投稿

11月, 2017の投稿を表示しています

驚きのピア・プレッシャー力!!

私は長年、うちからチャリで7分の「武蔵野プレイス」というもはや神々しいほどの公共図書館に足を運んできた。

あるときは幼い子どもを後ろに乗せて絵本を読みに。そしてあるときは就学年齢に達した娘に、おすすめの勉強場所として説明するために。行くたびに、ある一つのことが気になった。開館前や、スタディーデスク(自習用の勉強机、予約制)の予約にいつも長蛇の列ができている。たしかにすばらしい施設である。しかし、土日に至っては建物を一周まわるほどの開館待ちの行列ができる。何もそこまでして、勉強場所を外部に求める理由はないだろうと。

偉そうに聞こえるかも知らんが、オチがあるから読んで欲しい。私は、家の周辺に安いアパートの部屋を借りて、勉強部屋にしつらえてみたりしている。駅に行けばスターバックスの大きな勉強机で、みんな(ほかの客だが)と一緒に勉強や仕事ができる。塾をはじめたので、その教室も空いている時間が多いから、いつでも行けば勉強や仕事ができる。もちろんwifiも完備。今の私は、勉強や仕事をやらない理由がない環境を手にしている。ところが、そうした環境に身を置いて、では勉強や仕事をバリバリやっているか。答えはノー。リビングのノートパソコンのYouTubeをのぞき込んだり、昼寝したり、そしてあとほとんどの一日の時間は膨大な家事育児や雑事である(一日の半分以上の時間立ってると思う、おかげで健康!)。

まあつまり、ちょっと金を出したり工夫すれば、勉強や仕事の場所はいくらでもあるだろうに、なんでプレイスに朝から並ぶのかな、と、それが分からなかった。

そしてさっき、高2の長女と話していて、そこまでする理由というのが分かった。それは、武蔵野プレイスにはやる気に満ちた抗えない雰囲気があるというのである!

(その抗えない環境に身を投じてまでやろうという理由が、私には決定的にかけているということも分かった)

その雰囲気、みな一心不乱に勉強している姿は、ピア・プレッシャーを強烈に与えてくる。あのプレッシャーの中では、およそ寝ようという気持ちにはならない。緊張感がみなぎり、自分も懸命に勉強する以外にないという気持ちに駆り立ててくれる。こういう気持ちというのが、私がじつは長年にわたり求めてきた「モチベーション」の源泉なのではなかろうか? 娘もいう。「プレイスなら寝ないで勉強出来る。うちだと寝ちゃう。アンタがし…

幸せとは生きがいのこと、その4要件

TED「幸せを目指すだけが人生じゃない」(エミリー・エスファハニ・スミス)をみて思ったことを書きます。
 この心理学専攻の作家によると、幸せというのはそれを目指すものではなく、「生きがいをもつこと」こそ重要なのだという話しです。
 私なりに解釈すると、幸せというのはプロセスであり、健康や水・空気と同じように、私たちが普段生きていく上でなくてはならないプロセスであり資源、のようなものなのです。
 健康も、水も、それがそこなわれてはじめて、いかにそれらが大切だったかを知るわけです。ですので普段、それらを意識することなく暮らしていけているのであれば、その人は健康であり、水や空気に恵まれている状態、満ち足りた状態なのです。
 短期的な欠乏がしょっちゅう生じます。それらはアマゾンでクリックすれば、あるいは駅前の百円ショップに行けば、大概のものは満たされます。物質的な充足が、幸福の要素であるという考え方は、昨今完全に後退しています。
 冒頭の作家、エスファハニ・スミスは、生きがいこそ、幸福な人生において不可欠のものだと説きます。数百冊の心理学・哲学関連書籍を読み、そして何百人にもインタビューした結果、彼女が見つけた生きがいの四つの要素を順番に見てみましょう。生きがいは次の四つの要素から構成されます。
1.絆
2.目的
3.超越
4.ストーリーテリング
 一番目の絆について。人間は社会的な生き物であるがゆえ、家族や友人、同僚との人間的ふれあいはなくてはならないものです。
 二番目の目的は、生きがいの方向性をその都度与えてくれ、人生の軌道から外れないようにしてくれるものです。内容は何でもいいと思いますが、反社会的なことになっていないかどうかは、気をつけなければなりません。カルト宗教、マルチ商法、ギャング集団などが、人々を熱狂させて、反社会的な目的のために人を駆動させる事例を忘れてはなりません。
 三番目の超越。これは今流行の「マインドフルネス瞑想」あるいは、ミハイ・チクセント・ミハイのフロー状態のことだと思います。要するに夢中になって我を忘れる時間を持つことで、心を健やかに保つことができます。
 四番目のストーリーテリング。これはどうなんでしょうか。「承認欲求」を満たしてもらうことのバリエーションともいえそうです。自分のこれまでの人生を物語にしてまとめる機会を持つことを、エスフ…

家事も仕事も同じように疲弊

家事も仕事も同じように疲弊します。朝起きてから、家事の分担で、女性のほうが家事が多い場合、その女性に、男性配偶者と同じような働きを期待するのは間違っています。

今朝、子どもが猫を管理領域外に放出して、その猫が階段に飾ってあった花瓶を転倒し、水拭きに終われました。猫の毛がそこらじゅうに散っています。その階段に私が掃除機をかけたのは1時間前です。もうそれだけでおなかいっぱいというか、人生終わった、死のう、死にたい、そういう気分に満たされました(もちろん子どもを叱ったり、ネコにあたったりすれば法律で罰せられますから、ニコニコ、ああお父さんがやるから、気にしないでいいよ、ネコちゃんはお部屋に入ってねというほかはありませんし、実際そうししました)。軽い鬱症状です。このように、予期しない理由やイベントが押し寄せ、また際限もないため、家事というのはとてつもなく消耗させられます。通常そのあとで、仕事に出かけなければなりません。私も仕事が満載ですが、この件で、確実に意思力は損なわれたのです。

カナダ人の金融機関のサラリーマンが、子どもが生まれるからと会社を休みたいと申し出たら却下されました。その後なんだかんだあって、結局仕事を干されたり、ミーティングに呼ばれないなどいじわるをされ、裁判所に訴えを起こすに至りました。

過労死や、大手メディアの激務はまったく消える気配すらありません。

政府は、女性活躍だの、ワークライフバランスだのと言っています。もちろん言わないより言ったほうがいいに違いありませんから、それは評価しましょう。しかし、ほとんどの「私企業」は、結局は株主や経営者のオッサン、爺さんの持ち物に過ぎません。

そこで働く従業員がどうなろうと、翌期の業績こそすべてなんです。企業は、国民の生命安全を守る義務がありますから、働き過ぎや女性活躍を推進するのは当然なのですが、結局言っているだけです。

なぜなら政治家に発言力があるのは、結局は圧力団体である経済団体や労働組合だからです。国民ではないのです。国民はバラバラになってしまい、政治的発言力をどんどん自ら放棄しています(たとえば投票に行かない)。

いくら、株価が上がっても、新卒の就職率がよくなっても、この国というのはある種の椅子取りゲームのような感じになっていて、よい椅子がゲットできなければ、寂しく命を失ったり、健康を害してアディクション…