投稿

10月, 2016の投稿を表示しています

2017年度大学入学者向け無利子奨学金

文部科学省は、今の高校三年生を対象に、成績基準を撤廃した大学学費無利子奨学金の募集を始めることがわかった。

住民税非課税世帯の高校三年生が対象となる。これまでは成績基準があったが、住民税非課税かどうかのみの基準に変更。

安倍晋三首相は9月の所信表明演説で、「成績にかかわらず、必要とする全ての学生が無利子の奨学金を受けられるようにする」と明言し、成績基準撤廃の検討を進めていた。

今後は、給付型の奨学金をいち早く導入するよう、引き続き政府の取り組みを見守っていきたい。

アドラー心理学

『嫌われる勇気』を読んだり、また、最近NHKでやっていた「100分で名著」のアドラー心理学の回を見たりして、アドラー心理学についてのインプットが重なったので、ここでアウトプットを。

「偉いね」ではなく、「ありがとう」

子供がなにか我慢して、たとえば、お医者さんで泣かないでじっと待っていたときなどに、偉いねといってしまうが、これは間違っている。なぜなら、もし子供ではなく、妻や、あるいは、大事なパートナーがそのときに相手だったら、「偉いね」とはいわず「ありがとう」というだろう。

「偉いね」では、上から目線である。上から目線だと何が問題かというと、その場面で、貴重なアドラーエッセンスが出てこない。

アドラーエッセンスとは次のようなものである。

私なりに解釈したものだが、まず人はすべて、どこかに所属している感覚を持つことで幸せになる。どこかに所属するには、その集団で自分が貢献できているという意識を持つことが必要だ。そのためには、自分に自信を持って、自分は自分の意思で、自分の人生を生きているということを肯定できなければならない。

もし、子供に「偉いね」といっただけなら、それで終わるが、「ありがとう」といえば、子供は、親(ひいては家族)に貢献できたんだという意識が芽生えて、うれしくなる。そして、家族でいることに、より心地よさを覚える。こうして家族にすっかり所属している、家族という共同体に居場所を見つけることができる。

すると、どういうメリットがあるか。

学校や、職場で、何らかのトラブル(だいたいは人間関係のトラブル)で難局を来たし、居場所がなくなったときに、もし家族が居場所としてその人にとり、価値があるのであれば、家族という居場所がないよりも、難局を乗り越えることができる蓋然性は高まる。

ある集団がダメなら、別の集団がある、自分はそこに属している。

とはいえ現代社会では、家族も職場にも、居場所がない人だって多い。そこでアドラーはどうアドバイスするか。今、ここにいる日本、世界、地球、宇宙のなかで、自分が生きているという感覚が重要だという。

宇宙に属していると思えるなら、たとえ宇宙にくらべてはるかに小さい企業とか、家族のなかで居場所がなくたって、なんてことはない、そういう感じだろうか?ってかんじで、ちょっと深いところにいくと私もよく覚えていないので、うまく書けないが、何というか、…

スペインのマリナレダ村について

この村は、村長(30年間ずっと変わっていない)の主導のもと、ある政策を導入して世界的に注目を集めている。

衣食住にビジネスの論理を持ち込まないという点だ。不動産の個人所有は認められていない。

この政策を実施した結果、村の税収は上がり、若者の移住が増え、生産性も向上して治安も良くなったという。

私が日頃訴えているベーシックインカムと似た政策であるが、不動産の個人所有を認めない点はスゴい。

日本で、衣食住が保障されているのは誰だろう。まず子供。親が提供する。そして、行為能力のないひと。認知症高齢者とか、病気でそうなってる人、ハンディキャップを負っている人。

あとは、刑務所に入っている人。さらにいうと、大企業や国家機関の仕事で単身赴任している人も、そうといえばそうかもしれない。

ほとんどの人は衣食住を市場から購入しなければならない。しかも全体の支出にこれらの割合が、近年高まっている気がしてならない。給与所得がどんどん減ってきていから、際立ってくる。エンゲル係数が上がるってヤツだ。

うちもそうだ。収入が右肩下がりになる一方なのに、子供が多いし、持ち家といえども、エアコンや風呂などの耐久消費財は十年ごとにどんどん壊れるので、衣食住だけでもう大幅に赤字だ。

今、世界の潮流として、法人税の値下げ競争が起こっている。アイルランドや、マン島などの租税回避地が法人税を爆下げした結果、アップル、Amazon、Googleなどの大企業がこぞって租税回避地に儲けを移転。残された元々の創業地の国の税収は減ってしまう。すると、そうした国は、もちろん法人税も下げるのだが(競争なので)、減った分で行政サービスをまかなうのに今度は消費税を上げざるを得なくなる。

そうしたら、先進国の貧しい人たちや中流層は、生活にかかる財やサービスの購入がただでさえ高いところ、そこに税金も加わって、ひどいことになる。泣きっ面に蜂、税の逆進性の問題である。

私は毎日、この逆進性の問題に頭を悩ましており、それだけに一刻も早く、マリナレダ村のような、社会福祉的な政策を大胆に取り入れてほしいと願っている。

結局人間を増やさない限り、その資本主義都やらは立ち消えになってしまう。子供を産んで育てる、そして人々が平和裏に暮らす。そういう部分を、資本主義の奔流の中でしっかり守って、支えていくのが国家の役割である。

しかし、国家はもはや…