『Bライフ』高村友也・著を読む

私は同居親族が大勢いるので、寂しさとは無縁である。しかし、人間が大勢いるということはそれだけ、生活コストも余計にかかるということになる。

何年も、大勢で賑々しく高コストな生活を続けているうちに、「孤高」「ミニマリズム」「スモールハウス」こういったものに心引かれるようになった。

大切に付き合っているというか、興味が尽きないのでついつい会ってしまう知人がいて、彼もまた、孤高のミニマリストに永遠に憧れる男である。実体は、消費社会における蕩尽の欲望に勝てず、家は物であふれている。そんなあふれたものの一冊が、「高村友也」氏の書いたBライフという本で、このたび彼から借り受けて読んでみた。

関東地方の小田舎に土地を買い、ホームセンターで手に入る資材だけで家を建てて暮らす男、それが高村氏である。上下水道、ガスが来ていないところで暮らす。しかも、彼は東大文学部哲学科を出て慶応の院にも行った秀才だ。この本も単なる貧乏人のDIY自慢に終わらず、幾分哲学的な論点が提出されているのも頷ける。

ある種の普遍性を帯びている内容である。

公務員、会社経営者、会社員、皆それぞれ肩書きがあって、生計を得ている。私もそうである。しかし、これらの生計の手段、もちろん家族を養うのにホイッと捨てるわけにもいかず、明日も電車に乗って通うのだけれども、高村氏のように元々そういうのがなくても暮らせるのかどうか。

じつは暮らせる。

ところが、その(ひとり)暮らし、Bライフは、じつは外部の、まさに社会の中で公務員だったり、会社を経営していたり、仕事をしている他の人たちの働きによって、支えられている。そのことを彼は、「世話になっている」と表現している。

社会の構成員全員が、彼みたいにBライフを送りだしたら、彼に資材を売ったホームセンターもないわけだから、彼のBライフは成り立たない。ホームセンターの仕事を忌避して、山に引きこもりたいのは、ホームセンターの店員とて同じだ。

ここにBライフの矛盾というか、限界がある。みんなやっちゃダメなんだけど、この本と出会えた本当に少しの人は、将来いつかは、と心の片隅に置く程度なら許される。

そういう本であった。ちなみに、BライフのBとは、ベーシック、という意味でもあり、ベイビー、つまり幼稚な、という意味でもある。ベイビーというのは、あらゆる仕事に精通もしなければ、人として成熟もしない、子供じみたというような感じで謙遜して使っている。でも、消費社会で喧伝される様々な財やサービスに無関心ということは、生きるということに真摯に素朴に、しかし必死に向き合うという点で大人というより子供、ベイビーの境地だ。

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