その仕事は本当に組織だけしかできないのか?搾取なき労働を考える



ファイナンシャルプランナーとなって12年になる。この間、売上高は2万円ほどだが、FP協会に納める年会費や維持費は15万円くらいになる。要するに赤字だ。

AFPなんて保険とか売らない限りはドヤ顔ツールに過ぎない。

それはそうと、マックジョブ(低賃金で、将来もなく、危険も伴う希望のない非正規就労)の現場はいつの時代も悲惨なのだが、近年の世界的なトレンドの影響で、それはたぶんグローバル化とか、富の集中とかだけれども、現場に入る人間のメディアリテラシーが上がり、広く一般に知られるようになった。

大企業のチェーン店やフランチャイズ加盟店のオーナーに雇われて働くアルバイト店員という境遇。私も、学生時代に新宿駅南口のファーストキッチンで働いたことがあるから分かる。

これが一生の仕事だったらまずあり得ない。長時間拘束されるにもかかわらず、技能の蓄積もなければ、預貯金もおぼつかない。おまけに仕事内容は単調をきわめ、やりがいもないし、職場の人間もホーキンス博士が形容したトランプ支持者、つまり最底辺の大衆みたいな感じで心を通わせたり価値観をシェアしたりといった余地はない。

大手の外食産業はすべて、原材料を極限まで安くして、そして現場に人間の給料も安くすることで、株主、本部やオーナーは利益を得ている。

しかし、実際に食べ物を作る人、食べる人の幸福など考えられているようで、考えられてはいない。この先は、いろいろグローバル資本主義批判につながるのでちょっとおいておくとして、私が言いたいのは、「その仕事は本当に組織にしかできない仕事なのか?」である。

昨今、小商いが流行っている。大企業に属して、組織的に行う大事業に従事するのではなく、地元で、低資本で始められる小さな仕事で生計を立てる考え方である。

私が昨年始めたパン屋も、小商いといえば小商いである。しかしパン屋は、マクドナルドや大手のチェーンのような大企業も取り組む商材だ。やってみて一日で分かったが、じつにまっとうなこと(よい素材のものを、清潔が行き届いた素敵な店で、低価格で売る)をすればするほど、利益は減る。

こんなことは私ひとりでやらないと、誰かに任せようものならたちまち取り分は減ってしまう。つまりパン屋は小商い向きの仕事ということになる。

どっか、海外の海辺に、人間が捨てたプラスチックゴミで腹を満載にした鯨が死んで打ち上げられた。

何が言いたいかというと、レジ袋1つとっても、大企業の歯車で働く以上、それが客を通じて最後、海辺で捨てられて鯨の腹にたまると知っていても、レジ袋を渡さないといけない。そういうことをしないと時給がもらえない。時給で暮らす以上、自分以外の誰かが決定してくれるまで、鯨の腹にレジ袋がたまり続ける悪夢からは離れられない。

しかし、自分が雇い主で、自分がレジ袋を選んだのなら、同じレジ袋を使うにしても、自分のこととして、その死んだ鯨への気持ちを引き受けることができる。そして、早晩レジ袋を使うのをやめることだってスグできる(イメージとしてです)。

まあ私は実際のところ、それでもレジ袋を使い続けるのだが。組織で働くと、そういう細かいことひとつひとつも搾取される感じがして、不健全でダメだ。その仕事は、本当に大組織の末端として関わらなければ成し遂げられないことなのか。そこを考える必要があろう。

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