星の数ほど

NHK BS1スペシャル「ただ涙を流すのではなく“分断する世界”とアウシュビッツ」を視聴して思ったが、戦争が庶民にとって死への競争だとすれば、平和は退屈との闘いである。

私はこれまで、このブログで何度も、家事や育児を女性に押しつけて男性はいい気なもんだ的にしゃべってきた。それは私が家事や育児、そして仕事も全部やったら、なんじゃこりゃって感じでめちゃブラックな日常が目の前に開けてきたから。

愚痴の一つでもいいたくなるってんでブログでアーダーコーダ、いってきた。しかし、アウシュビッツのこのドキュメンタリー、あるいは、夜と霧といったホロコースト本を読むにつけ、平和ってのはとりあえまあよかったなあと。

まずアウシュビッツってなんだろなって方に。ドイツという世界のいじめられっ子がいました。不条理な額の対外債務に苦しんだ国民が、とにかくユダヤ人のせいとばかりにこれをスケープゴートにするヒットラーという独裁者のもと一致団結。気の毒なユダヤ人たちは突然ある日、町から全部貨車に乗せられて(トイレもエアコンもイスもない貨物車)、到着した収容所で列に並ばされる。右はガス室行き、左は強制労働のあとガス室か凍死飢え死に病死。どっちもありえん選択肢をわずか70年前に百万人。

結局原因は金ってこと。当時のドイツってものすごい文明国で、ノーベル賞を受賞した科学者もいっぱいいたし、芸術もすばらしいものをどんどん出す国だったのに。それなのになんで、突如こんなひどい、あり得ない仕打ちを同じ人類にできちゃったのか?これを考えないと。

排外主義がいま世界的に力を得ているけれども、金がどっか偏ってしまってるからそうなってるに違いないと私は思う。金がなければ、承認欲求が満たされない。そこに手っ取り早く、仮想敵をもって来られちゃえば簡単に為政者にコントロールされちゃう。それでやれ移民はテロリストだから出て行けとか、韓国の人はどうのこうのとか。うれしそうだねよかったねー。でもあぶないよ。そんなんでスッキリするくらいなら、ウンコしてすっきりしたほうが100万倍増し。

もちろん今の日本やアメリカの政権が、ホロコーストを終着駅とするレールに乗っているとはとうていいえない。そんなのあり得ない。でも、欲求をみんながみんな我慢できるのかというとそうではない。

貧困は、退屈を、ただ単に単調で忙しい時間に変えてしまう。退屈はものを考えることができるが、貧困由来の多忙は考える時間も奪っていく。

だからベーシクインカムでしょう。そうでしょう? 世界の平和のために、もう二度とホロコーストを、人類史上最悪の過ちを繰り返さないために。毎月7万でも8万でも配ればいいんだよ政府は。

私は子どもの世話をするときに気の持ちようをチェンジするといいと思った。ともすれば、なんでこんな不毛な3Kワークで消耗しなきゃならんのよとなる。そうではなく、これは退屈な時間なんだというふうに思うこと。単に退屈なだけなんだ、それに過ぎないと思えば、なかなかいいかもしれない。

ただし、子育て育児を退屈だなんて「もったいない」とかいう、文字通りもったいないばあさんがよくいる。そういう主張には耳を貸さない。なぜなら、私が退屈に思っていることを、赤の他人に、それは退屈ではないといわれる筋合いはない。退屈なものは退屈だ。しかし退屈だからこそありがたく見えてくることもある(平和とか)。

ところで別の(これまたNHKのBSで見たんだが)ドキュメンタリーで、なにか宇宙の終わりの話をしているのがあって。それで驚いたが、このうちら地球が属する銀河系には星が2000億個あるという。そして、こうした銀河が、宇宙にはこれまた億単位で存在するって。

いい年してこういうのが刺さっちゃう。こういう宇宙のネタが。だとしたら絶対、どっかに人間みたいなのがいてもおかしくない。ちなみにじゃあ、どこにいるかって話しだが、よく宇宙の距離の単位で「光年」というのがある。この光年、なんと1秒間で地球を七万回もする早さだってさ(うろ覚えだが)。

そのめちゃくちゃ速いスピードでいっても、億単位の年月がかかるほど遠いかもしれないって。そりゃ見つからないわけだな。私のニヒリズムの出発点はここだったりして。とにかく、宇宙がデカすぎて、地球が小さすぎて、もはや何でもありだなって気になってくる。なんでも起こり得るというか。

光年は、英語でいうとLight yearです。そのまんまじゃん。

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