驚きのピア・プレッシャー力!!

私は長年、うちからチャリで7分の「武蔵野プレイス」というもはや神々しいほどの公共図書館に足を運んできた。

あるときは幼い子どもを後ろに乗せて絵本を読みに。そしてあるときは就学年齢に達した娘に、おすすめの勉強場所として説明するために。行くたびに、ある一つのことが気になった。開館前や、スタディーデスク(自習用の勉強机、予約制)の予約にいつも長蛇の列ができている。たしかにすばらしい施設である。しかし、土日に至っては建物を一周まわるほどの開館待ちの行列ができる。何もそこまでして、勉強場所を外部に求める理由はないだろうと。

偉そうに聞こえるかも知らんが、オチがあるから読んで欲しい。私は、家の周辺に安いアパートの部屋を借りて、勉強部屋にしつらえてみたりしている。駅に行けばスターバックスの大きな勉強机で、みんな(ほかの客だが)と一緒に勉強や仕事ができる。塾をはじめたので、その教室も空いている時間が多いから、いつでも行けば勉強や仕事ができる。もちろんwifiも完備。今の私は、勉強や仕事をやらない理由がない環境を手にしている。ところが、そうした環境に身を置いて、では勉強や仕事をバリバリやっているか。答えはノー。リビングのノートパソコンのYouTubeをのぞき込んだり、昼寝したり、そしてあとほとんどの一日の時間は膨大な家事育児や雑事である(一日の半分以上の時間立ってると思う、おかげで健康!)。

まあつまり、ちょっと金を出したり工夫すれば、勉強や仕事の場所はいくらでもあるだろうに、なんでプレイスに朝から並ぶのかな、と、それが分からなかった。

そしてさっき、高2の長女と話していて、そこまでする理由というのが分かった。それは、武蔵野プレイスにはやる気に満ちた抗えない雰囲気があるというのである!

(その抗えない環境に身を投じてまでやろうという理由が、私には決定的にかけているということも分かった)

その雰囲気、みな一心不乱に勉強している姿は、ピア・プレッシャーを強烈に与えてくる。あのプレッシャーの中では、およそ寝ようという気持ちにはならない。緊張感がみなぎり、自分も懸命に勉強する以外にないという気持ちに駆り立ててくれる。こういう気持ちというのが、私がじつは長年にわたり求めてきた「モチベーション」の源泉なのではなかろうか? 娘もいう。「プレイスなら寝ないで勉強出来る。うちだと寝ちゃう。アンタがしつらえた家のまわりの勉強スペースももっと寝ちゃう」

私はこれまで、勉強や仕事のやる気は、栄養、睡眠、運動、そして快適な環境にこそあると思ってきた。さらには、勉強時間を25分で区切ってみたり、朝予定を立ててみたりといったハッキングにばかり凝ってきた。ところが、結局私は勉強も仕事も、それらでは決定的にできないことが分かったところである。なにかが、かけていた。かけているのは――、そう、他人の存在である。

私のしつらえた勉強場所や家には、他人の存在だけが、欠けていた。しかしじつはその他人こそ、まさに画竜点睛ともいうべき必須のファクターだった。そして、武蔵野プレイスには他人がいる。しかも、朝から行列を作るほどの圧倒的なプレッシャーを伴うすごい他人である。そりゃあ、そこに行けば、イヤでも勉強するわな。

正直言って、そこまで長期間にわたり勉強をし続ける必要は、私の人生では1992年で終わった。大学受験浪人のあの1年。あれ以来、燃え尽きて、再びやる気の火をおこすことがいまだにできずにもう25年以上経つ。

今なら分かる。武蔵野プレイスに並んでいる人たちは、92年の私、つまり人生を賭ける重要な勉強課題を持っている人たちなんだということが。

1992年の私は、ほんとうに無我夢中になっていた。勉強に没頭する以外に、いかなる選択肢もなかった。ヤバかった。浪人してて。もし勉強していなければ、湧き起こる気持ちは恐怖しかない。眠気こそ最大の敵だった。(だから自習室で、ほかの仲間と勉強していた) あとは食って寝るだけ。昨日の幸せ(生きがい)のポストでも書いたことだけれども、その状態は、勉強仲間との絆、目的、超越、そして語るに足充実した時間に満ちていた。

そう考えると、あの年私はいちばん幸せだったのかもしれない。

今、私は生きがいをあらかた失って、ふぬけのように生きている。モットーは「働かないでたらふく食べたい」(ベーシックインカム求む)。ひどい。25年の年月てすごい。

そうだ、あしたから、武蔵野プレイスに並んでみよう。そして停滞しているウェブのリニューアルの作業に取り組んでみよう。寒い朝、行列に並ぶ。それはほかに選択肢のない強い決意につながる、まっすぐな道。興奮と熱狂に満ちた、充実した人生を生きる道なんだ。

冷静に考えると、あの行列に並んでいる人たちを見る私の視点というのは、まったく勉強する当事者意識とは無縁の、単なるヒマなジジイのものだった。彼らがなぜ、あそこまでして並んでいるのか、そこへの理解が、まったくなかった。それは当たり前だ、自分がそういう必要性に駆られていなかったんだから、分かるわけがない。

でも今は分かる。彼らは、寝ないで勉強するモチベーションを、あの場にあえて身を投じることで、獲得している。(勉強ってのはとにかく眠気との闘いだから)

まあちなみに、実際のところ娘の席取りのために結局並ぶんで。

ところで余談だが、先日、家でとっている「東京新聞」の投書欄に、中学生からの投書が載っていた。内容は、自習室に出かけてみたら、時間を忘れるほど勉強に集中できた、というのである。彼女は家ではいつも寝てばかりいて、母親に場所を変えてみたら、と勧められて、はじめて図書館の自習室に出かけた。それで自分でも想像していなかったほど勉強出来たから、驚いて投書するに及んだようである。まあ私がきょう書いたような内容かも知らんが、ふと思ったけど、「新聞」てアホみたいなメディアだな。それわざわざ紙に印刷して、家に毎朝届けるってどうよっていう。もちろんそればっかりじゃないわけだけれども…。

あともう一つ、自分で今年の春から塾を開いて子どもを集めて勉強させている。それで、やっぱりこのオッサンなり、ほかの生徒がいて、勉強する時間と場所が決まっているという、この「ヒト、とき、ところ」の三要素が、勉強には絶対に不可欠なんだなーって分かった。大規模公開オンライン講座(MOOC=Massive Open Online Course)を、無料で家で見ほうだいったって誰も最後まで見ないのも道理だな。

だから、たまに思うんだけど、というかいつも思っているんだけど、別に塾や会社に行かなくたって、この勉強や仕事のやる気の源泉(寝ないでやらせる装置)「ヒト、とき、ところ」は工夫してできないものかな。hofficeとかシェア何たら、コワーキング、それに近いと思う。ただ、コ・ワーキングやシェアオフィスはあくまでしごとのためで、プレイスの行列、せめて行列は無しにしたい。行列無しで、金がかからず実現する方法ないか? 行列って結局席とれないひと問題残るからね。

hofficeの勉強版というのがいいと思う。hofficeの勉強版は、ヒト、とき、ところ全部あって、そして最初に何をやるかとりあえず軽い自己紹介がてら発表して(これこれという問題集を何ページまでやりまーすとか)、50分ごとに必ず休憩してたって軽い運動したり気分転換、それを何セットか夕方まで繰り返すってヤツ。

それを主催したいんだがどうしたらいいんだろう?

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