かずにはいられない。どんなに人が観ていなくても。
 なぜか?
 たぶん、書くと自分の人生に新鮮味が生まれていい感じになるという効用があるきがする。毎日毎日、同じことの繰り返しだと、本当につまらなくて、退屈になってくる。もちろん、平和でまあまあな暮らしはそうだけれども、その状況への退屈さはぬぐいがたい。
 どんなに幸せでも、あるいはまた、先が見えない泥沼な人生でも、それをはき出す機会がどうも必要なのである。
 さて、韓国では「コシウォン」(考試院)とかいう、司法試験受験生のための二畳ほどのベッドハウスがある。およそ2万円程度で、二畳の部屋と簡素な家具が与えられる。そのコシウォン住まいで、何年も、難関試験(おもに公務員試験)に挑戦する。いま、その数50万人もいるというから驚いた。
 ところが、最近は、あまりに無味乾燥でまるで牢獄のようなコシウォンではなく、キッチンをシェアするシェアハウスも人気があるようだ。
 番組で取材していたあるシェアハウス。大手出版社営業職を脱サラした30代の女性が経営している。利用者の個室はやはり2畳ほどで狭いが、毎日ご飯をみんなで作ってみんなで食べる。
「家族と過ごしているみたい」と好評である。
 私もアスペルガーでなければ、こういうところもいいんだろうなと思った。もちろん、私のような神経質野郎には無理だし、そもそも家族がいるからホッとするという心境もよく理解できない(生まれてこの方寂しいという感情を持ったことがない)。
 わたしはどうでもよくて、コシウォンよりもシェアハウスのほうが、多少人間関係で煩わしいリスクもあるのかもしれないが、心と体の健康にはいいと思う。
 絶望ラジオの編集長は、2年前の「セウォル号沈没追悼集会」に出かける。船を運航している会社が、人命より利益を重視した結果、高校生300人の尊い命が失われた痛ましい事件である。これは井浦新のアジアハイウェイでも取り上げられていたが、高校生の子供を持つ親として、まさしく「刺さる」事件である。格差拡大や、資本主義社会における人命の軽視など、今の時代を象徴する問題を照らした。
 以上、ドキュメンタリーWAVE「絶望ラジオ」非常に興味深かった次第。
 ところでわたしの子供達は将来に絶望していない。今はまだ、何の挫折もない。しかし大学まで首尾よくいったとして、就職できなかったらどうしたらいいのか。親としては、就職できなかったとしても、しっかり人生を楽しめる居場所を社会が用意してくれればよいと思う。実際、ソウル市は、若者が集まってサークル活動をしたり歓談するサロンのような場所を用意している。そこに大勢の韓国の若者が集まって、交流している。こういう試みは「へー」と思った。すばらしいと思う。
 企業が昔のような「包摂」の力を失い、また家庭も疲弊し核家族化が進む中で、若者の居場所は減る一方だ。若者が集まって、何でもいいから愉快に過ごせる場所、居場所があれば、そこから社会を変えるようななにかが生まれるかもしれないし、少なくとも生きる力になるだろう。
 まあもっとも、武蔵野プレイスの地下二階の青少年フロアはうるさいから行きたくないと娘はいうのだが。うちの娘はさすが、アスペルガー両親の子供だけあって、そういうところでは不感症である。
 で、私としては、この一斉就職で、大企業または公務員などになればハッピー、それ以外は「男として」オワコン、的な線路しかない日本社会、どうすればいい問題なのだが、毎日いろいろなアイディアが浮かぶ。今日のアイディアはこうである。
 大企業や公務員に内定した人は、個人的に無理矢理秘書を雇う義務を課せられる。というか、給料のうち一部は同性の秘書の経費としてのみ支給される。または、秘書に払った金は税額控除されるのでもよいだろう。秘書はその稼ぎ手に何らかのサポートを行う。ただ、話を聞くだけだったり、合図ちを打ったりといった程度が期待される。同情したり、アドバイスすることは期待されていない。セラピストでもなければメンターでもない。
 秘書を誰にするのかは、自治体が決める。選べない。秘書は自動車免許のように、警察が秘書を教習する。なぜ警察かは特に理由はない。ピリッとして、私語防止に役立つから。お巡りさんが、教壇で、「秘書は雇い主のサポート役ではありません。一緒に伴走し、人生を互いに実り多いものにする「仲間」であり、家族です」とかいうのを想像するだけで楽しい。それを、茶髪のマイルドヤンキーとかが丸っこい字でノートにメモしたりとか。
 私が知事になったら、そういうふうにする。というか、誰か私を秘書として雇ってほしい。