脳科学に基づく正しい人生の送り方

結婚はした方がよい

よく、悲しみのあまり「胸が痛い」という表現がある。通常脳内では、全身の諸々の痛みを抑える物質が分泌されており、痛みは感じないで済んでいる。ところが親との別離など激烈な体験により、この物質が分泌されなくなると、文字通り「痛み」を覚えるようにできているらしい。

親との分離は、成長するにしたがい、社会関係との分離へと移行する。成長したら、今度は社会とのつながりを持っていることにより、痛みを感じないで済む。

極論すると、人間は社会とのつながりを持てなかったり、失ったらば、脳は「痛み」という文字通りの罰を与えるようになっている。社会とのつながりとはもちろん家族のことである。家族=社会であり、会社や学校は二義的で一時的なものである。人生の大部分においてまずは家族=社会である。

Amazonの原住民も、家族単位で生活している。彼らがそうしているのは、何もAERAの結婚のコスパ特集を読んで、やっぱり結婚したほうがコスパがいいからそうしているのではない。本能的にそうすることが本能的に設定されているからである。

脳科学を読むと、結婚して家族を持つことは、四の五のいう前にまずは脳が発動する「罰」を封じ込めるという点で、必須である。

昨今結婚できない(しない)人が増えている。そういう人たちは、結婚に代わる愛着の対象を獲得すればよいだろう。それこそ仕事(会社ではなく、仕事そのものに対する愛着でないと。会社は裏切るが仕事は取り組むだけ満足感を得られる)でもよいし、地域の集まりやコミュニティーでもよい。ミニカー集めでもいいかもしれない。マラソンでもいいだろう。脳が罰を発動する隙を与えなければいい。

いちばんよくないのは、故郷の家族と離れ、寂しさを封印して、しかも社会の中でいかなる居場所も見つけられない非正規労働の単身者である。パニック発作のようなものが起こって、ドツボにはまりやすい。

SNSはやめて、自分の脳を上手に使う

私はよく、家事育児がたいへんだとぼやいている。そのぼやきを社会のせいにしたりして、SNSにも熱心に書き込む。この行為は左脳の仕業で、私の脳の健全な運用において一利もない。つまり人生にとってメリットがまったくない。

人間は、自分の心の中で「台所片付けよう」という内的発話をきっかけに台所片付けに必要な動作記憶のレパートリーを直ちに呼び出して実際に筋肉を動かす。

脳科学の本を読んで分かったことだが、台所を片付ける「動機」は、あくまで自分の中に生じる内的な「やろう」という発話である。口に出してももちろんよい。その発話を直接のきっかけに、反応的に身体が動く。もちろん、台所の片付けの方法(筋肉を動かすひとつひとつの所作の仕方)は、生まれてからもう何千回とやってきているから、いちいち考えなくてもよい。無意識にできてしまう。やっているあいだは、左脳は何を考えてもよいのだが、その際に、なんでこんなことをしないといけないんだろうと、めんどくさいな、男尊女卑でひどい世の中だ、などと考えるのは今までの私の常だったが、これは脳の発展のためにならない。というか、負荷がいたずらに高まって非生産的だしむしろきつさを募らせるだけだ。

人生を面白く生きたいのだったら、どんなことをしているときでも、左脳では常に「最高に楽しいし、やりがいがある」と思っていればよいだけのことである。

それは自分にウソをつくということであれば、確かに家事が面白いわけはないので、まるっきり別のことを考えればよい。

何しろ家事技能の習得はとっくにできているから、左脳は自由である。自由に考えてよい。考えなくてもよい。どんどん新しいなにかを志向して、やれることをやればよい。たとえば、(じつは昔はやっていたが怠惰になりやらなくなった)放送大学を聞くとか、行政書士の音声講義を聴くとかである。

実際のところ、なにかをなすのはほとんどが、過去に習得した運動記憶の再現で可能だ。家事はもとより、勉強だってそうだ。取りかかりさえすれば、テキストや参考書のページをめくる、見る、問題を解く、何でも無意識にどんどんできる話しである。気が散るなら、左脳の活動をシャットダウンしてしまえばいい(だからマラソンとかコワーキングとかある)。

人間にできないことはない

子どもが最初、ばぶばぶーとか言っているだけだったのが、親が話すのを読み取って、一生懸命言葉を習得する。ミラーニューロンという脳の神経細胞の活動によってなされる。

ミラーニューロンは何も、子供のときの言語獲得にのみ有効なのではない。模倣によって運動記憶を蓄積して、人間はたいていのことができるようになる。

こうした脳の機能は誰にでも備わっているのだから、自分で何でも取り組んで習得し、実行すれば人生はどんどん開けていく気がする。

にもかかわらず、できないと思い込んで、他人の力に頼ったりすると、働いても働いても本部に利益の大部分を持って行かれる被搾取フランチャイズ店長になってみたり、変な豆腐売りや林檎ジュース売りになってみたりする。子供が、あのリヤカーにジュース積んでひっぱてる人ナニ?と訊いてきたから、自分でやらないで他人に頼ったらああいう風になるんだよ。と教えた。自分でリヤカーだって作れるし、安い林檎ジュースの仕入先だって見つけられる。でも彼らは、人からリヤカーを買い、林檎ジュースも「本部」の言い値で超高く仕入れるから、うんとお金が必要になって、しかも高いもんだから、売れない。自分でやれることをやらないと抜けられない地獄に行くんだよ。と。

セブンイレブンの「オーナー」は、経理は本部が指定する会計事務所を使わないといけない。経理も自分でやらせないなんて、まさにコンビニ加盟が搾取への片道切符であることの何よりの証拠だろう。

まあもちろん、水道工事や耳鼻科治療、外科手術など自分ではやらないほうがいいこともあるんだが。

脳を使い切れば何の不幸もない

結局、ぼやいたり、他人に頼ったり、結婚はコスパが悪いとかいって独居を決め込んだりするのは、脳が持つすばらしい道具を使わずにいるわけで、これほどもったいないことはない。しかもこの宝の持ち腐れ状態を放置することは、他のどんな資本主義的な営為をもってしても回復困難な損失を人生にもたらす。

世の中の不幸のほとんどは、脳のすばらしい力を知らないまま、怠惰で楽な時間の使い方を正当化し、あとはどうでもよいソーシャルネットワークに不平不満を投稿した結果もたらされる、脳からの「罰」である。それは物理的な痛みとなってもたらされるので、そうなる前に、物事への反応の仕方を変え(ネガティブなこと、ねたみ、社会へのやるせない不満鬱憤をあれこれねちっこく考えない)、行動はすぐ実践に移し(移せるのだから)、家族、またはそれに代わる愛着の対象を持つようにする必要がある。

このブログの人気の投稿

太陽光発電導入記完結編 発電開始!HEMS AiSEG設定奮闘記

アキバチューナーカンカン設定奮闘記【重要追記あり】

家庭裁判所が決める成年後見人、成年後見監督人月額報酬